カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

休んだらもっとストレスが溜まる問題

2022-08-21 | net & 社会

 連休が取れたとしても、基本土曜祭日は休みになったら保育所も休みだし、結局育児でどこにも行けない。育児を伴う休みは親には負担が大きい。結局みんなが同時に休んでしまうと、インフラが使えずどうにもならない問題である。という話を聞いた。確かにそうだろうな、という思いがあるのと、この捉われ方の行先は、子育て支援の保育所を自由に使えるインフラにしたいという思いがあるのかもしれない。
 そもそもは休みの使い方の議論が前提にあって、休みの日にはどうしようって話だったのだが、いきなり来たな、という感じか。語りは柔らかいのだが、今きつい(つらい)のは自分だけ? ってオーラもあるし、核家族なので、おそらく夫の協力が無いなどの不満というのもあるかもしれない。でも、よく聞くと夫が無関心ということではなく、やり方が不十分で、結局は任せられるレベルじゃない、ということのようである。居ても戦力外なわけか……。
 子育て負担は、生んだものの責任だけ(それもそれなりに長期)というのが、想像以上に社会に対する不満につながっている様子もうかがえる。自分の所為だけじゃない筈なのに、放って置かれているような疎外感のようなものがあるのだろうか。そうして本当の願いは、子供を放っても遊びに行きたい自分にあるという葛藤なのではないか。そうであるから仕事から解放されるはずの休みであっても、リフレッシュできない。結果的に働きづくめになってしまう。そういう自分を助けてほしいが、誰が助けてくれるというのか。今の状態そのものが絶望で、それは、社会が悪いんじゃないの。言わないけど、「日本死ね」ってことなんだろう。 
 週の中間に休みが一日あっても、ただぼーっとして過ごして終わりそう……。そういう休みにどれだけの意味があるの? ってことか。ぼーっと過ごすこと、それのどこが悪いのか、というのは素朴な疑問だ。翻訳すると一日なんて言わず、もっと休みをくれ問題かもしれないし。中断して休まされるより、ずっと働きたい問題なのかもしれない。何しろ仕事なんて休んでられないほどたくさんあるんだから。仕事のことなんて忘れてしまえるほど休みが欲しいし、仕事が多すぎるので何とかならないの。というのがごった煮になってしまっているのだろう。そうしてちょっとした休みをもらったくらいじゃどうしようもない、という更なるストレスを産んでしまっている。
 ということなんでした。こういうのは誰かが通ってきた道だったとしても、解決策は諦めだったりする。これは選挙に行かなかった先輩たち元若者が悪いのか、こんなことを考えてしまう自分たちが悪いのか。まあ、その両方かもしれないが……。
 さて僕は休みはどうしようかな。休む前というかすでに休んでいる前の夜に、飲んでいるのが一番楽しい。刹那的かもしれないが、その刹那がずっと続くといいのにな。
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