マネーボール/ベネット・ミラー監督
強いチームを作るためにはどうしたらいいか。別に監督やオーナーで無くとも方法は明確に分かっているはずだ。どのようなチームが強いか、実際に知っているからだ。細かく子細に見て行くといろんなことが言える訳だが、はっきり言ってしまうと、いい選手が集まったチームが強いに決まっている。しかしながら、いい選手というのはいったいどのような選手なのか。また、当然だが、いい選手ばかりだと契約に金がかかる。ではお金の無いチームは強くはなれないということなのだろうか。
答えはある意味でイエスであり、ノーでもある。実際にお金持ち球団が当然のようにいい選手をかき集めることができる訳で、そうして実際にとても強い。しかしお金の無いチームであっても、なかなかやるじゃんというか、強いチームは存在する。そのからくりはいったい何か。この映画が実話をもとにしているのは、そういう訳である。
いい選手であっても、チャンスが無ければ、その能力を発揮する機会が無い。そのチャンスにおいても、上手くアピールができなかった人もいる。人というのは印象で人の評価を随分とゆがんで判断してしまうことがあるようだ。いわゆるいい場面で派手に活躍するといい印象が長く残り、さして重要でない場面で着実に仕事をする人というのは、あんがい評価が低くなりがちなのではないか。実はその様な働きぶりには、ちゃんとデータとして残っているのにかかわらず、人々は簡単にそのデータを見落としてしまう。もしくはそれよりも現実の印象を重視してしまう。それも野球の専門家というような人ほど、面と向かって対面しているその人本人をみるあまり、データの存在を忘れてしまうのかもしれない。確かに机の上で分かることには限りがある。でも現実を見ている人にも、誤りというのは当然あるものなのだ。認めたくない事実にこそ、物事の本質は隠されているものなのだ。
しかしながらこの主人公は、いささか軌道を逸している。強大な権力があるからこそ、いろいろと手を打つことができた訳だが、そのやり口というのも、そんなにお勧めというものではなさそうだ。このやり方はものすごく参考になるはずなのに、しかし実行できる日本人はほとんど存在しないだろう。つまり極めてアメリカ的で、傲慢でいけすかない。しかしそうであっても、現実には現実を駆逐する力を持っている。現代世界で君臨するアメリカの様に、それはやはり実際の話だからなのだ。このような見苦しい人間物語をやりくりする人が、本当に強いという世界を作り出すことができるということなのだ。
しかしながら主人公は、実は自分の中にこそ、その屈折した大きな痛みを抱えたままで生きている。彼の信念は、その様な体験をベースにしていることは間違いがない。自分の中の大きな挫折、もしくは二度とどうすることもできない深い後悔。それがあるからこそ、この主人公の強さもまた本物になるのである。
限りなく迷惑で嫌な奴だが、しかし何故か爽快な気分にもなる。それはうわべだけの情熱では無く、本当に熱い煮えたぎる情熱のようなものを内面に持っている人間の強さのためではないだろうか。そうして心躍らせる結果をモノにして行く。
この世界は実際には多くの人に知られることになって、他球団も多かれ少なかれ彼の方法を採用するようになっているようである。彼はアメリカの野球のシステムそのものを変えることに成功したのだ。結果的には自分のチームだけが強くなる秘密が漏れた訳だが、恐らくそんなことは気にしてないだろう。自分のやれることを着々とやっていく。それはある意味で、頑固な石頭人間の生き方なのである。
余談だが広島カープにこそ知ってもらいたい物語だが、その様な人物がカープに存在するのかは分からない。もちろん新人を育てるのが一番上手い球団であって、この方法も当然知っているはずなのだ。それでも勝てないのだとしたら、日本社会はやはり閉塞社会だということになるのではないだろうか。