カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ココシリ

2011-12-04 | 映画
ココシリ/ルー・チュー・アン監督

 人間による乱獲などで絶滅してしまった動物はどれくらいいるのだろうか。また人間が持ち込んだために問題になった外来種の事などもある。そういう経験を経て、いわばその罪滅ぼしも兼ねて、厳しく密猟を取り締まるという背景もありそうな気がする。最終的に密猟で罰せられるのは、密猟によって生計を立てている現地の人間なのかもしれない。そういう社会的な縮図が描かれていて、そうしてこれは実話をもとにしているということもあり、なんとも考えさせられる内容なのである。密猟が悪いことであるのは絶対的にそうなのだろう。しかしそれを厳しく取り締まることは、本当に絶対的に正義なのだろうか。
 僕自身は人間の命こそ地球上で一番大切なものだとはぜんぜん思っていないけれど、しかしこのような事で人間の命が削られていくという現実があることに、どうにも納得が出来ていないようだ。絶滅が危惧される動物であるとか、世界遺産のような文化的な遺産などを大切に守っていこうというのは政治的には賛同するし、まったくもって良いことなんだと思うが、しかし、その守られている生物なり文化のある現地の現在の状況を、同時にどのように対処するのかというのは大変に両立がむつかしい問題のようだ。
 ここではチベットカモシカという動物の毛皮が高値で取引される為に、他に現金の収入を得る機会の少ない現地の人たちが、まさに命を懸けて密猟している。そうしてその密漁者を取り締まる人達も、まさにサバイバルというか命懸けで密漁者を追うのである。大自然の中の小さな小競り合いにも見えない事もないが、命がかかっているので当然壮絶である。しかしそれはすべて、人間が勝手に人間社会で作り上げた理屈の上の戦いなのである。いわばその状況自体が、自然と人工の戦いに他ならない。自然は人間という動物の前にひたすら過酷に自然のままだが、そこで命を削る人間たちは、自分の都合や信念でうろうろしているようにも見える。それを見ている僕ら人間も、そういう状況をどうすることも出来ない。いや、これを見た後にどうするのかは考えどころなのだが、多くの場合、ただ見ただけのことだろう。最終的にはそういう人間の対応こそが、実はもっとも残酷なのかもしれない。人間とは本当に罪深いのである。
 もちろんそれは自分自身の感想なのだが、だからこそ罪滅ぼしに、また多くの人に見てもらいたいとも思う。そうしてこの複雑な心境を是非とも共有してもらいたい。少なくとも自然保護というものの一方的な善意の影に、実に人間臭い偽善が潜んでいることくらいは自覚すべきなのであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする