カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

絵の下手な人が必死になって描いたからこそ

2022-08-09 | ことば

 僕は水木しげるファンではあるが、特に妖怪好きという訳ではない。妖怪のようなものの存在は面白いとは思うものの、そういうものとかかわりを持ちたいわけではないのだ。
 コロナ禍になって有名になった「アマビエ」というのだって、知らない訳じゃないという程度で、特に詳しくない。疫病退散にご利益があるなんて言うのはそもそもうさん臭くて、そんなに面白がられるものなのだろうか? くらいにしか考えていなかった。確かにその絵姿はユーモラスなところがあって、そういうのが人気なのかな、とは考えていた。それにしても絵が下手クソというか、昔の人は絵心が無かったのかな、と勝手に想像していた。
 ところがである。改めてアマビエのことを解説している人があって、ちょっと合点がいったのである。アマビエのような妖怪は、大きなくくりで予言獣と呼ばれる妖怪の一種で、他にもいくつか種類がある。その名の通り、厄災など、将来に起こることを予言するところが共通するが、姿形や現れる場所などによって、さまざまなバリエーションがある。
 アマビエというのは、実は熊本地方に起源があるようで、そこではアマビコ(海彦・天日子・など)というのがそもそもあって、海の中から現れて、吉凶などを予言する。毛におおわれていて三本足であったりする。くちばしのように口が尖っているともされ、なかには全身が光っていたとも言われているものがあるようだ。そうして厄災から逃れたいものは、自分の姿を絵にかけばよい、というのだった。
 実はアマビエとかアリエといわれるものとは、このアマビコの誤記であるともされている。自分の姿を描いたものが救われるということで、多くの絵なんて描いたことの無い人々がアマビコを描いた。それの保存の良かったものが残っているのだが、たまたま残ったものが、このようにひどくへたくそな絵だったということと、そのへたくそな絵を描いた人が、誤記をしてアマビエとまで書いてしまったのかもしれない。そうして後世の僕らのような人々が、その絵を面白がりながらありがたがり、その絵を模写した上に、間違った名前をさらに広げて定着くさせてしまった。いくら当時正しかったアマビコであっても、現代以降にはアマビエの方が優勢で残るに違いない。言葉の変化や偶然というのは、このようにして起こっていくものなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする