選挙期間なんだから選挙の話題というのは当然多くなるのだが、自分の支持政党であるとか支持している人物の話になると、なんというか声が小さくなったり、随分個別の話になったりする傾向があるような気がする。また逆にその様にはっきり言う人が出てくると、かえってその場の空気と言うようなものが緊迫するということがある。その人のオーラが強くなり過ぎるというか、風が乱れる感じ。
政党によってはその人が活動家で分かりやすい場合があって、そういう場合は皆で適当に同調してその場をやりくりする。分かりやすいので励ましの言葉なども自然に出る。これは本当に応援しているという意思表示で無いことは明らかだ。
そういう人がトイレなどで席を立つと、とたんに皆で目くばせする。今日は政治の話は止めようということのようだ。または席を替えてそちらでやろうということかもしれない。
考えてみると、自分が誰に投票するつもりだということを具体的に言う人の方が、圧倒的に少数派であるようだ。もしくは自分のしがらみを表明した上で、今回は自分はこうなっておりますという解説は聞かされることはあっても、自分の心情としてこの人の支持であるということを言う人は本当に少ない。もちろん居ない訳ではないが、それは既に書いたとおりだ。
政治の話と野球の話は、飲んだ時はタブーだということもいわれる。いわゆる喧嘩防止である。何故喧嘩になるのかというと、贔屓以外の人や球団を腐す人が出てくると、とたんに面白くなくなるからだろう。褒める分にはいいが、非難されるのは許せないということだろう。まあ、これは当たり前だ。
しかしながら選挙で投票するにおいては、何も支持していないけれど投票はしようと考えている人にとって、参考にしたい情報はそれなりにあるはずである。知っている人がどうであるのか、どういう考えを持っているのかは、それなりに知りたいところなのではあるまいか。そうではあっても全体的な解説ばかりで、いわゆる予想屋ばかりの話で終始するということが多くて、本当に腹の探り合いというのが一般的という感じがする。それで良いと言えばそうだけれど、やはり結局誰が誰に投票したのかは、つまるところよく分からない。
ほとんどの人は、誰が誰に入れたのか知らない関係を望んでいるのかもしれない。僕は時として、つれあいが誰に入れたのかさえ知らないかもしれない。家族であってもそうであるし、ましてや普段からよく飲むような間柄の人々であっても、実際に誰に投票したのかはミステリーだ。いや、知らないのは僕だけなのですか? まさかね。
まあ、僕らも年を取ったので、投票に行かないという人は、都市住民以外は聞かない。みんな投票に行くが、みんなの行動はテレビで無いと知ることができない。まさかその楽しみのためだけに投票している訳ではないだろうが、考えてみると面白い国だと改めて思ったのであった。