訳あってテレビとラジオに出演した。小さいながらも反応はあって、嬉しい半面冷や汗ものではある。家人が録画・録音してくれたものを聞き返してみると、やはりこういうのは改めて難しいものだと反省もする。しゃべっている時も満足感があるわけではないが、聞き返すとさらにみっともないような気がする。もう少し何とかならなかったのか。後悔先に立たず、だ。
出ることになる前に打診があるのだが、この時に「何故俺?」という疑問があるとそれが本番に影響すると思う。スピーチでもなんでもそうだけど、誰だってこういう慣れないものは嫌なのだ。出来れば避けて通る人生を送りたい。もちろん出たい人だって存在するだろうけど、とりあえずは無視して考える。嫌なものだから面と向かって向き合わなければ上手くいかない。その向き合い方が中途半端だと、最初から上手くいかないのである。
実を言うと前回出た時と僕のポジションは微妙に違っていた。今回は本来出るべき人が別にいるのである。後で聞いた話だけど、出る番組を分けただけのことだったようだが、なんとなく、という要素もそこにあったようにも思う。まあ、僕は便利屋のポジションもあるからね。
そういう訳で敗因は自分の中の潔さに陰りがあったせいだと思う。上手くしゃべろうなんて最初から考えていないんだけど、しかしもう少し上手くしゃべられたはずだと考える矛盾はそこから生まれる。
そういえば二年くらい前も同じリポーターの女の子だったわけだけど、今回は格段に本番前の雰囲気が違っていた。もちろん本番も安定していた。当たり前だけど放送のしゃべりのテンションは、普段の会話とはかなり違う。打ち合わせで話している感じと違うので、素人はその感じに呑まれてしまいがちだ。やはり場数が人を育てるんだろうなと、あらためて感じ入ってしまった。もちろん僕らはプロではないし、その水準は誰も求めていないのだろうけど、そういう感覚的なものを少し分かっただけでも、良しとしなくてはならない。
回ってきた仕事に疑問を持たない。自分の弱さから目をそらしてはいけないのである。