カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今から買っても間に合っている話

2011-12-25 | culture
 FB見てたらクリスマスケーキはイブじゃなくて25日に食べるべきじゃないか、と言うようなつぶやきがあった。25日がキリストの誕生日なんだし、ということのようだ。しかしながら25日がキリストの誕生日ではないことはほぼ明らかなことで、聖誕祭と言うのは後からできた便宜上のことでしかないようだ。実際にイエス・キリストがいつ生まれたかは不明らしいし、実在自体が怪しいと言う話もあるくらいだ。まあ、それらしき人はいたらしいとは思われているが。なにぶん昔の話だからいろいろ書き換えられるのが歴史というものだし。
 その上暦や習慣というのもまたややこしく現代とは違う。今はクリスマス・イブと言うことで前夜祭を祝うんだと言うことになっているけど、以前の西洋では一日の始まりが夜から(暗くなってから)と言うことで、イブはすなわち既に25日だった可能性がある。また、今のような12月の存在自体がはっきりしてないこともあるようで、西暦が今と同じようにカウントするのは案外そんなに昔からではない。そもそも、誕生日を祝ったりはっきりと人々が誕生日を意識して知っていると言うのも、近代的な概念かもしれない。
 そういうわけで25日がクリスマス、と言うことじゃなくて、だいたいこのあたりがクリスマス期間と言う程度のほうが、実情的な話のような気がする。結論からいって、ケーキはいつ食べてもお好きにどうぞ、と言うことではないか。
 コメントしようかと思ったけど、長くなるのでメモしました。
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駅前の歩き方

2011-12-25 | 読書
駅前の歩き方/森田信吾著(講談社)

 寿命の方が短くなってくると、食の方がいやしくなるということはあるような気がする。出張などで名物と聞くと、何が何でも食わなくては!という気分になったりする。しかしながら若い頃のようにはたらふく食えないから、一点集中ということにもなる。一点に集中すると、外れた時の落胆も大きい。調べて行くというのが一番確実なようだが、下手に有名なところというのは予約も難しかったりする。それに変なものだが、そういう手間を掛けるのが面倒だとも思う。それにお勧めの店というのが、駅から遠いのも移動に困る。せっかく来たのにだんだんどうでもよくなってくる。そうしてまあ、酒さえ飲めたらそれでいいさ、という程度になってしまったりする。
 そういう訳で、食い物にうるさいわけでもグルメでもなんでもない。食うこと自体は好きなんだけど、時々一日三食食うのがめんどくさいとも思う。腹が減らなければずいぶん楽なんじゃないかと考えることもあるが、考えたって仕方がない事はあって、やはり腹が減って飯を食う。せっかくだから…、とループする。
 実はめしは旨いにこしたことは無いのだが、時々あんまり旨くなくてもいいんじゃないかと思ったりする。長崎県に住んでいるので普通に魚介類が旨いということもあってあんまりありがたみが無いせいもあるのだろうが、めしはまずくない程度に食えるだけでありがたい。それにいくら旨いものだと言っても、続けて食っていればいつかは飽きる。適当に毎日ばらついたものにありつけるというのが一番の理想なのだろう。
 食にまつわるいろいろなエピソードを交えての人間模様を描いているわけだが、彼らの求める常食というのは、その字の通り、注意しなければ人間模様にうずもれて気にもかけない普段着のものでありながら、ちょっとばかり個性的な食べ物の紹介になっている。焼きそばの類からぜんざいのような甘いものまで、いわゆる最近流行りのB級グルメのようなものかもしれない。
 長崎からはトルコライス。学生の頃は、それこそ駅前の喫茶店のようなところで普通に食っていたけど、いつの間にか食わなくなってしまった。不思議と適当にまずいのが良くて、最近は洗練されておしゃれに旨いものが増えて、だんだん食指が動かなくなってしまった。考えてみると確かに変な食いもんである。
 もうつぶれてしまって無くなったのだけど、学生の頃に看板の無い食堂(実際は「ももや」というらしかったが、看板は無かった)があって、そこの650円のトンカツ定食の大ファンだった。650円は学生には大金だから、お金のある時だけの楽しみだった。そこは交通の不便なところにあったので、作業着姿のオヤジや学生ばかりが食いに来ていた。ほとんどは漫画のページをめくりながらがつがつ食うたぐいのところだ。でかいトンカツをたらふく食えるというのが何より楽しみであるにせよ、僕はココのポテトサラダが好きだったような気がする。刻んだキャベツの上にでかでかとトンカツが盛り付けてあって、そのトンカツをさらに山高く盛り上げているのがポテトサラダだった。トンカツの衣とかソースなどが混ざって純粋さに欠ける訳だが、これだけでも結構食べがいがあった。ポテトの中にハムときゅうりと卵が入っていた。人参は無かったと思う。もともとマヨネーズも入っていたはずだが、キャベツを食うためにテーブルには業務用のマヨネーズも乗っていた。ドバドバ掛けても特にとがめられなかった。少し遅めの昼時に入ると、おばちゃんが「ポテトが余ったらすぐに腐る」とかいって食べている皿の上に追加でポテトサラダを盛ってくれる事があった。それも本当にドカッとおいてくれるので、嬉しいが食うのが苦しくなるくらいだった。せっかくだからとても残せない。サービスなのだが、あんまり遅くなると行けないな、などと友人と話したものである。
 まあ、そういう訳で、若い頃がたくさん食えて楽しかったなあ、とは思う。あんまり量が必要で無くなってしまったけれども、適当にあんまり旨くない食堂が普通にあるようなまちに住めるしあわせを、改めてかみしめてみるのも悪くないのではないだろうか。
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