風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

これまでの時間 残された時間

2009-02-17 | 風屋日記
私は1960年(昭和35年)生まれ。現在満48歳だ。
記憶に残る風景や周囲の人達を覚えているのは
せいぜい1965年(昭和40年)頃からってとこだろうか。

で、ふと気になって
1965年に、今の私の年齢である48歳だった人が
何年生まれかちょっと調べてみた。
・・・1917年(大正6年)!!
大正ヒト桁生まれの人が、
私の5歳当時今の私と同じ年齢だったんだねぇ。
世界恐慌時は12~15歳でリアルに体験してるだろうし、
終戦時には28歳だから、当然その方の人生にとって
戦争は様々な形で暗い影を落としていることだろう。
1965年当時は定年が55歳のところも多かったから
48歳といえば仕事の上ではもう大ベテラン。
5歳の私から見れば大人ってのは20~30代であり、
50歳近い人は落ち着いて、一家言を持つ初老の人だろう。
ちなみにうちの親父よりも更に6歳も年上にあたる。

それでは1917年生まれの人が記憶している
だいたい1922年(大正11年)頃に48歳の人は?
・・・1874年(明治7年)生まれだな(^^;
明治維新の残滓がまだ残り、
文明開化が急流となって日本に流れ込んでる時代。
48歳に至る間に日清、日露の2つの戦争を記憶している筈。
(親父方の祖父がもしかしたらこの年代かな?)
急激な欧化、富国強兵の風潮、大正デモクラシー、
時代に翻弄されながら自分をしっかりと持ち、
自らの目と力だけを頼りに生き抜いた世代だ。
1965年頃の48歳よりも更に人生の大ベテランとして
どっしりとその存在感を周囲に示していたのだろう。

今日のエントリーで何を言いたいのかというと、
まずひとつには
いかな軽佻浮薄な現代社会に生きているといえども
48歳のワタシはあまりに惑いすぎてないか。
ヘラヘラと軽口を叩き、浮ついて生きてはいないか。
流行ものを手に入れひとり悦に入ったりして
人生の意味や理念を忘れてはいないか・・・ということ。

そしてもうひとつは
これまでを振り返った時に自分が感じるよりも、
はるかに長い時間を生きてきたのだなということ。
物心ついてから20歳までをとても長く感じていたが、
いつの間にか20歳以降の方が長くなってしまった。
実家で過ごしたのは18歳まで。
それからの方がその倍近い時間を過ごしている。
結婚したのが26歳、それからすでに22年余。
まもなく独身時代と同じだけ母ちゃんと過ごしたことになる。

いつの間にか自分の人生はすでに折り返した。
1日1日をじっくりと大切に生きなくては。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする