カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

残酷江戸社会「性からよむ江戸時代」2

2021-09-03 | 読書

 先に「性からよむ江戸時代(沢山美果子著)」の感想は書いたのだが、長くなったのでちょっと端折っている。その原因は小林一茶が面白すぎたからで、他人に読まれることを気にしてなかったせいもあるだろうが、日記に克明に自分らの性交の回数などを書くからである。まあ、そういう人は他にもいるのかもしれないが、例えば記号で〇×とか、「正」の字で回数あらわしたりとか、自分なりにわかるように記している可能性もある。
 そのうえで、やはり著名人というのもある。著名人の残したものは、多くの場合残された家族がそれなりに管理するだろうから、却って表に出ない可能性もある。それが売れるとなれば別だが、そういうものを知られたくないと思うのが人情だろう。しかしながら一茶は、著名でありながら歴史にも名前が残っている。そういう人間だからこそ、そういう行為を見た(読んだ)ものに、一種の感慨を抱かせるのだろうと思う。そうしてさらに江戸の時代の記録として、その文化や風俗まで漏れ伝わってくるものがある。なんとも素晴らしいのではないか。
 さてそういうことなのだが、さらに興味深かったのは、幕府や藩というものが、人々の性の管理をやたらしたがっているような印象も受けた。もちろん年貢を納める人が多い方が、長い目で見ても藩などの財政は潤う。侍などを従える維持費も大変だろうし、人々が暮らしているもとに、子供をどう生ませるか、育てさせるか、ということにも、気を配っていた可能性が高い。
 そうしてその生む性である女に関して、いろいろと制約をかけていたということが言えるのではないか。また男の側のあらがえない欲望の問題もある(女にもあるはずだが、売れる側の性からすると金を払ってまでする必要がない。まあそれ以外にいろいろあるはずだが、今はとても語り切れない)。そうすると商売をする側の性を管理して、全体的な統制をとろうとしているのかもしれない。どのみち完全な管理などはできないが、自由にすると、統制が取れないどころか、無秩序に増えすぎたりすることを懸念してでもいるかのようだ。
 さらに元々は武士などの養生訓だったものが、家などを大切にする秩序が広がるにつれ、商家や農民などにも養生訓が広がっていく。ただしその視点はまたしても男性的で、あくまで己の快楽としての性を秩序だって制限することで、健康で長寿を得ようとする考え方をする。相手方である女性の健康などはみじんも考えていない。むしろ夫には従順にし、求められるままにせよと、言っているようなものである。それがひいては家を安定させるということなのかもしれない。
 そうしていながら、いわゆる快楽の性と子供を必要をする性交を分けているきらいがあって、売春をする側の女については、あたかも子供が生まれないかのような無頓着ぶりである。そんなことはあり得なかったわけで、花街を取り巻くように医者が住んでおり、また産婆なども頻繁に出入りしていた様子である。そうして生まれた子供が売られるように奴隷のような労働力になり、そうして女であればまた花街で仕事をせざるを得ないのである。まさに人間地獄図である。
 江戸の階級社会の実像は、そのような人の運命を翻弄する犠牲の上に成り立った文化だったのではないだろうか。
コメント
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