カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

若草の萌えるころ

2011-12-12 | 映画
若草の萌えるころ/ロベール・アンリコ監督

 あの我らが永遠の青春憧れ映画「冒険者たち」の翌年に上演されたものらしい。監督さんも一緒ながら、しかしぜんぜんまったく違った世界観の映画に仕上がっている。ほとんどジョアンナ・シムカスのプロモーション・ビデオみたいな感じなんだけど、「冒険者たち」ファンからすると、ちょっとだけ、というか大変にイメージの違う彼女の姿を見せつけられることになってしまう。フランス映画なのでちゃんと服を脱ぐという潔さはあるにせよ、僕のような男にとっては、まったく意味不明な女心映画になっていた。今思い起こしてもまったくなんのことやらさっぱりで、女の人は悲しければ自分勝手になってしまうということなんだろうか。結局誰のことも好きでもなんでもなくて、自分の気持ちがほんの一時紛らわされればそれでいいということなんでしょうか。まあ、分かんなくても特にいいのかもね、という作品ではあるようだが…。
 そういう訳の分からない映画であっても、不思議と彼女の行動の行方が気にならない訳ではない。個人的にはこんなことに付き合うことは無いとは思うが、離れて行ったあとのことは思い悩むに違いない。もちろん後で顛末を聞いたところで、なんじゃそりゃ、で終わりなんだろうけど。怖くて現実を見つめられなくて、そうして家に帰りたくないというのは、おぼろげながら分かる。そうしてそういうことに付き合える男たちの様々な姿も、それなりに面白い。彼女の行動に翻弄されることが、多くの男たちのしあわせなのだろう。その割には皆さんあっさりしすぎではあるのだけれど。
 小悪魔的な魅力の女の子というのはよく語られる題材なのだけど、多くの場合、その主体である本人にも自分の行動が分かっていない場合が多いのかもしれない。自分がそうしたいという強い意志なのではなく、結果的にそうなってしまうということなのかもしれない。それで満足なのかどうかも計りかねなくて、結果的に困らされた事を自慢するより無いのかもしれない。男の持っているマゾ性というものを満足させるのは、そのようなミステリーなのだろう。
コメント
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