風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

惜別

2022-11-22 | スポーツ

岩手県営野球場は1970年に開場してから52年。
その役割を来年開場のきたぎんボールパークに譲り、
今年で閉場となる。
先日はお別れイベントで一般に開放したニュースを見た。
1970年、小学4年生だった私は
この新球場オープンを記念して行われた
ヤクルトアトムズvs大洋ホエールズの
プロ野球公式戦に父に連れられて観に来ていた。
私にとって初めてのプロ野球生観戦だった。

自分の高校時代、野球部の応援では何度も来た。
1年の夏の水沢商業戦は、試合前の校歌斉唱が周囲の山にこだまし
その雰囲気だけで勝ったと確信したものだった。
1点ビハインドの最終回2死3塁からの
伝説のセーフティスクイズがあった宮古高校戦は
残念ながら学校行事の関係でTV観戦だったが
準決勝の福岡高校戦の悔しい敗戦シーンも思い出だ。
2年の時も、3年の時もここに来た。
高校を卒業してからも母校の試合を見に何度も通った。

都市対抗東北予選を見に来た時は
岩手銀行チームの応援団リーダーをしていた同級生に会った。
その後常務取締役になった彼は数年前病気で急逝してしまった。
のちにプロ野球阪急→阪神で活躍した電電東北の古溝投手も
確かその時生で見た。

小学生の頃にここで行われたオリックス戦で
間近にイチローを見た息子たちは小中高と野球を継続。
息子たちが高校野球で現役だった時代は
もちろんここで行われた開会式を含め、全試合を観た。
長男が3年夏の時はここで試合をすることはなかったが
次男の夏は私が高校1年の時と同じ福岡高校に
ここで惜敗したのを見届けた。

次男は地元北東北大学リーグで硬式野球を継続。
この球場でも何度も試合を行った。
そんないろんな思い出がある岩手県営野球場で
先日の日曜日、岩手大学硬式野球部OB会が行われた。
いつもなら「孫を頼む」だけの依頼が
今回は「一緒にこない?」とのお誘いが次男からあった。
娘をかつての監督や仲間たちに見せたかったこともあろうが
もしかしたら私にこの球場の最後を見せたかったのかも。







広い天然芝の外野を関係者の子どもたちが走り回る。
見渡せば360度懐かしい景色。
グラウンドの土の匂い、芝の匂いを思い切り嗅いだ。
私自身は、会社の草野球で1度ここでプレーしただけだが
スタンドは何度も行き来している。

球場内の会議室で行われていたOB会総会が終わると
OBたちは三々五々ダッグアウトにやってくる。
3塁側のダッグアウトには現役の選手たち。
午後からOBvs現役の試合が行われるのだ。



ここから試合を見るのはレアだね。
次男と大学野球部同期で、
プロ野球ソフトバンクに一時在籍していた三浦くんとは
次男の結婚式に来てくれて以来久しぶり。
当人同士は昨年の三浦くんの結婚式で会っているようだが
一緒に野球するのは久しぶりじゃないかな?
試合前に外野でキャッチボールする2人がとても楽しそうだ。
なんかその姿を見てウルッときてしまった。
試合前のシートノックも楽しそう。
次男はセカンド、三浦くんは先発ではファーストに。


途中から三浦くんがマウンドに立った。
「この何年も全然投げたりしていないので、マジ無理」
と苦笑いしてたが、変わらぬ美しいアンダースロー。
元プロ選手ということで
現役の選手たちが一斉にマウンドを注目していた。




私自身はまったくの部外者なのでおかしな話だが
なんかこっちまで仲間のような気すらしてくる。

試合の合間に、普通は入ることができない場所へ。
選手控え室に入って見つけた。


今年行われた、ここで最後のプロ野球公式戦楽天vs日ハム戦で
この控え室を使った楽天の選手たちがサインを残していた。
岩手出身で、この球場に思い入れがあるという銀次選手はじめ
(銀次選手は、学校は違うがうちの長男と同期)
則本選手、松井選手などのほか、
やはりここで何度も試合をしてきた
北東北大学リーグの富士大出身の鈴木翔天選手のサインもある。
またまたウルッときてしまった。
たくさんの選手たちの汗を含んだフロア、
たくさんの高校球児の涙を染み込ませたグラウンド、
たくさんの人たちの思い出がある場所。
たくさんの人たちの青春の地。

誘ってくれてありがとうと次男に言いたい。
コメント
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