カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

権威主義と闘う見事な革新思想の勝利   英国王のスピーチ

2012-12-23 | 映画

英国王のスピーチ/トム・フーパー監督

 他人前でスピーチをする苦痛や、話をするそのものに苦手意識のある人は多いだろうと思う。僕自身もその一人だが、よく考えてみると、それは個人的な苦手な分野というより、誰もが訓練なしにはできない分野ということのような気もする。その様な苦しみをいかにして克服できるのか、という実証的なハウツーを提供してくれるという有意義な内容であるばかりか、実に感動的な物語にも仕上がっている。物語もよく練られており、史実をもとにしているということが信じられないくらい、ドラマチックな展開やどんでん返しが楽しめる。そうしてやはり身につく技能のヒントが満載だ。これを見ることで即スピーチが上手くなるということではないが、分かる人にはかなり有益に違いない。他人前で話をするような機会のある人や、その様な場を断れない人は、ぜひ観ておく必要があるだろう。
 英国王式の格式というものは、正直に言って実感としては良く知らない。王室だとか皇室だとかには馴染がないし、なんというか、あんまり興味も無い。時代遅れな制度の中に個人が閉じ込められている不幸があるらしいということは聞いたことがあるが、いわば僕らの生活にはあまり関係のあるところとは思えない。しかしながら実際にその様な立場に生まれてしまった人間にとっては、そんなことはもちろん言ってられない。当事者として運命的に逃げられないばかりか、その重圧や権威が幾重にものしかかる時代の背景もある。ただでさえ性格的に不向きな人間であっても、そのことでおそらく自分に不利な障害が出ているにもかかわらず、逃げ場はどんどん塞がれていくのである。
 まさにホラー的な状況なのだが、そこに風変わりな救世主が出てくる。敵か味方かも分からないし、おおよそ自分自身が好きなタイプの人間ではない。むしろ不快であるばかりか、自分の立場を脅かす新たな障害にもなりかねないのである。
 ところが、である。実際にその男に接すると、自分の障害である吃音が、何となく克服できているという兆候がみられるのである。認めたくない事ばかりだが、しかし本来の目的に光がさしていることは間違いなさそうだ。頼るべきか別の道を見つけるべきか。今までも散々苦しめられてきた自分自身の問題においても、正面切って戦い続けること自体も大変に苦痛である。その上に、リスクを持って戦っても、実は信用のならない相手かもしれないのである。
 基本的にその様な葛藤の人間ドラマが中心である。悲劇的だが、しかしその心の葛藤は実際は喜劇的でもある。社会的な立場が個人を苦しめている事に間違いがないのだが、しかし最終的に自分自身の心の狭さのために、コロコロと悩まされ葛藤を強いられているのである。しかし、この王様の心の狭さは、よく考えてみると我々の心の狭さとも共通するものがある。つまり手の届かない人物の崇高な物語なのではなく、人間が誰しも持っている共通の悩みなのである。
 この映画の最大の逆転劇は、実はその様な権威主義的な人間社会への強烈な風刺が効いているということのように思える。だから王室の無いアメリカのような国でも、共感を持って観ることが可能だったのだろう。さまざまな賞を受賞したのは、作品の出来がもちろん良いということが一番だが、その様な革新性が、他の国の人にも受け入れられやすいということがあると思われる。
 王室のゴシップを、知らない世界の人間が興味本位で喜んで観るということでは無くて、人間の身近なドラマとして、そして自由を手にする手段としての考え方を学ぶことができるのである。我々を縛る不自由な世界を、個人は考え方で克服することができる。それはその場から逃げだすことではなく、向き合っていても可能なのである。まさにそのことを歴史が証明し、映画が分かりやすく解説してくれたわけである。見事なドラマに脱帽なのである。
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