カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ロシヤ大衆はおとなしい

2022-08-20 | HORROR

 ロシヤ人は、ウクライナ侵攻について、実のところどんな印象を持っているのだろうか。それは率直な疑問であり、もっと実直に取り上げられてもいいのではないかと思っていた。もっとも報道規制などがあって、ロシヤの報道上は、プーチンの主張が支持され概ね受け入れられたものであるとは伝え聞いては居た。また言論規制もあるし、デモ規制もあるために、自由な言論はそもそも封じられていて、確かめることすらできないのだとも。
 そういう中にあって、なぜそういう状況において少なからぬ不満のあるロシヤ国民は、暴動などを起こすことなくおとなしくしているのだろうか。少し前までは、西側諸国と同じように、冷戦の終わった自由な環境を謳歌していたはずではなかったのか。日本にも多くのロシヤ人はやってきていた。働いている人もいるはずだし、テレビにもロシヤ人は出ていた。そういった人々はいったいどこに行ってしまったのだろうか。本当に彼らは口をつぐんだり、国外へ、お国のロシヤに帰ってしまったのだろうか。少なからぬ人は国外逃亡したとも聞くのだが、それは金持ちや著名人などの一部の人にとどまっている感じもする。要するに大衆というのは、ロシヤ国内で、どのような心情でくらしているのだろうか。抑圧された大衆は、また冷戦時のように、押し黙って国の粛正におびえながら暮らしているのだろうか。
 もちろんそんなことは無いらしい。だいたいにおいてロシヤ人は諦めているのだ、という話を聞いたのだ。その原因というのが、そもそもの話、以前からのロシヤの報道そのものを信用している人の方が少数だからという。どういうことかというと、ロシヤの報道というのは、たまに正しいことを流すこともあるのかもしれないが、基本的にほとんどがフェイク・ニュースなのであって、起こっていることが正確かなんてことを気にしていたら生活できないのだ、という。天気予報はどうなんだ? と突っ込んでみたい気もするが、チェチェン進攻の時なども、ロシヤ側に都合のいい報道がなされ続けていたことを含め、どうせそういうものばかりのことであるし、今回のことも、まあそういう流れの一つに過ぎなくて、大きく気にしているような人というのは、少数派ということなのかもしれない。またそういうのを糺そうというようなことを考えるのも無駄そうだし、プーチンがどうだというよりも、ロシヤという国そのものがそんな感じだということは、分かり切っているということかもしれない。経済制裁でジワジワ影響があるだろうという不安はあるのかもしれないが、まだ冷戦時代のように物が枯渇してしまうという状態ではない。生活が苦しくなると言っても、経済が破綻しているわけではないのだ。
 さらにロシヤというのは、貧富の差が歴然としている階級社会のようだ。もと共産主義の国がどうして? という感じもするが、確かに大金持ちが存在するものの、それは庶民とはかけ離れた大富豪であり、新興財閥にしても、政府の息のかかったエネルギーなどの限られた分野の人々である。絶対に手の届かない世界であり、望むことすら愚かしいのかもしれない。新興富豪の中には、愛人の数が100人を超えるような人間ばかりいるとのことで、それら愛人は愛人になれることで満足もしており、今後も暮らしていけるように富豪に尽くすのだという。それは貧富の差の裏返しのでもあり、生きていくうえでの仕方のない知恵である。そのような社会にあって、国がどうだのと言ったところで始まらない。そういう事を望むことがいかに無駄か、ということなのかもしれない。
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