イン・ザ・ヒーロー/武正晴監督
子供の頃から戦隊ヒーローもののテレビ番組に馴染んだ世代のはしりなので、このような背景には大人になって自覚的にはなっていたように思う。さらにブルース・リーなどのアクション物への激しい憧れがあったからこそ、映画を日常的に見るようになった可能性もある。しかしその思いを続けながら現代まで頑張っている同世代(映画的にはちょっと上だけれど)の人たちの姿というのは、そうして映画人的な内輪の世界というのは、ちょっとやはり異質なものがあったかもしれない。
物語はそのような境遇のいわゆる仮面ヒーローの中身のアクション・スタントマン達の悲哀の日々の中に、若くて二枚目で、多少のアクションはもちろんできる将来性のある俳優が紛れ込んできたことの軋轢から展開していく。非常に自信家でかつ横着で、そうして人気の高い役者には、しかしそれなりに屈折した事情がある。そういうあたりもサクセスの土台になっており、単純な努力ものではないところも、いい脚本になっている。
しかし、何と言っても王道的なストーリーは、この夢を追いながら表舞台に絶対に立てないような人間たちにこそある。既に過去に様々な傷を受け、家族さえ失いかけている人間が、自分のエゴだけでない事情に追い込まれて、それでもアクションに命を懸けて挑むことになる。そうした思いが複雑にこめられながら、クライマックスの大活劇が、これでもか、というくらいに繰り広げられることになる。これをお見事といわずして何を言う、という感じのカタルシスのある感動巨編である。いや、コメディとしても面白いけど。
映画がどのようにして作られているのか。また、それでも映画は興業として成り立たなければならない産業でもある。仕事としての映画づくり。しかしその中でそれぞれの事情は複雑だ。単純に少年のような憧れだけを持続させ続けることは、実は大変に困難なことだったのだ。誰もが夢を持ってそれを追い続けることは、言葉の上では素晴らしいことには違いない。しかしその単純さこそ、人間社会の営みとしては、大変に残酷な要素を含んでいる。そういうことにも素直に目を向けながら、自分のやりたいこととしては諦められない馬鹿野郎がいる。自分は馬鹿野郎だが、その馬鹿こそ価値があると信じている。しかし、その馬鹿さ加減に気づいた人間に対しては、素直に思いを続けるように説得することはまた、出来ないことなのだ。いや、言葉としては出来ないが、行動としては示すことが出来る。それがこの映画の最大の答えで、夢という言葉の陳腐さを、見事に破壊する素晴らしさである。
もちろん娯楽としてお楽しい映画だ。チープさの中にも迫力も満点だ。もちろん大人が観て素晴らしいので見逃さないように。