一年を振り返って反省してみようと思ったのだが、やっぱりやめることにした。いや、それなりに反省すべきことはたくさんあるのだが、出来れば忘れたい。それによく考えてみると、今まで反省してきてもろくなことは無かった。そういう反省をして反省もほどほどにする、ということにしたのを思い出した。何しろ失敗ばかりだから、何をするにも反省ばかりしている。反省に忙しくて何も手につかないようだと本末転倒である。ただでさえものぐさなのだから、そんなことを材料にまたサボるに違いない。自分の性格には反省は向かないのである。
学生時代はそれだから駄目だとよく叱られた。若いころは反抗期もあったから、駄目だといわれると改めるより助長した方がいいと考える。「他人の嫌がる事を進んでしなさい」と言われると、人の嫌がるような悪戯ばかりする。その様なとんちは働くので、大人には迷惑がられた。またそれが僕の誇りだった。馬鹿だったと気づいたら、調子に乗れなくなった。人間調子に乗ったものの勝ちである。勢いの無い人間は埋もれるだけのことなのだ。
まあ、実際はそれでもいいという考えもある。おとなしい方がいい場合もある。目立つことも好きじゃないし、ひっそり暮らすのも悪くない。そう思うのだが、時々引っ張り出される。その都度ちゃんと失敗するが、それで許してくれない場合もある。なんだか仕方ないから上手く行くようにやるしかない。それでも上手くいかないときはやはり上手く行かない。工夫はするが、やらないことは選べない。段々元の木阿弥になってしまった。
ハンドボールをしている時に、監督に精神力が弱いと言われた。いろいろ考えず、ゴールを絶対に決めるという気持ちを強く持てば、しっかりとゴールは決まるものだ、ということらしい。ぜんぜん合理的でないし納得がいかないが、逆らえない。いろいろ考えないで投げるようにしたら、さらにゴールは決まらなくなった。考えないというのは難しくて、考えないという考えが頭から離れない。素直にあれこれ考えるべきだった。他人のいうことは素直に聞いてはならないのである。
草野球では三球三振が多い。見逃して三振するのは振っておけばよかったと後悔するに違いない。最初から三回振れるというルールだから、三回振って行こうという意識が勝る。結局三度振って終わり。時々運が良くてボールが当たってくれるが、やはりあの棒に小さいボールが当たる方が無理があるようにも思う。さらに前に飛ぶかもよく分からない。そのうち誰も僕を打席に立たせなくなってしまった。相手にも選ぶ権利があるので仕方が無い。つまりちゃんと失敗さえしていれば、相手が勝手に僕の機会を選別してくれる。迷うこと無く振るべしである。後悔するよりよほどましだ。
今後とも三度もチャンスあるルールばかりとは限らない。それはそうなのだが、とにかく振っていく。その様な考えの人間に、やはり反省すべきことなど無い。今年の反省点としては、それでもわずかに反省してしまったことかもしれない。人間まだまだである。
皆さんよいお年をお迎えください。