銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ワラジ

2007年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1830 写真は先般の米米フェスタにて印旛・グリーブさんで購入したワラジ。80代の方が編み込んだ作品です。こういうのこそ知恵の結晶であり、地域内に後継者がいるが故に継承される伝統だと思います。購入される方は東京、千葉の方が多く、観賞用、インテリアとしてですか?と質問すると、とんでもない、履くんです...。これ履きなれたら、スリッパ履けないです。東京のマンションで、我が家は全員ワラジです。健康効果もあるようですよ。そうおっしゃっておりました。この方、毎週通って編み方まで教わったそうです。実はこういう方々増えております。核家族化で生活の知恵が継承されなくなった反作用でしょうか、週末たびに田舎に帰り、子供と一緒に料理や写真のワラジなど生活の知恵を吸収しようとしておられます。千葉は最東端の銚子ですら2時間足らず。南端の千倉あたりでも2時間ちょっと。北海道や九州に毎週。というのは難しいでしょうが、千葉はじめ関東周辺では毎週末に通う。というライフスタイルが十分可能なんです。経験則から、上京後10年も経つとその2時間が億劫になるという事は分かっておりますが、お子さんが出来た方などは、その時点でライフスタイルを一変させる方も多い。自らは田舎育ち、子供は都会のビル群で尖った精神世界を構築してしまうのではないか?という危惧があるそうです。親のいう事を全く聞かなくなったという小学生のお子さんをお持ちのお父さん、まず自らが釣りの仕掛けや、ロープの結い方、火の起し方....、こういうの覚え、子供の前で見せ付けたそうです。そうするとアラ不思議。言う事聞かなかったお子さんが、お父さんは格好いい....。となったようです。水産業、畜産業にもその産業独特の知恵があります。私の同級生の漁師は毎週末、近隣の子供を集めて、ロープの結い方なんかを教えている(むろんボランティア)大人も一緒になって学んでます。65歳以上の方々で結成するボランティア組織はそれらを見守り、お母さん方は田舎料理を教わる....。ロープの結い方教わったって....という方もいるかと思いますが、何時何処で役に立つか分からないんですね。何よりも一緒に学ぶ。この精神的な充足感....。金払ってんだ、しっかり教えろ。そんな方々には分からないでしょうね。


ワタリガニ

2007年10月15日 | 銚子の魚

Img_1829 写真はワタリガニ。正式名称はガザミというようですが、銚子ではワタリ、ワタリと呼んでます。写真は近海小型底引きにキンチャクガニ(幻のカニ参照)と一緒に入っていたもの。キンチャク同様。このワタリも希少になってしまい、もはやこれら近海モノがスーパー等で並ぶ事は無いだろうとの事。殆ど高級割烹料理店などに行くようです。あとは銚子市内の飲食店に.....。ワタリガニは東京湾辺りでも一般的だったようですが、最近はどうなんでしょうか?聞くところによると国産は殆ど無く、輸入物ばかりなんだよね~。という事らしいのですが。カニというと、タラバだ、毛蟹だ、上海蟹だ...とそんな名前ばかり叫ばれる昨今ですが、本来なら最も身近なワタリガニなどが、高級品になっていく様は寂しい限りです。子供の頃はこんなカニのどこが美味いんだろうと思っておりました。大人になってやはりカニは美味い。と気付き、あの甲羅のところに酒を注いで....と考えていたら、前浜で上がるカニは超貴重品としてなかなか口に入らなくなった....。利根川の浄化運動に携わる方々が、理屈を抜かさず、ただ利根川で上がるウナギの“うな重”が食いてえんだよね。と言っていた事を思い出します。カニの不漁に付いては諸説あるようですが、海が綺麗になってカニが増えるなら....。先日、食い気の胃袋ばかりではなく、心の胃袋を豊かに...なんて生意気な事を抜かしましたが、やはりカニは美味いです。潤沢に揚がっていたものが揚がらなくなるのは尋常ならざる話。何かの因果が有るのでしょうが、仕方ないと嘆くばかりでなく、何か具体的なことが分かれば、あのカニ食いてえ~、と言う方々、率先して動くでしょう(私もですが)。このブログの読者には水産、海洋生物の専門家もおられます。何か具体的なお話有れば是非投稿願います。


彼岸花②

2007年10月14日 | 

Img_1837 Img_1841 彼岸花は名前の如く、9月の彼岸の頃に咲く花。別名:曼珠沙華(まんじゅしゃげ=仏教で言う“天上の花”の意) 花のある時に葉は無く、葉のある時に花は無いという不思議な花で、相思花(花は葉を思い、葉は花を思う)とも呼ばれるとか。根っこのところに毒があり、それが病害虫から田んぼを守るという事で、たんぼのあぜ道に植えられる事が多いと聞きました。田んぼだけでなく、至るところで見られる花のようです。東京でも半蔵門あたりの皇居斜面に群生して見えると東京の知人からも一報頂きました。田舎に住んでいるから見ることが出来るのではなく、東京でも普通に見ることが出来る...。東京に17年もいながら、ああ、彼岸花が咲いているな~。という心の余裕が全く無かった自分を恥じるばかりです。今は余裕タップリなので...というウソは書けませんが、季節ごとの風景に大きな関心を持つようになっては参りました。不思議なもので、これらに関心を持つようになると、余裕とまでは行かずとも、心が落ち着くような気がしております。彼岸の季節は、サンマに新米、彼岸花.....。食い気ばかりでなく、心の胃袋も豊かに....。そう思っております。彼岸花はその美しい姿とは裏腹に、根っこの毒で病害虫から田畑を守る....。花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、根っこは見えねえんだな~。相田みつをさんの詩にそんなのがありました。確かに根っこは見えねえんだな~。でも、根っこがなけりゃ根無し草....。地域に根を下ろして、すべての現実を受け入れながら活動する事の意義、人の情け、仲間の励まし...時々面白く無い事?多数....。でも、ふと立ち止まって彼岸花が咲いてるぞ。綺麗だな。と思えるようになった自分がここにおります。


彼岸花①

2007年10月13日 | 

Img_1840 人は男に生まれない。社長にも生まれなければ、いわんや部長、課長、農家、水産業者にも。...なるんです。その過程で、様々な経験をする。当然失敗もする。無駄な事など一つも無い。失敗を恐れて前に出ないヤツが、懸命に活動している人間を笑う資格はないんです。俺は~だ。と言ったところで、裸になってしまえば、その無力感に打ちひしがれる。自尊心が強ければ強いほど立ち直れない。そうなるのが恐いから前に出ない。どんどん縮小均衡していく....。肉体労働したって.....円だろ。なんてくだらないモノサシで人を判断する事は無いんです....。過剰反応か?とも思いましたが、最近、農業、水産業に従事する者に対して侮蔑的ともいえる言葉を投げつけた方がおりました。そんなの無視していれば...という事で終りなんですが、毎晩、静寂の中でブログを更新しながら1日を振り返るのが日課になっております。思い出しただけで怒りが込み上げてくる...。(と同時に、やる気も漲って参りますが...)感情任せのブログゆえ、読むに耐えない内容も多いかと。何卒ご容赦を。さて、頭にくる話はこの辺で。知人からあぜ道の彼岸花が綺麗だぞ。という話を聞き、納品のついでに見て参りました。確かに見事な風景です。彼岸花なんて、名前くらいは知っていたかもしれませんが、東京在住時代はほとんど縁のない花。出張時の車窓や、休日の遠出などで見ていたのかもしれませんが、殆ど記憶に残っていない....。教えて頂いた場所に行ったら、農作業中の方々がいて、あっちの方が綺麗だぞ....、と田んぼの奥に案内して頂きました。取り留めない話を30分位しながら、お前はまたそんなところでサボってるな....という声が聞こえるかもと思いながら、果たしてこの30分は無駄な時間だったのだろうか?と自問しております。いや....全然無駄じゃない。少なくともこの場にいた30分、心は大変清々しくリラックスしておりました。続きは明日。


人は男に...②

2007年10月12日 | イベントに参加

Img_1764 食べるために、生きるために豚を殺す。“かわいそう”なんて綺麗事を言っていられない...。殆どの世界で分業が進んでいるので一般人が豚を殺す事はない(日本では法律で禁止されてます)...。昨日、欧州のある地域の儀式について(豚を殺す)書きました。この過程を経て、男の子が男になる....。この国、俗に先進国、一流国と言われている国であります。余談ながら世界の一流国はすべて食糧自給率が高い。100%を越えているところも多いです。一流の国や人は言葉の使い分けも心得ている。自分達が出来ない農作業をしてくれる人、家畜を殺し肉にしてくれる人、魚を獲ってくる人、それらを加工したり運んだりする人....。高齢でも肉体労働しなきゃならない状況があるんです。でも、逞しく皆頑張っている。少しでも心があれば、それらの人に向かって、“かわいそう”だなんて絶対に言わない。言うべきは“有り難う”です。“かわいそう”と思うなら、自分がそれをやればよい。“具体的に”お年寄りの背負っている荷物を持ってから言え。それが出来ないなら何も言うな!黙ってろ。地域の若手は自分達で様々な価値観を創り出し、損得勘定よりも先に仲間や地域を想っている人も多数存在する。そんなのウソだ、と言うなら、その人はそう思っていれば良い。協力してくれなんて言わないから、燃えてる奴に水を掛けないでくれ....。そんなところですかね。昨年、銚子港で数十年ぶりというサバの大豊漁がありました。漁場が遠く、水揚げが行われたのが午後3時、4時....。最終は10時、11時...。深夜に及び、前浜の水産加工業者さんは、“それから”作業を開始する訳です。せっかくのサバ、迅速に処理しないと腐りますから...。終了は深夜どころか翌朝になる事も...。サイズ別、魚種別に選別し、箱詰めし、急速冷凍....。絶え間ない肉体労働の連続です。そのサバが食卓でお馴染みの味噌煮になったり、塩サバになったりします。定食屋さんで1000円の味噌煮定食、スーパーで塩サバ198円.....。1000円、198円出せば“買える”訳ですが、豚同様、その前の過程には壮絶な労働があります。身をもって経験しました。大変な仕事してるんだから理解して....。そんな事を言っているのではありません。どんな仕事も大変ですし、水産業の方々(農業も畜産業も)、自らの仕事に誇りを持っている。まさに男だと思います。深夜にそんな事出来る訳ないでしょ、体が続くはずない。仕事だとウソ付いて、酒でも飲んでんでしょ....。これを言ったのは不惑を過ぎたいい大人だったそうです。開いた口が塞がりませんでした....。“かわいそう”だの、“ウソでしょ”だの、余計な事を言わないで、一言、有り難う、ご苦労様....。じゃないですかね。


人は男に...①

2007年10月11日 | イベントに参加

Img_1820 人は男に生まれない。男になるのだ。何かの格言でそんなのがあったかと思います....。さて、自らは農作業に従事せず、高齢者が働いている姿を可愛そうだと言う輩(やから)がおります。何も考えないで言っているのだと思うのですが、そこで高齢者の代りに肉体労働に従事している20代、烈火の如く怒ってましたね。だったらお前がやれって。高齢者の方も、若いのがいてくれるから居場所がある。知恵貸してくれと頼られる。そりゃ近くにいるから小言も言うし、時には喧嘩もする。でもいなかったら小言も言えない、喧嘩もしないどころか、不安や孤独に押し潰されていただろう...。外野で可愛そうだと言いながら、何もしないヤツラ...。それこそ可愛そうなヤツラだね~。そんなこんな、老若男女が一同に介したイベントで話が尽きる事は有りませんでした。ところで欧州のある地域では、男の子が12歳になると飼っている豚を殺させる。これを習慣にしているのだそうです。極寒の地で作物が十分に収穫できず、代って人が生きるために家畜を飼い、それを殺す事によって命を繋いでいる(人間は何を食べてきたか?に詳細があります)。血の一滴すら無駄にせず、それが血入りのソーセージなんて特産物になったりしております。因みに豚の血をソースや調味料として使うのは世界的に見れば一般的なことであります。栄養も豊富ですし。今まで軒先で可愛がっていた豚ちゃん。それをある日、親から殺せと命じられる。当然の事ながら子供は泣いて拒否する。そんな事できない、可愛そうだ....。それでも親は殺す事を命じる。可愛そうじゃない、“有り難う”だ.....。殺さなければお前が..、家長がその責任を果たさなければ家族が飢え死にする....。外野から高齢者を働かせたら可愛そうだという事と、豚を殺せない、可愛そうだというメンタリティーは非常に酷似しているように思います。豚を殺すのは可愛そうだと言いながら、このトンカツは美味い、ばら肉最高、太るからヒレね....。テーブルに載った美味しい豚肉料理の先に豚を殺すという行為が見えることはまずありません。でも、その行為を日々行っている人々がおります。続きは明日。


米米フェスタ2日目

2007年10月10日 | イベントに参加

Img_1824_2 Img_1825 二日目は生憎の雨....。にも関わらず、車の出入りはひっきりなし。地域内のみならず首都圏からも多数。この日は豚の丸焼き大会で、関係者の方々は早朝4時から準備に余念がありませんでした。雨の中、駐車場の誘導係は印旛村の農業青年会議の方々がボランティアで。私の持参したサンマ&ツミレは70代のネギ生産者さん、20代の後継者の皆さん、首都圏への配送が終わった運転手の方々.....大勢のお力をお借りして終了時間を待たずして完売となりました。私は印旛の出身ではなく、収穫祭への参加は3回目に過ぎないのですが、もう何十年も前からの知り合いのような暖かさを感じております。厳しいはずの農業後継者...ながら、そこに悲壮感はなく、底抜けの明るさがあります。老若男女が一同に集い、一緒に悩み、一緒に楽しむ。みんなそれぞれ都合があるのに、みんなで地域を盛り上げようと、自分の事はあとにする。この雰囲気が、かくも多くの方々を惹き付けるのだろうと思います。そして農業(畜産業、水産業も)を、地域を、再び考える。自給率、食糧生産、何だかんだと言っても、その産業に従事している人々がいます。他産業と比べ肉体的にきついとか、所得が少ないとか、そんな一般論はお構いナシに、“今”を精一杯楽しんでいる人々であります。そこからは愚痴も言い訳も聞こえてこない。真剣に生きている人の周りは知恵で充満しております。70代、80代は元気です。ビックリするくらい。若い頃から農作業で鍛え、“本当の”食べ物を食べてきた方々です。力仕事は出来なくなったけれど、有り余る“知恵”をもっております。20代、30代の後継者は肉体労働を厭わない。自らは農作業せず、お年寄りを働かせたら可愛そうだ。と言うバカは皆無です。可愛そうだというなら、東京の会社を即座に辞めて、お前が農作業してみろ。そんな度胸が無いなら何も言うな...。これを言ったのは80代の方です。まったくその通り。後継者がいるから年寄りにも居場所があるんだよ。考えても見ろ、若いのが残ったり帰ってきてくれて肉体労働を代ってくれる。近くにいるから小言も言うけれど、誰もいなかったら.....。どこでも同じだなと思いながら、世代を超えて地域が一丸となっている姿に接し、清々しい気分でありました。


米米フェスタ1日目

2007年10月09日 | イベントに参加

Img_1806 Img_1815_2 印旛グリーブさん、米米フェスタ(収穫祭)1日目のひとコマです。好天にも恵まれ、大変な賑わいでありました。昨年と同じく午前7時に銚子を出発。今年は半袖でも汗ばむくらい。確か昨年は上着を羽織っても肌寒いくらいでありました。10月にも関わらず早朝からこの暑さ。温暖化の影響か?と思いながら、心配なのはサンマの“鮮度”だけでありました。せっかく銚子から持って行くからには、“違い”を感じていただかないと....。サンマの搬入は今年で3回目。最初の時は期間中ずっと雨。(銚子港の)入札でサンマを購入する方法すら分からず、持ち込めたのは僅かでありました。2回目は大シケ続き。銚子港直送のはずが、北海道陸送サンマを使うことになりました。これまた購入に際しては全く方法が分からず、銚子・波崎の先輩方に大変お世話になりました。そして今年、仲間も増え、入札方法や不文律のようなものを少しは理解できるようになりました。地元の仲間にはこれ以上無いくらいの配慮を頂き、地元で非常に有名な鮮魚商の後継者から、銚子の名前を出すからには半端なものを持って行っちゃダメですよ。という事で、水揚げ時からマンツーマンで指導頂きました。で、一日目。普段は魚を食べないと言うお子さんが、これでサンマ3尾目。魚って美味い、美味い....。冥利に尽きます。お父さんにお話を聞くと、サンマを食べさせたいのだけれど、家では焼けない。との事。この方、東京の方でした。マンション住まいで煙を出せない。聞いてはいましたが、本当なんですね。さて収穫祭、この時期は全国至るところで行われていると思います。田植えの時期がカツオと重なり、新米の時期がサンマ。農業と水産業は相互に関連を持ち、“旬”という切り口で、今まで様々な交流が日常的に行われて参りました。ところが農水産業とも、後継者激減の昨今、これら交流が少なくなり、翻って農村、漁村の風景を変えてしまっただけでなく、様々な社会の歪みを生じさせる大きな要因になっているようです。本日から数日、米米フェスタの話題を。


水明楼址(あと)

2007年10月08日 | 銚子の風景

Img_1802 写真は犬吠埼近くにある水明楼(すいめいろう)址。水明楼は明治時代の名旅館で幾多の文人・墨客が訪れたとモノの本に書いてありました。文豪・徳富蘆花も訪れ、作品にも登場するとか。この近辺には秩父宮別邸・瑞鶴荘(ずいかくそう)址も。犬吠埼一帯には歴史を感じるスポットがいくつも点在しております。その歴史、白亜紀の堆積物、弘法神話、義経伝説、明治・大正ロマンから、昭和の戦争の記憶まで....。地層から超人、ヒーロー、文学....ジャンルを問わずです。東の外れ、太陽が本州で最も早く姿を現すこの地は、人を惹き付ける何かがあるんです。歴史に思いを馳せるのも良し、太平洋の怒涛に圧倒されるも良し、何もせず、ただぼんやりとそこで時間を過ごすのも良し..。ここに来ると不思議な事に力みが消えている....。それは犬吠埼が自らの心の原風景であるという事に留まらず、偉大な大自然の力の前では人間の悩みなど小せえ、小せえ~。という事なんだろうと思います。水明楼、瑞鶴荘....、名前もいいですね。


リラックス!

2007年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1785 写真は利根川沿い、波崎側から銚子を眺めたものです。ひっくり返ったボートの上に、カワウ(ウミウかも)が4羽。実はここにはもっと沢山おりました。アオサギやコサギなども。私が近づいたら殆ど飛び去り、写真のような姿が残ったという次第です。残った4羽は本当にリラックスしているようでした。自分もリラックス、リラックスだな。と思っております。が、それが難しい。力を抜け!と言われても、力はどんどん入ってしまう....。スポーツの世界でも力を抜け。と良く言われます。理想的なフォームは力が抜けて全身リラックス。一流選手ほど力んでいない。力んでいないのに、瞬間的に凄まじいパワーを発揮する。これは何故なんだ?という事ですが、たゆまぬ努力の産物としか言いようがありません。ちょっとスポ根的表現ですが、流した汗と涙の量に比例する。精神・肉体のリラックス。非常に重要なことだと思います。ただ言われれば言われるほどリラックスできなくなる。どころか、ますます力が入る。余計なところに力が入っているので、上手く体をコントロールすることが出来ず、怪我もしやすい。経験則から申しますと、リラックスは人に言われて出来るものではありません。一生懸命に練習して、疲れて疲れて、もうだめだ.....。と思ったチョッと先、あれっ....。という“間”があります。まあ力む余裕も無いくらい疲れているという状況なんですが...。その時にフォームなどの原型が出来て、その反復によってフォームが固まり、上達していくと言われております。諸説、また沢山の方法があるようですが....。ひっくり返ったボートで休んでいる時が最良のリラックス...と、ウが思っているかどうか分かりませんが、“リラックス”最近、自らに言い聞かせている言葉の一つであります。


米米フェスタ詳報

2007年10月06日 | イベントに参加

Img_1707_2 100_0568 既報の通り、明日から印旛グリーブさんにて収穫祭(米米フェスタ)です。サンマも銚子港水揚げの特大サイズ選別済み。当日は新米に焼きサンマ、サンマのツミレ汁....その他、いつも何かが起きるグリーブさんのイベントであります。この場は単なる農産物の直売所に留まらず、地域内あるいは、都会と生産地を結ぶ交流の“場”であり、食とか農という人間の根源的な事を考えさせられます。農業に限らず後継者問題....。切実を飛び越えて、悲惨という領域に入っているのかもしれません。むろん、周囲の環境がどうあろうと、意欲を持って強く前向きに進める人は存在します。ただし“一般的に言って”農畜水産業を取り囲む環境は非常に厳しい。だったら早く見切りを付けて、他の商売に変えたり、サラリーマンになれば良いでしょ。という声も聞こえますが、そういう安易で刹那的な選択が自分達の食べ物すら海外に依存する。という状況を作り、経済的なモノサシ一辺倒の尖った潤いの無い社会を作り、独居老人問題や壮絶な介護問題なんてのを作る遠因になっているのだと思います。要するに自分達に都合の良い選択(逃げ続けた)を重ねた結果、翻って自分達に都合の悪い将来を招き入れている訳です。ここに集う方々、長男だ。とか、何らかの理由があって農業を継いでいる訳です。で、結果として地域や国内生産の火が消えずに残っている。次男、三男は気楽で良いよ。家出て行ってしまえば、親に毎日のように小言を言われずに済むし、家の仕事をやっていれば親戚だ、近所だと付き合いも有り、自分の予定は殆どキャンセル。週末はイベントごとで地域を盛り上げようとしているけれど、そこに“新米貰いにきた”。と、弟連中にお客様のような態度を取られるとぶん殴りたくなるね....。本音だと思います。反対に、家は出たけど、田植えや稲刈りの季節は休みを取って手伝っている人も多数存じ上げておりますが...。責任感、義務感、使命感がスタートであっても、苦しい事ばかりじゃ続かない。実際、志を持って家業を継いだけれど、やはり無理だったと3年以内に再び出てしまう確率は80%以上だと言われております。仕事の辛さより、人間関係、閉塞感に参ってしまうようです。そこで出てしまうと二度と戻らない....。グリーブさんでは後継者が集って励ましあったり、時には叱ったりと、うわべの関係で無い本心と本心のぶつかりあいがあります。むろん銚子にも。地域や地場産業を論じるには、産業としての将来性云々より、こういう“場”や“仲間”の存在を無視する事は出来ません。感情のある“人間”が行っている事ですから。人様の人情が身に染みる今日この頃であります。


リバウンド!

2007年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1720 “リバウンドを制する者は試合を制する”バスケット(球技)の格言であります。リバウンドとはシュートが外れ、空中に跳ね返った状態。敵味方、どちらにも属さないボールの事です。どちらにも属していないので、これを多く奪ったチームはそれだけ攻撃機会が増え、試合を有利に進めることが出来るという事であります。ダイエット(減量!)も“リバウンドを制する者が......。歩け歩けの効果は抜群でありましたが、最近リバウンド現象が出て参りました。ちょっと困っております。仕事で動く、食事が美味しい、つい食べ過ぎる...。この連鎖。いつでも絞れるから....と思うその傲慢さがリバウンドに苦しむ根源であると反省ししつつ、また同じ事を繰り返しております。さて、バスケのリバウンドに付いて、やはり背が高い人が有利なんですが、相手が自分達より全員大きかったらどうするんだという事であります。与えられた環境下において最善を尽くす。で、試合には勝ちたい...。だから工夫する。真剣だと知恵が出る...。背が低くてもリバウンドは取れるんです。第一に“(リバウンドを)取ろうとする気力”二番目に“ポジション(場所)取り”三番目が飛ぶ回数で、最後に高さ。相手が2m以上有ったらちょっと難しいでしょうが...。経験則からそう思っております。“背が高い”を大企業とか、都会とかそんな風に捉え、背が低いを中小零細、地方...と捉えると、あら不思議です。これマーケティングの戦略立案過程にソックリなんです。いずれ掲載しますが、ランチェスター戦略でいう弱者の選択。勝てないまでも、負けない状況を作り出すことは可能です。まずは想い、自分の戦う領域を決め、そこを死守し、一度でダメなら二度、三度....。と生意気な事を書きながら、自らの腹を恨めしく眺めております....。


花オクラ

2007年10月04日 | 

Img_1702_2 写真は花オクラ。ネバネバ野菜の代名詞、オクラの花と思いきや、オクラとは別の、花オクラという植物なんだそうです。おなじみのオクラはあの緑の実の部分を食し、花は食さないのに対して、花オクラは花を食し、実は食さない。どうして?という事ですが、オクラの花、花オクラの実は美味しくないからなのだそうです。美味いとか不味いとかというのは人間の勝手。すべからく地上に生を受けたものには何らかの生存理由があります。花が美味いと言っても根がなければ育たないし、実が無ければ次世代に繋ぐ事は出来ない...。花オクラの別名はトロロアオイ、確かにトロロのような所感と、形も葵(あおい)に似てなくも無いような....。花オクラの花をちぎって、キュウリなど夏野菜(食べたのは2週間ほど前です)と一緒にポン酢で食べました。生まれて初めて食べたのですが、不思議な食感と味でありました。で、美味いか?と聞かれれば確かに美味い。栄養も豊富だそうです。生産のプロに囲まれた生活をしていると、次から次へと知らない事に遭遇します。それがまた新たな好奇心となって、地域や自然や食べ物を深く考える一つの動機になっております。


米米フェスタ!

2007年10月03日 | イベントに参加

Img_1707_2 印旛グリーブさんの恒例行事、米米フェスタの時期がやって参りました。今年は10月7日(日)、8日(月・祝)だそうです。私は3回目の参加、今年も銚子港で水揚げされたサンマ持参で参加させて頂きます。不幸にも地震や台風の被害に遭われた地区も多いですが、千葉は概ね昨年並みの作柄だそうです。米という字を分解すると、八十八となり、これは米作りに88工程(沢山という意味だと思います)にも及ぶ多くの手間が掛かっているに通じるのだそうです。手間ひま掛けて一生懸命に仕事して、さあ収穫だ。という時期に地震や台風...。心中ご察し申し上げます、お見舞い申し上げますなんて言葉すら失礼だ...、その無念。経済的損失もさることながら、精神的なダメージ、将来に対する不安....。人間の命を繋ぐ食糧生産者、自給率39%の国、でも周囲は無関心....。同様に畜産業、林業、水産業...。知人の米の生産者(兼業)談、今は3反(900坪)の田んぼで、オヤジとオフクロ、それに嫁さんの3人で田んぼ仕事。俺は働きに行ってるよ。田植えと稲刈りの時だけ農作業手伝うために会社に休みを貰う。1反から米8表(1俵60㎏)くらい。3反だから24表。1俵だいたい1万3000円前後だから、1反で10万円前後。3反で30万円。他に畑もあるけどたかがしれてる。食える訳ねえから働きに行ってるんだよ。オヤジもオフクロも年取って、だんだん作業が辛くなってきた。子供もいるし、専業なんて考えられない。オヤジやオフクロがいなくなったら(農業を)終りにするよ....。土地売って金になるならすぐにでも売りたいんだけど...。オヤジさんも、こんな状況で専業になれ、後継者になれなんて言えねえしな...。と、非常に寂しい表情を浮かべておりました。ご飯茶碗の向こうに生々しい現実があります。ご飯茶碗1杯は稲約3株で、その3株の周辺には沢山の生き物がおります。その生き物がいるお陰で、人間生活が快適に保たれている。食と農の距離が離れてしまい、そのことすら気付かない、或いは無関心。日本人一人当たりの米年間消費量は1表を割り込み、それが自給率を1%下げる大きな要因になったと新聞報道にありました....。詳細は10月6日(土)に。


真剣だと...。

2007年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1779 写真は銚子の対岸、茨城県・波崎港。雨上がりのある日、非常にいい雰囲気でありました。漁港は水揚げで賑わった風景で無いと寂しいですが、戦場のような水揚げの時の慌しさが一段落し、閑散とした漁港にもまた何とも言えない郷愁が漂って参ります。さて先日。かつての上司から励ましのメールを賜りました。何気ない会話の後に出てきたもの“真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり...” かつて上司の席の後ろに貼ってあり、毎日読めと言われておりました....。確かに真剣じゃないと知恵は出てこない。中途半端じゃなけりゃ愚痴も出ない。いい加減で無ければ言い訳もでない。その通りです。これを聞いていたのはサラリーマン時代、いくら真剣にやってます。と言ったところで日々流されていく自分を制御できず、年齢を重ねるごとにズルくなる。ズルさは処世の一環よ。なんて知ったようなことを抜かしたところで、気付かぬうちにアリ地獄...。どんどん“無能”になっていく訳です(ピーターの法則) 自らは安全地帯にいて、銚子の零細商店なんて魅力無いし...と深層心理のどこかでバカにしていた自分が、零細商店で活動を始めて早2年。恵まれた境遇にいたにも関わらず、出てきた言葉は愚痴の嵐だったな~と思い出すに、目から火が出るような恥ずかしさを覚えます。心の底でこんな仕事なんてと思っていた自分が全くの無力である事を知り、その零細商店の方々の真剣な日々の活動の産物として生まれる知恵の数々に救われている現在の私であります。で、生き方という事を日々思うに至り、銚子など地方都市の魅力に益々気付き始めております。短期的に苦しみが倍増したとしても、それを補って余りある将来像を描く事が出来る..。これ断言できます。真剣な日常から出る知恵の数々は、お金で買うことは不可能であります。この過程を飛ばしてすべてお金で買ってしまおうとするその姿勢が、中途半端さやいい加減さの水源地かと。東京の仲間から、会社の愚痴めいた事を良く聞かされます。今まではそうだ、そうだと一緒になって追従していれば良かったのですが、今の立場では全く反対の事を申し上げております。まあ半分は自らに向かって言っているのですが....。マイナスの言葉を吐き続ければマイナスの未来が到来する。プラスの事を思い、それを口に出す。想念と発声という言葉も賜りました。これ、洋の東西を問わず、人類の叡智の結晶、不朽の教えだと思います。ポジティブ志向は疲れるし、それを聞いて傷つく人もいるんですよ。そういう声が有ることも承知しております。でも真剣じゃないと知恵は出てこないんですよね....。知恵が出てこないと地方都市は消滅してしまう....(個人もですが...)。その端緒が見え隠れする今日この頃であります。