連日の地震。本当に恐ろしい。未明の地震は体感の揺れが20分くらい続いたのではなかったか。こんな経験は本当に初めてのことだ。揺れとしては小さなものだが、何度も繰り返して起こる余震は、まったく精神的なダメージとしてボディブローのように効いてくるようだ。
14日の地震を前震とし、今回を本震と位置付けたようだが、本当に今後一週間程度を余震と考えていいものか。そういう不安もよぎる。震度の浅い地震は、共鳴のように他の断層への影響があるという話も聞いたことがある。熊本を震源とする地震と、大分を震源とするものがあるのはそのためなのだろうか。勝手な想像だが、火山の噴火も気になるところだ。
職場の建物は耐震構造としては問題が無いが、震度いくつだから大丈夫ということでは必ずしもないようだ。仮に震度6程度であっても倒壊しない耐震性があると思われる。ということは今回の地震で長崎県の位置を考えると、建物の中にいることの方が安全である確率はかなり高いと言えるだろう。
今日は用事があって佐世保を往復してきたのだけれど、地震に対する温度差のようなものが少しあるのかなという感じでもあった。心配していない訳ではないが、特に話題に上がったりもしない。それはそれで目的が違うので当たり前かもしれないけれど、ちょっと不思議な感覚かもしれない。実は昨日も佐世保だったけど、雑談でちょっと話題が出た程度だったし、やはりそこまで揺れている感じではないのかもしれない。訳あって明日も参りますが、まあ、距離があるのはそれなりに平安かもしれない。
しかしまあ、実際には身の回りで被害が出ているということでは無い。皆怖がっているので話をして、そうして少しくらいは安心してもらえるように心がけるしかない。もちろんここでこれだけ怖いのだから、被災している熊本を中心とする地域は大変であろう。東北の地震の時も心苦しい気持ちはあったけれど、やはり距離感と実感がぜんぜん違うのも確かだ。今はその実感が強くて、地震というのはこんなにも人の心をかき乱すものだということが、ただただ驚きである。相手は自然だから、こちらの気持ちなどはまったく関係が無い。おさまって欲しい思いがいくら強かろうと、そのような人間の思いを斟酌するような対象ではない。そのような無情さの中にあって、人は生きなくてはならない。そういうことをどうしても考えざるを得ない訳で、何かもやもやした不安がずっと頭から離れないのである。
追い打ちをかけるように天気も心配なところである。逃げると言っても限度がある。どれだけ踏みとどまれるか。今が一番で、そしてその後もここにかかっているようだ。