銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

有縁千里②

2024年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

そして慈海庵さんへ。弁財天さんにお会いして参りました...。この場所、本年元旦に訪れて
からすっかりハマってしまいました。素晴らしい眺望、落ち着く雰囲気であります。但し
巳の日と28日不動様のご縁日しか開いていない...。本日は非常に幸運でありました。

さて昨日、本日と、タイトルに有縁千里...と。知人に教わった言葉です。正確には...。
有縁千里来相会・無縁対面不相逢...。中国の諺のようです。漢字を見るだけで何となく意味
分かりますが、意訳すると...、ご縁あれば遠く離れていても会いに来るものです。

反対にご縁が無ければ、近くにいても言葉すら交わさないものです。また縁があれば遠く
離れていても出会うことができるが、縁が無ければ互いに向き合っていたとしても知り合う
ことなくすれ違ってしまう...そういう意味だと思います。有縁・無縁...あざなえる縄の如し...。

人生は“出会い”ですね。と先輩方に言われ続けて参りました。歳を重ねるごとにその通り
と思いますし、すべからく自らの心が招き入れたもの(こと)..。これまた友人の受け売り
ですが、縁尋機妙・多逢聖因...。良きご縁を(久しぶりの慈海庵・弁財天さんを拝して)

有縁千里...①

2024年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、28日(水)は不動様のご縁日...。毎月参拝させて頂いております銚子の観音様(円福寺)
にて、8月28日(水)の不動様のご縁日には、田場の不動様(ご朱印帳・右..和田山とかいてある
赤色の不動明王...)と、弁財天さんも御開帳しているので行って来たら?...と。

諸々のお礼参りを兼ねて行ってくるか?ということで、観音様を詣でました後、田場の不動様に
向かいました。田場(たば)...。いまだその(名の)由来が完全に分かっていませんが、銚子では
そう呼んでおります。私の地元...、通っていた銚子一中近く、東部不動が丘公園付近の呼び名です...。

この場所、漁業者の信仰の篤いところ...。本日の開帳でお堂の中を見せて頂きましたが、この地を
敬い様々な寄進を続けてきた方々のお名前がありまして、その多くが漁業者...。私にとっては懐か
しいお名前も多々ありました(私の祖父・祖母世代の方々です)一気に時間が戻りました...。

さて28日が何故、不動様のご縁日なのか?...、御住職に聞いてみましたら、どうも弘法大師が
時の天皇から依頼され初めて宮中で護摩炊きしたのが28日...。これに因んでいるようです...。
田場の不動様にお会いしたのは本年元旦以来...。あれからあっという間に半年です...。




暑いと思えば...。

2024年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、少々時間を遡りますが、8月上旬頃...。入院前の精神的に少々不安定だったかな~と
思われた時(今にして思えば...と言う感覚ですが)、何故か車で旭中央病院近くをあてもなく
走っておりました。そして目に付いたところ...“お寺”...、何と不吉な...。

どうもマイナス思考に陥ると、どんどん深みにハマっていく性分のようです...。ただし当日
は非常に暑い日でした...。そこで見た(標語というのでしょうか)...これが本日の写真。
気一つ・暑いと思えば・なお暑い...。何故かこの一句に心惹かれたという次第です。

昭和のスポ根(我々の年代ですが)が好きそうな表現です。他者に強要せず自らの心に期す
だけなら無害ですので掲載しました。そしてこのお寺も真言寺院...。やはり旭市も紀州繋がり
の足跡を各所で見ることが出来ます。銚子に上陸してから陸路を来たか、海からそのままか...。

上方(西)から見れば、銚子より旭の方が近く。海流や潮の関係もあったことと思います。
どこに辿り着いたか?...それは神のみぞ知る。これがご縁というものか...。そしてこの地に
愛染明王像が多いことに築きました。偶然なのか?何か意味があるのか?...調べてみます。

旭市②

2024年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

どうも旭市の旭という地名の由来は、この方(木曽義昌公)に因む...。これが最有力の説で
あろうと思われます。写真は昨日掲載のお寺(東斬寺)からほど近い史跡公園。JR旭駅から
徒歩では少々キツいかな~という距離。車だと5分くらいの感覚であります。

時代は戦国、1590年前後に活躍した武将。木曽の名の通り・元来は現在の長野県に所領
を有す。武田氏の親戚筋に当たるも...。この先は解釈様々...。裏切り者という人もいれば、
時代の先駆者、タフな交渉役...等々。事情あって下総網戸(あじと:現在の旭市の一部)に移封...。

ここでの領主生活は5年ほどと記されていましたが、領内に善政を敷き、その後の世に
地名(旭市)として使われるほど魅力的であった(と言われております)政治だけでなく、
心の拠り所として東斬寺を開基。開基...とは、お寺を開き、その基礎を作った人の意...。

木曽義昌公の享年56.。ご遺体は“椿の海”にて水葬されたとのこと。椿の海とは何度か掲載
させて頂きましたが、かつてこの地にあった湖...。この史蹟公園もかつては湖の一部だった
とのことです。行政区分ではなくて本当の“地域”ということに想いを馳せております...。



旭市①

2024年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

この度は、旭中央病院に入院しておりました。既報の通り地域医療の中核病院。外来の30%が
旭市民で残りの70%は近隣市町村から。銚子15%、匝瑳10%、横芝10%、香取10%、
対岸の茨城県神栖市から10%...。広域化していることハッキリと分かります...。

他方、銚子にありますゴミ焼却場も、銚子、旭、匝瑳の三市による運営。こちらも広域化...。
このような事例を持ち出すまでも無く、千葉県北東部~茨城南部、歴史的にも文化的にも、
経済的にも、多種多様な分野で密接に繋がっております。中央病院の近くにお寺がありました...。

お寺があることは知っていましたが、入ったことなく、退院後、何故か気になり訪れて見ましたら、
真言宗・智山派の寺院...。銚子だけでなく旭も紀州・和歌山にご縁の深いところ。自然、弘法神話
あり、真言寺院多い...。そしてこの地、戦国武将・木曽義昌公の菩提寺...。

旭市のHP等を見ますと、旭市(という地名の由来)は、一つ、旭日昇天の如く勢いのある市に。
との願い。そしてもう一つがこの木曽義昌公に因んで。朝日(旭)将軍と呼ばれた木曽義仲の子孫に
あたり、木曽からこの地(旭)へ移封され善政を敷き領民に慕われた...と(続きは次回に)

通院考(最終)

2024年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

この3ケ月...、様々なことを考えました。まずは人間も定期的なメンテナンスが必要だという
こと。何だ、当たり前じゃないかということですが、いつものように”当たり前”はある種の幻想。
良くも悪くも、当たり前...と(思いたいだけ)いわんや健康をや...。このことを胆に銘じます。

また喉元過ぎたら熱さ忘れるの格言ではありませんが、恐らくこの3ケ月のこと時間の経過と
ともに薄れ、戒め効果が薄れて行く...。バックナンバー読み返す等、自分なりに工夫して参ります。
お読みになっている方々にとっては反面教師にでもなれば幸いです。

検診は重要だな~と思いました。これからも定期的に検診を受けたいと思いますが、他者に対して
検診を勧めるとか...そういう行為は止めようと...。上手く表現できませんが、みなそれぞれ事情を
抱えております...。年齢が上がるに連れて杓子定規な社交辞令は逆効果になる可能性があります...。

要するに“自己責任”、生き様、死に様、人生の始末...等々は人それぞれ。そして“折り合いをつける”
パリ・オリンピックの時、入院し健康を考える契機になった...。後日、過去を振り返って自らを省
みた時、一つの節目となるよう“通院考”と題して書き記しました...(2024年・晩夏)


通院考④

2024年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

今後は益々、こういう話題(健康、病院...等)が増えて行くことと思います。増えて行く話題が
“暗い”“辛い”“怖い”...、こういう感覚では滅入るので(まだ適当な表現みつかりませんが)明るく、
面白く...最終的に笑い飛ばしてしまいましょう...くらいの感覚に変換するように努めます。

さて切除一択で覚悟を決めて同意書を書きました。手術は全身麻酔で...ということになりまして
所定の検査を行いました。歯科検診まであるのには驚きましたが、念には念...こういう感覚も
理解できます。長らく検診をサボっていたツケ...。各所にて再検査...初診から手術まで3ケ月...。

恐らく良性の脂肪腫。しかしながら肥大化等の恐れあり切除して病理検査を行うため.。55歳
にして全身麻酔による初手術...。同年代で生きるか・死ぬかの大手術に向かう友人がおり、その
人のお気持ちを考えれば私の手術など...ということですが、やはり初めては緊張するものです。

入院~手術~退院...はあっと言う間でした(3泊4日)術後の経過も良好で先日抜糸が終わり、
病理検査の結果も良性の脂肪腫でした。身近な先輩がお亡くなりになり、重い腰が上がってから
3ケ月...でありました。次回でこの話題一区切りと致します。

通院考③

2024年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

この10年ほど、鎖骨付近にシコリのようなものがあること認識しておりました。ただ、痛くも
ないし時々ちょっと気になるかな~程度のものでした。諸先輩方の訃報に接し、このシコリの事
が急に心配になって参りました...。ここで一歩が出るか否かなのだろうと思います(何事も)

気になるところがある。不安だ。自らではどうしようもなく病院に行くしかない。だけどもし悪い
病気だったらどうしよう。怖いので病院に行かない理由を必死で探す。もし悪性だったら一刻も早く
病院に行かねばならないのに...。恐怖心あると行けない...この感覚もよく分かりました...。

自分の命なのに、なぜすぐ病院に行かないの?...確かに正論ですが、怖さが勝ってしまう。そういう
時に限って、俺もシコリあるけど痛くもないし病院行かない等々...、そんな好都合な言い訳を用意
してくれる“良い?仲間”が集まって来るものです...(しかしながらすべて自己責任なのですが)

今回、お亡くなりになった先輩方に背中を押されたような気がしております。今まで病院嫌いで
検査等を避けていた自分が率先して。シコリの正体は恐らく脂肪の塊。経過観察か切除かの二択
でしたが、自分でもビックリするくらい決断早く(切除・一択)...(続きは次回に)








通院考②

2024年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

そもそも病院好きという人はいるのか?...ということですが、少なくとも私の周囲にそういう
人はおりません。病院という(ある意味)人の命を預かる場所に対して、好き・嫌いと。これ
非礼ではないか?ということですが、他意は全くありませんのでご容赦下さい。

病院が好き・嫌いではなく、病院に行くという行為は何か自らの体に不調がある時ですので、
そういう心持ちがマイナスの感情を引き寄せたり、不調で無くとも検査時など(年を重ねれば)
“何か出てくる”可能性あり...。恐らく根底にあるもの“恐怖心”(私の場合、まさしくそれ...)

お亡くなりになった方のご家族との会話...。故人は体が丈夫で風邪もひかないような人だった。
検診等は特に受けていなかったが、体の不調(自覚症状)は何もなく...。が、ある日の朝、庭で
倒れ救急搬送したが病院到着時にはすでに亡くなっていた...。このパターンばかりです。

故人に対して、もっと早く検診に行けば良かったのに等々、そんなことを言いたいのでは全く
ありません。死んでしまったら終わり...という辛い現実と、歳が近く親しかった方々のそんな
最後を知って、自らはどう振舞うか...。これに尽きると思いました...(続きは次回に)


通院考①

2024年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

通院考、こんな日本語(造語も含めて)無いと思いますが。この3ケ月ほど通院(途中入院)し
考えるところ多々ありました。こんな話題、ブログ掲載に相応しくないと避けておりましたが
むしろ掲載して今後の戒めとしたい...。自分だけでなく、皆さんには反面教師として...。

これまた日常、20年近く経過すれば話題が変わり、多くの場合、健康がキーワードになる。
そういう年代になりましたということであるし、この話題は避けるより“上手に付き合っていく”
そう考えるようになりました。さて、新年度が始まった本年4月...訃報連絡が多くなりました。

年齢を重ねれば訃報連絡が多くなるのは自然のこと...。ですが、今年は歳の近い(60歳前後)
先輩方の訃報が相次ぎました。その殆どが突然死というもの。在りし日の健康そのものの姿から
は全く想像もできず、かつお亡くなりになる数日前にお会いしたり電話で話していた方々...。

健康(そうな)お姿と、お亡くなりになったという事実が全く結びつかず、葬儀等が終わり
ご家族の方々と話をしていた際に出てきた言葉に共通項がありました...。“病院嫌い”...。
自らに問うてみました...。実は私も病院嫌い...(続きは次回に)

山倉大神(第六天魔王)

2024年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、(千葉県)印西市方面に所要有りまして、その道すがら...。山倉大神(やまくらたいじん、
と読む。と認識しております)へ。これまた偶然で、行ってみたかったけれどなかなかご縁なく。
今回は気付いたら目の前に“山倉大神”の鳥居を見付けてしまいました(これは何かある...)

千葉県香取市にあります由緒正しき神社。そこには第六天魔王が祀られ、周囲を流れる栗山川
がサケ遡上の南限と言われるご縁もあり、この神社では毎年12月に鮭祭りというものが開催
されております。それにしても...、第六天魔王とは如何に?ということですが...。

歴史の本などを読むと、第六天魔王を名乗ったのは織田信長...。そもそも第六天魔王とは、
邪悪な世界(第六天)にいる魔王。信長はそう“自称”した。延暦寺焼き討ちなど神仏を畏れぬ
所業も、信長にとっては天下平定の為。自らは悪魔になってもやり遂げる(決意表明かと)

第六天魔王(端的に悪魔)を祀る。これだけ考えても...どうして?となりますし、この魔王を祀る
神社は関東に偏在し関西にはないのだそうです。また山倉大神には“講”という存在も...。さて本日
はこの辺で。少し余韻を残しつつ次回(年内には)詳細を。それにしても...歴史ロマンであります。

向日葵(ヒマワリ)!

2024年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、向日葵(ヒマワリ)...。と言っても、数日前(台風前)の風景でして、先日訪れましたが
(台風通過で)すべて倒れておりました...。咲いたものは枯れる。枯れない向日葵(花)は無いし、
死なない人もいない...。どこで始まり、どこで終わるかは“神のみぞ知る”...の領域かと。

人生投げやりになっている訳でも、ことさら自らの力量に合わない内容を書こうとしている訳で
なく、時節柄、毎日のように放映されている戦争特集を見ながら、始まりと終わりのことを考えず
にはいられない心境でありました。そこに大型台風...。抗えないもの...の一つの象徴が...。

抗えないものには、抗えない...。それは台風や地震のような自然現象のこともあれば、上記の話
だと時代の雰囲気とでも言いましょうか。抗った人はいない...ではなくて抗う人はいても結果的
に“雰囲気”が形成されてしまうと良くも悪くも“勢い”が増し、制御不能になっていく(教訓として)

さて、向日葵の写真からだいぶ飛躍してしまいました。台風は綺麗に咲く向日葵畑を蹂躙してしまい
ましたが、他方、例えばこの台風で海水が攪拌され、海水温が下がり漁業に好影響の可能性もある
ようです。台風一過に始まりと終わり、何事も考え方ひとつ...と改めて思った次第です。





台風一過③

2024年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

この話題、この辺でと致しますが...。この3日ほど使用した写真は事務所前、小型船舶の避難
ローテーション...。ロープの結び方等、実に良く考えられていて漁師さん方の生き抜く(災害
から身を守る)術(技術、考え方)には毎度、敬服であります...。バックナンバーにも...。

懐かしくバックナンバーをパラパラ眺めておりましたら、5年前の台風直撃時には漁師さん方
が事務所に大集合してくれて。各所を“養生”して頂きました。台風の進路、用心すべき箇所等
ほぼドンピシャ。本当に懐かしく光景目に浮かびますが、その漁師さん方...今は全員が鬼籍に...。

5年前は“この後世界が変わります”でした。先日は“過去最大級の”でした。台風に対する用心を
促すために流れたTVアナウンス...。緊急地震速報などもそうですが、これが鳴るとあまり良い
気持ちにならない...(故に警告音なのでしょうが)。嫌だけれど言わざるを得ない...。

被害が軽微なら煽り過ぎ。反対に影響は軽微と言って重大事故あったら...。鬼籍に入られた漁師
さん方が言ってました、人がどうのじゃないのよ...。テメエのことはテメエで守りやがれ.。往時
を懐かしく思い出しながら、何故か眼前に漁師の親父さん方がいるような気がしておりました...。

台風一過②

2024年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

すでに、一般的には...とか、普通は...とか、通常とか...そういう枕詞が通用しない時代である
こと承知しております。すべからく無常。常無しです...と言ってみても前例がないと不安に
なるものです。台風というのは沖縄付近で発生し北上してくるものと思っておりました...。

私が小学生(40年以上前の記憶です)台風北上と共に様々な地名を覚えました。枕崎...、
ここは鹿児島というのか。カツオの水揚げが全国有数らしい。足摺、室戸...ここは高知県
同じカツオでもこちらは一本釣り...。紀伊半島は銚子人のルーツ、さらに北上して...。

愛知の伊良湖...。阿波の鳴門、銚子の川口と並ぶ日本三大難所の一つ...。静岡に入り御前崎
伊豆半島に石廊崎...。神奈川の三浦半島を抜け、千葉・館山の野島崎。ここまでくると鴨川
勝浦、ついには九十九里を抜けて銚子。ここでひと暴れして台風は東に大きく逸れて行く...。

以上のような“感じ”でしたが。やはり普通...等々はなく、目に見える(今そこにある)こと、
ものがすべてであります。あとはこれを受け入れるか否かのみ...。受け入れなくとも良い
ですが、現実は容赦ない訳でして...。さて明日もう一日だけこの話題続けます。

台風一過①

2024年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

関東各地から東北にかけて、台風の影響は非常に広範囲に及んだようです。まずはお見舞いを
申し上げます。昨日はTVの天気予報等々で銚子・銚子...とすっかり有名になりました。確かに
強い台風(暴風雨)でした。そして本日台風一過、まだ風は強いですが快晴です...。

写真は台風前いつもの船舶停泊地であります。勝手に台風ローテーションと呼んでおりますが、
台風進路に当たる銚子外川地区の方々が、この場所に避難。この場所は厳密には利根川河口で
人工の運河...。小型船舶の台風時避難場所...。漁師の皆さん対策も手慣れたものです...。

さてこの事務所(銚子参協ビル)に引っ越してきてから7年が経過しました。利根川河口で
銚子駅にも徒歩圏、利根川に架かる銚子大橋の姿も綺麗ですし...。普段は非常に便利で風景
の良いところですが、このような自然災害(台風等)は毎回直撃...、これが玉に瑕(きず)

玉に瑕...と書くようです。これさえなければほぼ完全なのに...。ということらしいです。
海辺(正確には川の河口ですが)の雰囲気は何も無ければ良いものですが、ひとたび台風
ともなると...。何事も光と影と思った次第です(続きは次回に)