マイ・ファニー・バレンタイン

2021-02-01 | 【樹木】エッセイ

 新型コロナウィルスのせいばかりではないが、美女と酒を酌み交わす機会が少なくなってしまった。これは、まぎれもない不幸であるが、おうち時間が長くなったことによって得たものもある。
 かつて集めたモダン・ジャズのLP、CDを片っ端から聞き直した。それが契機で、これまで聞くことのなかったミュージシャンにも関心が広まった。
 広まったのは、年齢のせいが大きいと思うが、激しさや奇抜さがなく、静かで、癒やし系のジャンル。
 その中で、ジェリー・マリガンの「ナイト・ライツ」がなんとも気持ちを落ち着けてくれ、今では、就寝前に聞くようになった。
 もう一曲、チェット・ベイカーのトランペットによる「マイ・ファニー・バレンタイン」も静かなムードでよく聞く。
●あなた大好き!
 「マイ・ファニー・バレンタイン」は、もとは「ベイブス・イン・アームス」と言うミュージカルの中の歌で、一九三七年に作詞・作曲されている。
 その後、ジャズのスタンダード・ナンバーともなり、多くのミュージシャンに歌われ、演奏されている。
 「わたしの彼は、特別カッコいいわけじゃないけど、大好きよ」と言うような歌詞で、女性から男性に向けた恋歌なのだ。
 世の中、醜男、凶悪な男にも寄り添う女がいるもの、女性の優しさははかり知れない
  ヴォーカルでは、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンのが有名である。でも、出色は、トランペット奏者のチェット・ベイカーがやさしい声で歌うもの。シャイな青年のおもむきで、男だって魅せられてしまうから、女性はもちろんと言うところだろう。
 だけど、人の声が煩わしいこともある。そんな時は、彼が、ジェリー・マリガンのバリトン・サックスとともにトランペットを奏でるのを聞くとよい。どこかさみしげな音に、思わずひきこまれてしまう。これが夜の愛聴盤。
●恋の予感
 また、この曲は、マイルス・ディビスのトランペットのも素晴らしい。
 マイルスには、曲名そのものをアルバム名にしたのがあるが、わたしは一九五六年の「クッキン」なるアルバムに収められたのが好きだ。ミュートを効かし、孤愁ただよう絶品である。
 ひとりさみしく歩く夜の道だけど、それだけじゃない、ほのかに芽生えた恋の予感・・・そんな思いを誘う音である。
 その他に、ピアノのビル・エヴァンスとギターのジム・ホールによる「アンダー・カレント」と言うアルバムに収められたのが定評がある。
 だけどこれは、二人のインタープレイの凄さに圧倒されて、曲自体を愉しむには向いていないように感じる。
 曲そのものを楽しむには、オーソドックスな演奏で、ジャズの愉悦にあふれているピアノのエディ・ヒギンズのがいい。
 ヴィーナス・レコードからの発売で、そのジャケットはどれも、美女をモデルにしたもの。ランジェリーが透けていて、なかなかエロチック、つい見つめてしまうのも。
 新型コロナウイルスは、新しい愉しみももたらしてくれた次第です。

(月刊誌「改革者」2021年1月号掲載)