風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

受験の思い出

2009-02-26 | 風屋日記
昨日と今日は国立の二次前期試験。
うちの会社でもお子さんが受験という人間が朝からソワソワ。
3年前や昨年の自分を見ているようだった(笑)
受験は自分自身にとっても強烈な体験であり
今でも忘れられない思い出がたくさんある。
とても濃い時間を過ごした数ヶ月間だったのは間違いない。

その年から始まった共通一次試験はマークシートって方式が珍しく、
勉強よりも○の中を塗りつぶす練習にみんなで血道を上げた(笑)
まぁワタシ以外は勉強もちゃんとしてたんだろうけど。
ということで、今長男が在席している当時の私の第一志望は諦め、
先生の薦めで私立受験を2校増やし、国立の二次試験の方は
「こーなったらお前(めー)の得意な国語で勝負かれるしかねーべ」
という薦めに従って前年まで二期校だった隣県の国立。
大学というより東京に行きたかった私のモチベーションは
当然のことながら下がりまくりで浪人の意志が更に固くなった(^^;

さて、今のオリンピック青少年センターにあった受験生村に
同級生Sと2人と泊まっての私立受験となった。
ある日試験日でもないのに姿が見えなかったSを夕方見つけ、
浅草にストリップ見に行ってきたと聞いた私はひっくり返った(^^;
いかに受験の緊張感など全くないプチ旅行でもさすがにねぇ。
もちろん受けた私立は、Sもだけど、自分の志望先は全滅。
先生の薦めであとから追加した2校については発表も見に行かず
合否を確認しないまま国立二次を受験しに隣県の町へ旅立った。

当時の受験は親がついてくるなんてことは100%あり得ず
しかも受験生の宿は旅館の相部屋だったりしていた。
私の部屋は一緒に行った同級生3人と仙台○高のヤツがひとりの4人。
そこは受験生同士なのですぐに仲良くなる。
下見を済ませた試験前夜、当然のことのように酒盛りが始まる(笑)
私と一緒に行ったのは東京でも一緒だった例のS(笑)と
経済的事情によりそこ1校だけ親に受験を許してもらったという
たいへん真面目な性格の陸上部のO。
酒盛りをはじめたのは私とSと仙台のヤツだったのだが、
Oは緊張のあまり真っ青な顔をし、8時には布団に入ってしまった。
迷惑はかけてない。我々はOに気を使いささやかに飲んでただけ(笑)
10時頃、突然Oがガバッと起き上がり「大変だっ!眠れない!!」と。
優しい我々は「よし飲め。そうすれば大丈夫、寝られるさ」と
彼を万全の体調で試験に向かえるよう「気を使」い、
宴は日付が変わるまで続いたのだった。

翌朝、私とSと仙台人の試験は午後から。
時間の余裕を見て、9時半には3人ともすっきりと目を覚ました。
ふと横を見ると、9時からの試験だった筈のOが寝ている。
「おい、9時過ぎてんぞ」・・・あとのことはご想像にお任せする。
とにかく我々3人はガックリと肩を落とすOに慰めの言葉をかけ
我々自身の試験を受けに出かけたのだった(笑)
その晩、優しい我々は落ち込んだ彼を慰めようと
夜の町へと繰り出したのだが、
その時に起きた「スッポン事件」については
あまりにオソロシくてとてもここには書けない(笑)
いずれにせよ、更にズタズタになったOは足取りも重く帰っていった。

その後の彼ら・・・
仙台人はそれっきり連絡を取ることもなかった。
Sは1浪後私立に入り、大学院にまで進んで、
なんと高校教員となって、今では県○委の指導主事!!
可哀想なOは大学には進まずJRへ就職し
若くして駅長なども務めた後、今では偉いさんになっているらしい。
めでたし、めでたし(笑)
私は発表を見に行かなかった私立2校に合格し、
ともかく現役で大学に入れたのだが、その後の人生はご存知の通り(^^;

ところで数年前、当時教室でOの隣だったヤツにこの思い出を語ったら
「ヤツの成績ならよく知ってる。試験を受けても同じ結果だべ」と
淡々と語ってくれた(^^;
Oの人生を変えたのが我々でなくて本当によかった(笑)
コメント (8)
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