カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

自国語しかできない二つの国のこと

2016-04-26 | ことば

 これからの世の中英語が話せない人間は使い物にならない、という話はさんざん聞かされてきた。そんな話既に40年くらい聞いてきたかもしれない。以前の僕なら、まあ、そうかもな、くらいの共感というか、知らずに同意してしまいそうな気分というのはあったかもしれない。いやいや、実際の話、会社では普通に公用語だよ、というのも聞いたことがあるし、実際にそういう境遇にいるらしい人間も知らないではない。特に専門的に英語の能力で採用されたわけでもないが、会社の事情で少なくとも文章は英語ばかりだというのは、実状として多くの企業ではそんなに珍しく無くなってはいるのかもしれない。もっとも田舎ではまだそんな企業はちょっと珍しいけれど。
 日本の企業が諸外国との付き合いを深めている、もしくは国際化しているということなら、それは極めて当たり前の話であるから仕方がない。そうしてみなさんご苦労様であるな、と素直に思う訳である。
 でもまあ引っかかるのは、実際の顧客が英語圏ばかりでもない訳で、便宜上英語が便利であるというのはあるだろうけど、やはりいつまでもそんな感じで話が続くわけでもないんじゃなかろうか。広域のことを考えるとスペイン語も有力だろうし、アフリカなどでは一部フランス語も有利だろう。最大の人口を誇る中国の経済力がさらに増すと、当然中国語の方が強くなる未来の可能性も高かろう。特に東アジアは。
 それともう一つ引っかかるのは、自分が英語ができないからということもあるんだろうけど、仕方ない現実が実に不公平だと感じられるからではないか。日本人は英語ができないかもしれないが、英語圏の人間もそんなに日本語ができるわけではない。つまるところ英語圏でない国で英語を必要としている国はあるのは仕方がないが、それは単に不幸なことであるようにも思える。そうして日本のような一ヶ国語しかできないらしい国というのは実はもう一つあって、それは他ならぬ米国らしい。何とも皮肉な二国間の共通点であるが、結果は同じでも事情はかなり違う。特にアメリカは、出来なくてもそれでいいといつまでも思っているらしいが、日本はそうではない。なんとなくいやらしい話なのである。国際化できない立場としては、どちらも似たようなものなのに(どちらの国民もけっこう保守的だし)。
 要するに、顧客の立場でいるような経済力の問題というのが、言葉の問題よりも胡散臭い。日本の会社の一部は外貨を稼いでもらって頑張ってほしいが、事実上内需が中心になっている日本社会は、ますます二極化して、さらに英語の必要性の無い人々は将来的にも残っていくだろう。それで何の問題も無いのだけれど、日本人という数は将来的にはどんどん減っている訳で、相対的には日本語話者も、ずっと減少傾向は変わらないのだろう。個人の僕がいくら憂いたとしても仕方のない話だが、そういう自然の流れの中で、もうもがいてもやはり仕方ないようにも感じる。人間の脳の機能として、すでにある一定の年齢になると新たな言語の取得は極めて難しいと分かっている。これからのことは、若すぎる人に頼るより無いのであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする