カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

100万円の悲しい響きについて

2011-12-23 | 境界線

 友人のターボ君と話していると、時々彼が50円や100円を、それぞれ50万円とか100万円とかいう。そうしてガハハと笑ったりする。そういうのを見ていると、つくづく僕らは年をとったなあ、と思わざるを得ない。ちっとも面白くない上に悲しくなってしまう訳だ。特にターボ君は若いころから純朴な青年であって、僕のような不良行為はめったにしないし、学校の課題などもまじめに〆切りを守るような、偉い、ケナゲな奴だったのだ。そういう人間であっても、いつの間にかそのようなオヤジ言葉を発して喜んだりしている。まさかこんな時代が来るなんて、いったい誰が予想しえたことだろうか。
 年齢的にオヤジになってしまうことは、むしろ仕方のないことである。そういうものにあらがう姿勢というのも、行き過ぎると時にはかえって見苦しい。しかしながら、いつの間にか気付かぬうちに、じっとりと体に染み付くようにオヤジという生物になってしまうことは、本当に恐ろしいことのように思える。人の振り見て、という言葉もあるが、たぶん僕もターボ君と変わらぬくらいには、オヤジ的な所作を会得しているに違いない。そういう恥ずかしさと居たたまれなさを感じながら、人というのは生きていかなければならないのだろう。残酷で悲しいことではあるけれど、それが定めというものなのであろう。合掌。
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