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瞋恚を助けて賜び給え

2019-08-22 | 読書
 久しぶりに、能の関係の本を開いた。
 松岡心平著「能の見方」(角川文庫)だ。
 謡曲「重衡(笠卒塔婆)」のことが書かれている部分を改めて読んだ。
 今度、奈良へ行く機会があったら、奈良坂へ行ってみようと思った。
 奈良坂は、今はどうだか知らないが、般若野と呼ばれるところにあり、いにしえの都を一望できる場所である。
 南に、西大寺、東大寺、法華寺、興福寺、不退寺、飛鳥寺(元興寺)が眺められる。
 そこは、平重衡が、南都焼き討ちの命令を出した場所であり、首が晒された場所である。
 古寺である般若寺があり、そこの大卒塔婆の前に晒されたと伝えられている。
 斬首されたのは、木津川の畔だそうだ。
 そう遠くないところだ。
 重衡は、寺を焼き、その魂は、奈良坂をさまようことになる。
 謡曲では、そういうことで、重苦しさに終始する。
 人の罪業や弱さについて、思わずにはおられない。
 「瞋恚を助けて賜び給え。瞋恚を助けて賜び給え」と。

憂愁のローマ皇帝

2019-07-03 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話のひとつ「マルクス・アウレリウス」を読んだ。
 180年3月17日に、58歳で没したローマ皇帝マルクス・アウレリウスである。
 かつて、アウレリウスによる「タ・エイス・へアウトン(自省録)」を神谷美恵子訳の岩波文庫で読んだことがある。
 中味のことは、すっかり忘れている。本棚においてあって、いつも気にはなっているが、改めて読もうとは思わぬ一冊となっていた。
 山本著には、その自省録から、幾つもの箇所がピックアップされて、載っている。
 なかなか読ませるところがあり、何かの機会に手にとろうかと思わせるところがあった。
 自分を君と呼び、語りかけているのだ。
 そこに浮かび上がるアウレリウス像は、己をみつめ、死を想う愁いにみちたひとりの男である。
 そして、あくまで皇帝であって、学者ではない。アタラクシアを求め、ストア哲学のドグマを実践しようとする姿が見て取れ、散文詩人に近い。
 戦陣にあって書き留められたものである。
 アウレリウスは、酒を飲んだのだろうか。
 酒で憂いをはらすことはあったのだろうか。

ギリシア文化の移植者

2019-07-03 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話のうち、22話を読んだ。
 ローマのコンスルもつとめた有名なキケロについては、その浮き沈みの多い生涯のことでなく、次のことだけおぼえておきたいと思った。
 この書では、キケロの思想は、独自のものではなく、ほとんどプラトンの借り物であるとあった。これがひとつ。
 そして、その「功績」をあげるなら、ギリシアの文化をラテン語の「衣服」によって、ローマをはじめヨーロッパ各地に伝播させたことと言えるのでないかとあった。
 つまり、キケロ自身も「自分はギリシアの哲学をローマの着物につつんで同胞につたえようとする者である」語っていると紹介されていた。
 以上の二点である。
 キケロの著作は、文庫本などでもよく出ているが、もし、思想的なことを学ぼうとするなら、手に取ることもないと言うことになる。
 「・・・・の衣服をまとって・・・」と言う表現、ちょっと気になる。

ヘレニズム期の哲学者たち

2019-06-28 | 読書
 ヘレニズム期の哲学者について、ほとんど名前だけだが、諸派別に記しておこうと思った。
 ヘレニズム期と言うと、アレキサンダー(BC356~BC323)による大帝国の時代になる。
 アリストテレスが、アレキサンダーの師であったわけだから、どういう時代的流れにあったを伺い知ることが出来ると思う。
 「よみがえる古代思想」(佐々木毅著・講談社学術文庫)、「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)を参考にした。
 各派の後に書いたのは、その生きるスタイルの全体的な印象である。
 社会との関わりのスタンスがポイントになっているように思う。
 人は群れを成す動物であり、社会とは無関係には生きれない。
 だけどそれは、さまざまなかたちがある。
 そう思うと、あとは、個人の好みの問題となろう。
 以下は、代表的な4派。備忘のためのメモのようなもの。
 1.キュレネ派(楽しく生きる)
   ・アリスティッポス(ソクラテスの弟子、キュレネ派のはじまり、快楽論者)
 2.キュニコス派・犬儒学派(自然に生きる)
   ・アンティスネス(キュニコス派の祖)
   ・ディオゲネス(樽の中の哲人、アンティスネスの弟子、犬のディオゲネス)
   ・クラテス(ヒッパルキアの夫)
   ・ヒッパルキア(馬を御する女、クラテスに惚れる)
 3.エピクロス派(静かに生きる)
   ・エピクロス(エピクロスの園、アタラクシアとアポ二ア)
   ・ランプサコス(エピクロスの愛弟子)
    エピクロス学園の仲間たち
 4.ストア派(正しく生きる)
   ※ストア派の人たちは、紀元2世紀までの長い期間に及んでいる。
    ローマ時代からヘブライズム(キリスト教)が支配的となるまで。
   ・ゼノン(ストア派の創始者)
   ・キケロ(BC106~BC43)
   ・セネカ(イエス・キリストと同時期、皇帝ネロとの関係、自死)
   ・エピクテトス(ローマのストアの徒)
   ・マルクス・アウレリアス(121~180、皇帝、自省録)
 ストア派には、何だか興味がわかない。
 まじめに、正しく生きるには、どうするかは、社会生活の中で重要だろうが、おもしろみがないのでないか。
 それに、単なる世俗の思想、処世の知恵になりそうな気がして。
 孔子より、老子に関心を持つ者としては、そう言う風に思う。
 講談社学術文庫に、岩崎允胤による「ヘレニズムの思想家」と言う本があったようだ。
 今、本屋にはない。たまたまの古本市で探してみたが無かった。
 いつか、入手し読んでみたいと思っている。

血管を切るセネカ

2019-06-26 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話の中の「セネカ」の話を読んだ。
 ストア派のセネカは、イエス・キリストとほぼ同じ頃に、スペインのコルドバで、裕福な家庭に生まれている。そして、子供のうちに、ローマに移り住んでいる。
 時代は大きく動いていた。ローマ文化が爛熟・没落を始め、キリスト教が台頭してきていた。山本著は、「西洋哲学史に引きつけて言うと、ヘレニズムとヘブライズムとの争い」の時代と言っている。
 ローマ総督ピラトのもとイエスが十字架につき、その後、伝道にあった使途ペテロやパウロが殉教の死を迎えた時代である。
 セネカは、小さい頃から勉強家で、弁護士になり、高級官吏になる。そして、皇帝ネロの摂政の地位にもついている。
 時とともに、ネロの所業は狂気じみてきて、実母をはじめ気に入らない者を次々と殺しだした。セネカは、そんなネロにそばで仕えていたわけだ。同情的に見れば、離れたくても離れられない関係になっていたとも言える。セネカは財を成し、世の不評をかうようになったとのことである。
 その後、引退し、ようやく静かな暮らしをおくることが出来るようになる。
 そんな中で、「人生の短さ」や「幸福なる生活について」等が書かれた。
 「この私と言えば、悪の深みにあるものである」と語っているとか。自分の罪を深く自覚していたようである。
 その後、皇帝ネロの不興をかい、セネカを亡き者へとの使者が送られた。
 セネカは死を覚悟する。腕や足首、膝の血管を切ったが死にきれず、毒人参を飲むが、それも効かず、熱湯の風呂に入りもし、最期はサウナのような熱気の中で息を引き取ったとのことである。
 セネカは、引退後に、友人宛に手紙をよく書き、その中には、エピクロスの言説について、「神聖で、正しい教え」と言っている。ストア派とは、対立的にとらえられるエピクロスを讃えているのである。柔軟な考えを持っていたと言えるのだろう。
 エピクロスが好きな私としては、いささか嬉しい。
 セネカの生涯は、恵まれた家庭に育ち、すばらしい頭脳によって成ったものと言えよう。また、政治権力の渦中で、その利得にありつくとともに、多くの精神的苦痛をも味わったと言えよう。
 ただ、最期まで良心を失うことはなかったとも言えようが、権力や財力の果実を存分に味わっているのであり、全体としては、なさけないと貶されて当然でもあろう。
 関根氏は、この話の末尾で、「少なくともセネカは人間の弱さをみずからの体験から学びとった」と言っている。
 人間がいかに小さく弱い存在であるかは、セネカのことを持ち出すまでもなく、知れたことではないか・・・私はそう思っている。

二人のゼノン

2019-06-25 | 読書
 古代ギリシアの哲人に二人のゼノン。
 エレア派のゼノンとストア派のゼノン。
 エレアは地名、ストアは柱廊のことで、アテナイの市場のストア・ポイキレと呼ばれた場所である。
 前者のゼノンは、パルメニデスの弟子。
 パルメニデスは、「有るもののみあり、有らぬものは有らぬ」と主張した。
 「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)では、「有らぬものから有るものへの移り行きとしての成るを否定した」と解説されている。
 そして、弟子のゼノンは、「アキレウスは亀に追いつくことを得ない」との考えを示したことで有名。
 少しでも先にスタートした亀を、兎は決して追い越せないと。
 ストア派のゼノンは、快楽主義のエピクロスに対比され、禁欲主義のゼノンと言う見方をされるが、そのレッテルには、注意が必要のようだ。
 このゼノンが、マケドニア王のアンチゴノス・ゴナタスからの手紙への返信文とされるものに、次のようなところがある。山本光雄氏の訳である。
 「・・・・衆人の称揚やまざる快楽を避くる者はその資性のみならず意志によりて高貴に向かうは明らかなるところに候」
 さて、不安から解放され、魂の平安を得ようとするところは、エピクロスもゼノンも同じでないかと思うのだが、どうだろうか。
 ストア派は、自殺を禁じなかったそうだ。それで、自殺者が多数出たそうだ。
 「運命論」的なところもあったそうだ。
 ストア派には、とてもまじめな人たちという印象をもってしまう。
 当時、人気を博したそうだけど、おもしろみに欠けるように感じる。
 その流れをくむ哲学者に、エピクテトスがいる。

アリストテレスの言説

2019-06-24 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話のひとつ「アリストテレス」の話を読んだ。
 アリストテレスと言えば、プラトンにつらなり、アレキサンダー大王とも繋がりのあった超エリート哲学者と言うのが、全体的な印象だ。
 高校生の頃、田中美知太郎の「哲人たち」的な本を読み、哲学に関心をもったことがある。プラトンの著作を何冊か読み、より学術的とみられたアリストテレスの「形而上学」や「政治学」を手に取ったことがある。
 何か、自分の人生のプラスになるのでないか、それにかっこよさそうだからと。
 だけど、すぐさま、自分の基礎教養では手におえない、それにおもしろくなさそうだと、読むのをやめた。その状況は、今も続いており、近づこうとは思わない。
 山本著の「ギリシア・ローマ哲学者物語」は、哲学者たちのエピソードが中心なので、読むことが出来た次第である。
 折角、読んだのだから、アリストテレス言説のひとつでも憶えておこうと思った。
 アリストテレスは、「希望の定義を求められて『目をさましている者の夢だ』と答えた」とあった。何かの話をするとき使えそうだ。

プラトン出生の噂

2019-06-19 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)をぽつぽつ読み進んでいる。全29話のうち、順番通りではないが、12の話を読み終わり、13話目で、「プラトン」を読んでいる。
 プラトンの出生にまつわる噂のことが記されている。
 父のアリストンが、許嫁のペリクチオネと交わろうと迫るが、ことを果たせず、あきらめたところに、アポロン神の姿を認めたとのこと。
 ペリクチオネは懐妊、プラトンを生む。アリストンは、プラトンが生まれるまで、ペリクチオネと接することはなかったとのことなのだ。
 プラトンを神の子と思わせようとの意図ゆえか。
 この噂の出来事は、イエス・キリストの生誕より、ずっと昔のことである。

禿げ頭のパウロ

2019-06-13 | 読書
 「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)をところどころ読んでいる。
 「前編 哲学者の笑い」として、15話、「後編 哲学者の憂い」として14話が収められている。哲学者たちのエピソードが、興味がそそられるかたちで語られる。
 昨日は、「後編」の「第8夜 X氏」を読んだ。
 「X氏」とは、いわゆる哲学者ではなく、キリスト教の伝道者であるパウロであった。
 アテナイのアレイオス・パゴスでのパウロの演説が載っていた。
 パウロの外貌については、「丈は低く、身は痩せ、頭は禿げ上がり、両足はやや曲がり、怒り肩で、出目、鷲鼻の顔は陽焼けしている」とあった。
 そして、パウロを取り上げた理由として、「イスラエルの片田舎に発祥したキリスト教がギリシア語を宣伝の武器に用い、ギリシア哲学を受け入れることによって世界宗教となり得た所以を理解してもらうためだったのだ」と説明されている。
 多神教のうちにあったギリシア文化における利用価値のある部分を切り取りつつ、一神教たるキリスト教の教えを上書きしていくような手法がとられたとあった。そのようなやり方であったからこそキリスト教が広まったと。
 新約聖書には、パウロによる手紙が幾つも収められるいる。その手紙は伝道を目的としており、キリスト教の何たるかをパウロの理解で示している。パウロの思想がそこにある。
 もってまわったような表現が多く、分かりにくい面がある。
 いわゆる進歩的文化人と呼ばれる人たちの表現方法に共通するものを感じる。そう言うのをありがたがる人は案外多い。

「瘋癲老人日記」

2019-04-18 | 読書
 久しぶりに、小説を読んだ。
 谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」。
 前に読んだのは、半世紀近く前か。
 老人の記す日記がとぎれたあと、看護婦の看護記録があって、その中に、精神科医の意見と言うことで、主人公について、次のようにある。
 「・・・・老人の病気は異常性慾と云うべきもので、目下の状態では精神病とは云えない、ただこの患者には情慾が常に必要であって、それがこの老人の命の支えとなっていることを考えると、それに適応する取り扱いをしてあげなければいけない、・・・・」
 情慾が命の支えになっているという見解、そんなものなんだよな。

愛と残虐のギリシア神話

2019-01-14 | 読書
 早瀬まひるなる方による「神々の秘密にふれるギリシア神話・愛と美と残虐の世界」(1999年7月、青春出版社発行)を呼んだ。
 ギリシア神話から、18の物語が取り上げられ、著者の脚色もあって、やさしく読み進められるようになっている。
 西風にはこばれるプシュケにはじまり、白い烏に見張られるコロニスまで。コロニスの話では、もともと白い色をしていた烏が、黒い色になった経緯が語られていた。
 この本は、古本屋で廉価で手に入れたものだ。

耳と耳の間に

2019-01-04 | 読書
 早坂文雄作曲の「ユーカラ」(山田一雄指揮、日本フィルハーモニー交響楽団、fontec)を聞きながら、知里幸惠編訳の「アイヌ神謡集」(岩波文庫)を読み終えた。
 自然、神、人間が混交した世界が繰り広げられている。
 谷地の魔神は射られると、「大きな竜の耳と耳の間に」。
 悪戯好きの獺は、犬に噛まれて、「大きな獺の耳と耳の間に」。
 こんな具合に、この世の命を失うと「耳と耳の間」に、自分を見つけることになる。
 独特だけど、なんだか、そうかと思わせる詞曲。
 狐は、「石の中ちゃらちゃら 木片の中ちゃらちゃら」と歩き、海辺に鯨らしきものを見つけたりする。
 写真は、夕暮れの由比ヶ浜で。

「霽月記」02

2018-05-15 | 読書
 東出甫国の小説「霽月記」をたのしんでいる
 三分の一くらいまで読んだ
 おさな友だちの書いたものには、独特の感じを抱く
 彼の心の動きや息づかい
 同じふるさとへの思い
 さらに、小説の構成も
 ストーリーの流れの工夫
 彼の心や頭のなかを知らず知らずのぞきこむような
 なんだか体感的に受け止めているような自分を感じる
 五月もなかばになった
 今朝、今年になってはじめて杜鵑の声を聞いた  

“万象”

2017-11-17 | 読書
バタイユは「大天使のように」つぶやいた
“真実は虚偽の戯画”と言うが
“虚偽は真実の戯画”であってもいい
“万象は陽気な自殺”と言うが
“万象は陰気な昂揚”であってもいい

大天使のように

2017-11-09 | 読書
昨夜、ジョルジュ・バタイユの詩集を開く。
生田耕作訳「大天使のように」。
あいかわらず意味不明の言葉がならぶ。
そう言うのに、接したかったのだ。
単語を別の言葉に置き換えて想像する。
そうすると、自分が見えたりする。
そう言うことをしたかったのだ。