カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

酷いとは思うが、面白いのでつい見てしまうもの

2018-08-17 | 感涙記

 高校野球は感動産業と言われる。そのように揶揄して言われるほど、日本人の多くはそのような視線で、高校野球を見ているのではないか。何か特殊な出来事としてそのように考えている人も多いように思える。その理由は既に終戦に関する本の書評で明らかにしたので繰り返さないが、球児というのは、そういう意味では気の毒という気はしている。
 そもそも野球というスポーツは、興業のためにあみ出されたものであるから、観ていて面白いというのはある。本来はピッチャーを替えて毎日やるのが目的だが(だからメジャーなどのプロはそうしている)、高校の事情によっては、いいピッチャー過ぎるのがいると連投させることになる。それでも勝てるようなことがあるので、本人も意思としては望んではいるとはいえ、無理をして将来的には困るようなことが頻繁に起こってしまう。プロの世界で長く活躍する投手というのは、実は控えの選手が少なくない。又は選手層が厚く二枚看板などができるチーム出身者でなければ、なかなか怪我なしでやっていくのは大変なんだそうだ。産業なのだから犠牲になって仕方がない。皆がそう思っているので、これまではそうやって来た。もちろんそれではダメだと考えている指導者は多いが、やはり勝負のためには仕方ないとも考えてもいるだろう。そのチャンスが巡ってくるのは、そうとうに容易なことではないからだ。
 甲子園に行くことが、すでに大きなチャンスをつかんだと考えているところも多いだろう。全国制覇するような力というのは、さらに容易では無い。相当の素材をもって、さらにそうとうに鍛える必要がある。ときどき調子に乗る高校も無いではないが、完全にまぐれだけで勝てるような場ではなさそうである。もちろんボールゲームだから、運の作用はぬぐえないけれど。
 この間テレビを見ていて驚いたのは、いまだに甲子園の土を必死で持ち帰っている人たちがいたことだ。そういう習慣があるらしいことは聞いたことはあるが、現代人の若者が、いまだにそんなことをやっている。そうしてそのような選手を、必死でフラッシュをたいてカメラにおさめている集団がいる。泥棒現場なのに誰も咎めない。
 もちろんその気持ちを多くの人が理解しているからこそ、大目に見ている訳だ。僕はそのことが大変に良くないと素直に思う。ゴミを拾って帰るのなら偉いと思うが、たとえ土であっても必死にもって帰るべきでは無い。そもそも教育上非常によくないことだ。もともと高校野球は、教育的には問題が多いものではあるが…。
 甲子園の土と同じものは、実は通販でも買えるらしい。商売ならいいと思うが、やはり欲しがる連鎖あってのものだろう。そうすると甲子園で主に負けた選手たちの行為は、そのような販売への購入意欲をかき立てるものだともいえる。宣伝効果である。面白い現象だから、甲子園に行った貴重な体験の人に対して、甲子園の土を見せて欲しいと考える人もいるに違いない。せっかくだから正直言って僕も見たいかもしれないが、まあ、泥棒であることには変わりない(実は甲子園は、持ち帰りを許可しているらしい。もちろん結果的にそうしているという事かもしれないが)。この時期になると、つくづく妙な国に生まれたものだな、と思うのであった。
コメント
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