禿げ頭のパウロ

2019-06-13 | 読書
 「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)をところどころ読んでいる。
 「前編 哲学者の笑い」として、15話、「後編 哲学者の憂い」として14話が収められている。哲学者たちのエピソードが、興味がそそられるかたちで語られる。
 昨日は、「後編」の「第8夜 X氏」を読んだ。
 「X氏」とは、いわゆる哲学者ではなく、キリスト教の伝道者であるパウロであった。
 アテナイのアレイオス・パゴスでのパウロの演説が載っていた。
 パウロの外貌については、「丈は低く、身は痩せ、頭は禿げ上がり、両足はやや曲がり、怒り肩で、出目、鷲鼻の顔は陽焼けしている」とあった。
 そして、パウロを取り上げた理由として、「イスラエルの片田舎に発祥したキリスト教がギリシア語を宣伝の武器に用い、ギリシア哲学を受け入れることによって世界宗教となり得た所以を理解してもらうためだったのだ」と説明されている。
 多神教のうちにあったギリシア文化における利用価値のある部分を切り取りつつ、一神教たるキリスト教の教えを上書きしていくような手法がとられたとあった。そのようなやり方であったからこそキリスト教が広まったと。
 新約聖書には、パウロによる手紙が幾つも収められるいる。その手紙は伝道を目的としており、キリスト教の何たるかをパウロの理解で示している。パウロの思想がそこにある。
 もってまわったような表現が多く、分かりにくい面がある。
 いわゆる進歩的文化人と呼ばれる人たちの表現方法に共通するものを感じる。そう言うのをありがたがる人は案外多い。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿