CCRCという取り組みのテレビのレポートを見る。英語の単語の頭文字をとった略語だが、日本語だと高齢者地域共同体というらしい。仕事をリタイア後の高齢の人に移り住んでもらい、そのまま介護が必要になっても済み続けてもらうような共同体のような住宅とその地域を指すようだ。まったくそういう考えを聞いたことが無いわけでは無かったが、米国でそのようなコミュニティが実際にあって、そういうものを日本でもやってみようという構想があるようだ。そして、実際に実験的にその取り組みを行おうとしたところがあるようで、しかし結論からいうと、そんなに人が集まらずに、計画通りまちが出来上がってないということのようだった。
もちろん過渡期かもしれないので、将来的に人が集まって、そのようなサービスを受けられるようなコミュニティが完成する可能性が無いわけではなかろうが、現実的にはなかなかこの考えが浸透していないか、もしくは日本の高齢者の支持を必ずしも受けていないのではないかとは感じられた。
将来の不安を抱えたまま、今の地域に点在して暮らしていくより、思い切って健康なうちに移り住んでもらって、住みやすいまちを作ろうという考え方は理想としてよく分かる。効率からいってもそのほうがいい場合も確かに多かろう。
しかしながら問題点の第一は、やはり経済的な問題ではなかろうか。現在住んでいる家が現実的に売れるなどして処分でき、移り住める場所の住宅を余裕をもって買えるような人なら良いかもしれないが、現実的に子供を育てた家というのが、そのまま単純に処分できないというのがあるのではないか。ただでさえ定年後で新たな収入は無い。そういう人が大きな買い物(住宅)が出来るのかというのは、まさに大きなハードルだ。
またご高齢の人を集めて効率的に自宅で介護を受けられるというのは良いことだが、近隣の人々がそれぞれに頼れないということにもつながりそうだ。サポートする体制の組織がそれなりに機能できる程度に収入が見込めなければ、実際のサービスを提供できる体制は整わないだろう。住宅が満杯にならなければ、やはり難しい構想ではなかろうか。単にある程度の土地開発の場所を売ろうということでは、なかなか人自体は集まらないだろう。
高度成長時代の新興住宅地は、そのまま高齢率が高くなって、既に事実上そのような高齢者の共同体的な場所になっているところがそれなりに存在する。買い物難民などの問題は、そういう場所において特に深刻になっているはずだ。結局そういうところにいかにコミュニティを再構築できるのか、という問題がまずあるのではないか。高齢者だけを集めてしまうと、そのような働きが機能しない。要するに、実は集めるのではなく、様々な世代が適当に混在するような場所こそ、人が住み続けるには都合の多い場合が多いのではなかろうか。
いろいろ疑問に思うことは多いのだが、そのまま移り住んだ人がその場所にまた住めなくなるようなことになれば、ちょっと悲惨な感じがするな、と思った。効率の良いと思われる理想郷までは、まだまだ道が遠いのではないだろうか。