カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

洞窟に今でも暮らしていて欲しい   洞窟おじさん

2015-10-21 | 映画

洞窟おじさん/吉田照幸演出

 13歳で家出し、そのまま洞窟などの山野でサバイバル生活を40年以上していたという人の話をもとにしたテレビ・ドラマ。出演リリー・フランキー、他。
 家庭の事情や本人の性格もあってか、虐待を受ける生活に嫌気がさして家出し、犬と共に山野で蛇などの野生の生き物を捕えて生きながらえていく。子供時代はそれで何とか切り抜けたようで、途中で戦争で息子を亡くした夫婦に拾われたり、河原でルンペン生活(家はあるんでホームレスではないんだけど、今風だとそういうことになるはずだ)ながら釣りをして暮らしたりしている。山で採れた蘭を売っていた時期などもあるようで、物語でしか知りえないが、ストリップ小屋でバイトのようなこともしていたようだし、半分というか、それなりに俗世界とも接点はあったようである。
 この話のタネ本(そのご本人が書いたもののようだ)もあるようだが、このようなお話が分かるきっかけになったのは、基本的に警察に捕まったからである。なけなしの現金で自動販売機の飲み物を買おうとした際、お金を入れたが故障があってか現物が出てこない。鉄筋か何かを使ってこじ開けようとしたところを捕まってしまったのである。お気の毒なことであるが、当然ながら尋問を受けているときに、このような過去のサバイバル生活について、にわかには警察には信用してもらえない。そういうところが笑いどころであるわけだが、しかし確かに怪しいのである。本当でなければお話は成り立たないし、恐らく大筋では本当の話だろうと信用するにしても、やはり現代社会人とはあまりにもかけ離れた話で、今となっては両親は亡くなっているかもしれないけれども、途中で兄弟とも出会ったりもするのである。タネ本を本人が書いたということでこのお話の元になった訳だが、途中までは文盲で、やっと名前を書ける程度になったにもかかわらず、このようなお話を書けたものであるのだろうか。中学生くらいで一人で洞窟に暮らすにしても、火を起こすのも大変なことだし、食事にしても塩や調味料すらないのである。蛇は刺身でも食べられたのかもしれないが、寄生虫の問題なんかもあるし、衛生面でどうにかということを抜きにしても、歯磨きや身の回りの品というのは道具が無ければどうにもならない。動物をとる罠にしても、自分で独自に編み出したとされるが、アフリカやアマゾンなどの狩猟民族においても、あのような狩猟の道具というのは、きわめて高度な伝統的な技法があってのものと考えられている。中学生くらいの単独の人間が独自で編み出すには、かなりのひらめきや素地が無ければ難しいだろう。
 いわゆるホームレスといわれる人々が暮らしているのは、多くの場合はやはり都市部である。多くの人が暮らす巨大な街においては、ゴミなどの中にも残飯など、社会的にこぼれた人を養うくらいの分量の生活の糧になるものがあるということだ。田舎や山などの人里から離れたところで生身の人間がサバイバルすることは、実は相当な人間的な能力や努力を必要とすることだろう。大人になってから河原に小屋のようなものをつくって暮らしていることからも、結局は人里離れた生活が厳しいからに他ならない選択だったのではなかろうか。
 ということではあるんだが、このような人がそれなりの数、日本にも残っていて欲しいとは思ったりする。ほとんどいないだろうからお話としては面白い訳だが、そのように常人から離れて暮らす人が日本にもいるということ自体が、多様性として豊かな日本という気もする。本人にどう思われるかは謎だけれど…。それはおそらく集団生活を余儀なくされている都市生活者などにとって、ある種のわずらわしさを感じていることは確かそうであるから、洞窟おじさんのような奇跡のようなお話が愉快なのではないか。社会の底辺でありながら、しかしある一定の満足度が、もしくは僕らの暮らしに執着しない考えがそこにはある。そういうものにあこがれまではしないものの、何か本質的に惹かれるようなものがあるのかもしれない。自分がやるにはまっぴらだが、面白い人に頑張ってほしい。それは極めて無責任に面白い現実なのかもしれない。
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