バドミントン選手の賭博問題は、本人が所属する会社の調査で賭博を認めたことから、基本的には賭博罪になるということで、オリンピック出場を辞退することになったわけだ。犯罪者はオリンピック出場に不適切という判断だろう。それは犯罪に対する刑法以外の社会的な制裁という問題である。
もっともこれはちょっと流れが逆のようなところがあって、もともとは彼らが出入りしていたとされる賭博の店が摘発され、その際に現行犯逮捕された人たちがいて、他にも出入りしていたとされる人の名前も流出したものと思われる。現行犯以外は、警察は原則的には追跡して取り締まらないようだが、つまりその中に有名人がいた場合(要するに今回)このような問題に発展してしまったのだろう。そこで容疑を認めているのだから、改めて事情聴取し取り締まる方針に転換したということになりそうだ。きわめて運が悪いというか、さらにこれはオリンピック前だから注目を集めすぎたために、結果的に罪に問われることになりそうだという逆転が生まれた訳だ。
野球賭博問題などと絡めて論じられることもあるようだが、本質的には別問題の方が多いようにも思う。大衆のカマトト性としては同根ではあるが。大衆の妬みというのは、まったく人間の醜い心情のあらわれる残酷なものだ。
また、若い選手としては収入が多すぎるためにこのような問題があるのではないか、という話も聞いた。バドミントンは野球やサッカーなどのようなメジャースポーツではないが、一流であるこの選手は、賞金だけで二千数百万の収入があったという。
確かに金を持っているのだから、その分お金を使ったところでかまわないだろうが、ギャンブル問題とは根本的に別だろう。スポーツという勝負の世界とギャンブルとの相関性はあると思われるが、それこそが野球賭博問題が起こった八百長問題の根本問題である。そこは本来分けた方がよさそうに思う。
基本的には所属する(スポンサー)企業がダメだと判断したからダメになったということもいえる。社会問題になった(必ずそうなる)のだからダメだというのはあるが、企業というのは顧客の目があるのだから、そのような判断から逃げざるを得なかったということだろう。選手を支援していたのは、支援し応援することで、選手のためになるということよりも、企業として名前が売れたりイメージが良くなったりなどのメリットがあってのものだ。このような有名になり方をされては困るので、早く火を消した方がいいという判断だろう。
オリンピックのメダルの有力候補として残念というのが大きなニュース性だが、ここでそうまでしてメダル至上主義に陥ることの反省をいう人と、やはりこのようなことが起こらない選手の倫理問題や管理について言及が及ぶことにもなるだろう。しかし巷間では、まったくけしからんと息をまく人と、これくらいで厳しいという感覚の人々と二分しそうだ。違法賭博というのが暴力団だから悪いのか問題もあるし、公営ギャンブルという国家や行政の権力のために民間人が犠牲になるという問題もある。先の選手はスポーツ選手としてふさわしくないとして、マカオでギャンブルした時も、まったく合法であったにもかかわらず注意を受けていたという。それは彼の常習性を匂わせるエピソードであるとともに、それが本当に倫理問題なのかということも考えさせられるわけだ。
結果的にこのような問題は、暗に出る釘は打たれる、ということを表しているように見えることが残念なのかもしれない。オリンピックで活躍できるような逸材で、まさに努力の頂点にいるような人が、その活路の場を失うことになる。人間は努力をしても結局は報われないこともある。それは当たり前のことではあるにせよ、この日本社会が、さまざまな前提はあるにせよ、そのような閉塞的なものである可能性は非常に高い。残念なのは本人もだけれど、そこに住んでいる我々であろう。