カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

夏は焼き鳥を焼く

2022-08-26 | 掲示板

 今夏、とあるLの会において焼き鳥を焼かせてもらった。三年前は裏方だったうえ、用事があって、フルで活動していない。だからほぼ未経験と同じなのだが、そういう僕が焼いてよかったかどうかというより、人数等の問題があって、そうなってしまったかな、という感じだろうか。ともあれ、うだるような暑さの中焼き鳥を焼く体験というのは、それなりに貴重なものであった。
 実は最初から焼き方になるとは思っていなかった。組織なので毎年のことであって、序列があるわけではないものの(しかし長老は比較的裏方が多いのだが)、以前のように下準備をすることになるのかな、とは考えていたのである。さらに初日は準備の時間にさえいけないことは分かっていた。あとからのこのこ参加して、そういうポジションにはならないだろう。
 でも何となくやる気はあったのかもしれない。それというのも、事前になんとなく焼き鳥動画を見ていたのである。そういえばもうすぐ祭りで、Lの会では焼き鳥だよな~、とか考えていると、いつの間にか見ていたのである。世の中には焼き鳥動画というものがけっこうたくさんあって、名店の本格炭火焼きの様子だとか、家庭で手軽にグリルで焼くものなど、実にたくさんの焼き鳥を焼く風景の映像がある。僕の職場の祭りでも焼き鳥を焼く場合があって、焼き鳥を焼く道具だって倉庫にあるはずなのである。焼き鳥なのにフライパンで焼くというのだってあるし、世の中には実にたくさんの焼き鳥の焼かれ方がある。そういうもので勉強しようと思っていたのかは定かではないが、なんとなく眺めて予行練習していたのかもしれない。
 Lの会の焼き鳥では、基本的に仕入れたものを焼いている。それもモモとバラの2種にフランクフルト(これはシュシュのです)。ビールやジュースやお茶も売っている。モモは甘いタレにつけ込んでいるもので、ちょっとドロッとしているあれである。バラは豚のバラ肉で、関東ならヤキトンである。これは生焼けを防ぐためと時間短縮のために、先にボイルしている。冷凍で仕入れるために、そのような下ごしらえをするようになったと思われる。2日目に準備中でも待っているお客さんのために、生の状態で焼きだしてみてわかったのだが、当たり前だがボイルしないものにはそれなりに時間をかけてじっくり焼かなければならなかった。ちょっと台から高く網をセッティングしたにもかかわらず、やはりそれなりに焦げる感じになった。そこまで焼かなければ、安心できない感じだった。
 焼き鳥屋さんの職人さんは、炭火などでも素手で焼いておられるようだが、僕らの場合ガスの焼き台であるが、これは熱くてとても素手で連続して焼き続けることはできない感じだった。僕は軍手をしていたが、それでも少しだけだが火傷した。それにやはり時には熱い思いを何度もする。職人さんも火傷しているはずだと思うが、負傷しても焼き続けておられるのだろうと思う。それだけでも凄いというか、マゾ的である。
 実をいうと最初はもう一人の方について補助的に焼いていたので、焼き上がり等の所作はその方の見まねだけでやっていた。所用があってその方が抜けた後、ほぼ一人で焼き続けたのだが、(2日目は一台・二人で焼いた)正直言って、それなりに試行錯誤を重ね、だいぶしてからコツをつかんだ感じだった。
 ボイルしてあるので基本的にそんなに焼く必要は無いが、ちょっと焦げ目というか、焼き色を付ける必要があるようだ。ボイル後の焼き台では、網も火元にかなり近い。それなりの火力があるので、バラ肉の脂が出るとすぐに火が付くようになる。並べ方によっては火が燃え上がりすぎて、相当に焦がしてしまう。当然だが焦がしすぎると失敗感がかなりある(それでも売るが)。そうならない加減のようなものを、いわゆるタイミング的につかむ感じがあるのだ。よく出来たという瞬間があって、それはよく分からないが、おそらく数秒の間という感じだ。味付けは味塩コショウだからそこまでこだわっていないが、掛けすぎは当然よくない。かかってないと「さぶなか(味が足りない、という感じ)」ということになってしまうが、これはかなり一発勝負的だった。味塩コショウを振る高さと手首の返しのようなものも、だんだんとコツをつかんでいった。これもうまくいくと気持ちがいいのである。
 しかしながら二日も焼いていると、夏の暑さと焼き台の熱との板挟みになっていて、これはもう苦行以外のなにものでもない。お仲間の女性会員から冷やした首巻を途中でしてもらったりもして生き返ったが、すぐにまたくらくらする熱地獄に耐えるしかない。今年のお祭りは時間短縮になっていて例年より一時間早く店じまいになっていて(それでも三年ぶりだが)、もしそうでなかったら、本当に倒れていたかもしれない。それというのも店じまいで片づけるときには、体が上手く動かず足がもつれたのである。疲労困憊とはこのことで、以前はお祭り自体を運営していた身としては、これはもう若くなくなったのだと痛感した。もう以前のように働くことは不可能である。あの頃は確かに若かったのだ。
 ともかくフラフラになりながらもやり切って、しかしこれはこれで楽しかった。これでも詳細は書けなかったが、実にいろんな人が活躍して盛り立てていた。そういうのが素晴らしい訳で、それでつらくても楽しいということだ。
 でもまあ、これは若手にすぐに受け継がせるべきことではあるな、とも思う。ずっとやるのは無理である。
コメント
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