カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

あの頃をジャンキーがふりかえると   少し不思議。

2021-09-13 | 読書

少し不思議。/天久聖一著(文芸春秋)

 居酒屋でトイレの鍵をかけ忘れたのであろうドアを開けると、しゃがんでいる女性のうしろ姿を見てしまう。慌てて閉めるが、そのままそのネタで飲み続け泥酔する。翌日夕方目が覚めると、昨日の居酒屋のトイレのスリッパで帰ってきてしまったことに気づく。仕方なく昨夜後輩めいた奴と飲んでいた店に電車を乗り継いで行こうとするが、方向音痴のために店を見つけられない。携帯も充電中で持ってなかったので、結局確認することもできないまま帰ることになる。そうして自分の住まい戻ると、一人暮らしだったはずの自分の部屋の中に女が待っていた。怖くなって逃げ出してしまうのだったが……。
 まあ、ほんのさわりの部分でこんな感じであって、どんどん妙な具合の自分語りのような物語が続いていく。しかし現実は前とちょっと変わっていて、女と一緒の生活がいとおしくなっていくわけだが、実際は自分は知らないことがおおすぎる。何かがおかしく、そうして狂っているのかもしれない。そういえば確かに自分には覚えがあって、ジャンキーだった過去がある。そのころには妄想を見ていたし、無茶なこともやっていたかもしれない。そうしてやっぱり不思議なことがあるもので、ねこ爺についていくと、ますます暴走した世界に迷い込んでいくのだった。
 私SFとか虚実REMIXとか帯に書いてあって、これは作者自身のコピーだというけど、今となってはネタバレになるが、ピエール滝がコメントを書いていて、要するにジャンキー小説なのだ。日本では、なんとなく危なっかしいので、そういう感じということにしたんだろう。実際に作者は漫画家でありクリエイターということらしく、こういう感じは実体験済みなのではあるまいか。そういうものに多少付け合わせて大震災と原発事故を描くと、この世なことになったというのであろう。何もかも書きにくくなった一時期のことを思うと、それなりに冒険だったことも分かるし、そうして今読み返してみたとしても、それなりの当時のリアルがかえってあるようにも思う。もちろん僕の体験とは違うものだけれど、あの頃に何か小説的なものを描こうとして苦労した作家というのは数多くいたわけで、そういう意味でもかなり正直な表現なのではないかと感じた。
 ところでこれをいったい何で知って読むことになったのか。毎回のことではあるが、あまり僕とつながりのあるような人ではないのだが、読んでしまえたことには、それなりに新鮮味があったかもしれない。年齢も近いようだし、通じ合うところがあるんだろうか。
コメント
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