カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

同じものを毎日でいいか

2016-04-24 | 

 食べ物が不味いということで有名な国と言ったら英国であるが、不味いといわれてもそんなに気にしてないような気もする。恐らく宗教的な理由もあってか、食事は栄養を摂ってナンボのもの、というような考え方があるんではないか。それは英国人に限らず、どうもいくつかの西洋の国においては、似たような感覚があるようにも感じる。食事に対するというか美食に対する情熱が薄いというか、特に日常のルーティンとしての食事と、ハレの行事のような時の食事を明確に分けているような感じかもしれない。
 僕はもともと食べないが、朝食にシリアルを食べるという人が居る。有名なケロッグ博士が栄養を考えて考案したらしいが、あれを毎朝食べるような食生活がいいとはとても思えない。
 ちょっと高級なホテルにおいても、朝はコーヒーと茹で卵とパン(これにベーコン程度というところもあるが)というようなところもある。フレッシュジュースもある場合もあるが、それぞれに素材的に高価であるとされるが、きわめて貧相な食事という感じがする。上等な部屋に泊まったとしても、朝から気分が台無しである。
 昼飯をサンドイッチなどと決めている人もいる。それは自由な問題だし、めんどくさいというのもわかるが、やはり同じものを毎日というのに抵抗がある。一時期イチローが毎日カレーを食べるというのがあったが(今はやめているらしい)、あれは毎日同じように努力をするという意味であったようだ。
 昼飯だけでなく、どうもあちらでは大鍋で大量に作った料理などを、一週間くらい毎日食べるような家庭も珍しくないらしい。ひき肉を買ったら毎日ハンバーグばかりなんてことを平気でするらしい。ホームステイをしたという友人からそんな話を聞かされて、恐怖を覚えたものだ。いったいどういう神経なのだろう。
 しかしながら多くの外国人が、日本の家庭料理のバラエティさを、ちょっとやりすぎと感じているという。日本女性(男性もいるかもしれないが)の絶え間ない努力をなんだと思っているのだろうか。しかしながら、そこまで厳密に彩り多くなくてもいいとはちょっとだけは思うけれど。しかし、やはりそれなりに日によって違うものを食べるというのは、習慣づけられた感覚もあるのかもしれない。僕の母は昭和ヒトケタだが、そのような世代から伝わった習慣があるのかもしれない。以前の日本人がいろいろ食っていたはずは無いし、食文化は近代的なものが多いようだ。そういうごくごく近い過去に、日本で何かがあったのだろう。
 考えられるのは勘違いである。西洋的な文化を見て、実は多様な食事を毎日品を変えて摂っていると思い込んだ人たちが多かったのではないか。それが高度成長とあいまって、今のような感じになったのではなかろうか。結局いろいろ混ざってバラエティ化して、毎日が豊かな食生活になったのかもしれない。
 もっとも実際に毎日の食事を写真に撮ってもらうと、それなりに現代人は貧相な食生活であるという調査もあったようだ。お惣菜は作るのではなく買うものだともいう。まあ、そこのあたりは、実際にはずいぶん多様化したのではあるだろうけど。
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