カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

みんな無理をしているが、素直に料理は楽しもう   バベットの晩餐会

2016-04-11 | 映画

バベットの晩餐会/ガブリエル・アクセル監督

 牧師の娘である美しい姉妹が、その美貌から有力な男たちから求愛されながら(おそらくその宗教のために)それを断り、デンマークの小さな漁村の宗教を守っている。そういう場所にフランスから亡命してきたバベットという女性がそのまま家政婦として住み込むことになる。小さな漁村では人間関係がいびつで、小さな争い事が絶えない。宗教心も薄れているようにも感じられる。そういう中で姉妹は父の生誕100周年のささやかな晩餐会を催すことにする。一方で、家政婦が宝くじに当たる。姉妹はこれで家政婦はフランスに帰るものと勝手に思い込む。家政婦バベットは、晩餐会の食事を自分に作らせてほしいと姉妹に申し出る。もちろん費用は自分が出すという。晩餐会前に生きたウミガメをはじめ、さまざまな奇怪な食材やワインなどが運び込まれる。それを見た姉妹は、大変に気持ち悪がって悪夢を見てしまう。招待した人たちにもそのことを話し、晩餐会では食事の話題を一切しないように決める。
 そういう環境下の晩餐会になったのだが、出てくる料理は豪華絢爛であるばかりか、実に見事な味だった。出席者はその見事さに目を白黒させながらそれを話題にできない。しかしギクシャクした人間関係は、いつの間にか打ち解けたものになっていく。
 結論を言うと、これは宗教的な忠誠の物語なのだと思う。若いころには美女としてその将来は、地位のある男たちの要求を受け入れさえすればバラ色の人生を送れたはずだった、という比喩である。そういう中に家族を失って国を追われた実は凄腕シェフだったということを隠していた家政婦がやって来て、さらに宝くじに当たるという幸運に見舞われて、結論を言うとしかし国には帰らないのである。これは姉妹の忠誠に恐らく感化されて、宗教的な忠誠を、引き続きこの家政婦が行うということに意味があるのであろう。見せかけの幸福よりも、人間的な生き方において、そのような美しい宗教的な生き方の讃歌であると考えられる。そうして、地上でもっとも素晴らしい極上の料理は、たった一晩だけの饗宴で消えてしまう。しかしここにいる人間の心の平安は、ゆるぎなく無くなることは無いのだ。
 実に変な映画だけれど、まあ、その上に人間の小さい心の猜疑心なども大げさに描かれ、妙な感慨を抱かされる演出になっている。昔の人は幼稚だが、しかしこのような感動があるからこそ、一生を敬虔に生きていくことが出来たのかもしれない。まあしかし、心の大きな返せないような施しを受けなければその気持ちが分からない人たちというのは、日本人から見ると、ちょっと難儀な人たちかもしれないですね。
コメント
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