「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、
「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、
私は卵の側に立つ」
「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、
また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」
エルサレム賞を受賞した作家村上春樹さんの受賞スピーチの一部だ。
村上さんが同賞を受賞し、スピーチしたことについて
酔流亭さんはじめ様々な意見があることについて承知している。
曰く「イスラエルによるガザ攻撃に抗議するため辞退すべきだった」
「受賞してからイスラエルを戒めるスピーチというのはいかがか」
「自分だけ表彰を受け、何を言っても他人事じゃないか」
「『壁が正しく、卵が悪くても』とは何事だ」云々・・・
私の意見を言おう。
熟慮した結果だと言う村上さんの行動は正しかったと思う。
ガザ攻撃について考える論点は2つあると思うのだが
巷の意見はその2つをごっちゃにしてしまっていると思うのだ。
まず第一に暴力の問題。
これに関してはイスラエルは責められて当然。
というより国際社会全体が猛然と糾弾すべきことだと思う。
もちろんハマスのロケット弾攻撃も同じだ。
”いかなる理由があろうと” 私も暴力を許すことができない。
もうひとつは「正義はどこにあるか」という問題。
わかりにくければ「どっちの主張が正しいのか」ということだ。
これは誰にも答えることはできない。
かつてのヨーロッパ各国の植民地政策もそうだが、
それより昔、それこそ有史前からの様々な感情が行き交い、
それぞれの信仰が絡み合って今の中東を形作っている。
そんな中で遠く離れた机上で「どっちの言い分が正しいか」なんて
討論し合うのはナンセンスだ。
村上さんの行動は後者の考え方を基本とし、
まずはイスラエルにわたったのだと私は思う。
この賞がパレスチナの賞だったとしても行っただろう。
スピーチにあった「○○が正しく、○○が悪くても」というのは
どっちに壁が入っても、卵が入っても同じ意味だ。
(ってか、もし悪いのが卵だったらその後の言葉が続かないけどね。
そうなるとまるで日本語じゃない ^^;)
彼が言いたかったのはその文章の前段ではなくて
「卵の側に立つ」という講談であることはどう読んでも明らかだ。
彼は暴力のみを糾弾しているし、
それはとてもニュートラルで正しい姿勢だと思う。
そしてその主張は
イスラエルから遠く離れた地からのメッセージではなく
彼の地の国民の中に入ってのメッセージでなくてはならない。
敢えてイスラエルの人々の囲まれながら村上さんは主張したのだ。
願わくは彼の国のジャーナリズムが
「ムラカミ特有の何だかわからない表現」などと言わず
メッセージの本質を国内に伝えて欲しいと思う。
「壁」はイスラエルとパレスチナの間にだけ存在するものじゃない。
かつては彼の国の人々も「壁」に囲まれていた筈だ。
※ところで、ちょいと仕事で突発的なことがありドタバタしてます。
明日の東京行きもキャンセルになる可能性も多分にあります(^^;
(四季のチケットはキャンセルできない方法で買ったので
母ちゃん一人で行くことにして、1枚ムダにするかも T_T)
もちろん日曜も引き続きなので、
久しぶりに風屋日記を数日お休みすることになるかも知れません。
悪しからず、ご了承下さい。
「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、
私は卵の側に立つ」
「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、
また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」
エルサレム賞を受賞した作家村上春樹さんの受賞スピーチの一部だ。
村上さんが同賞を受賞し、スピーチしたことについて
酔流亭さんはじめ様々な意見があることについて承知している。
曰く「イスラエルによるガザ攻撃に抗議するため辞退すべきだった」
「受賞してからイスラエルを戒めるスピーチというのはいかがか」
「自分だけ表彰を受け、何を言っても他人事じゃないか」
「『壁が正しく、卵が悪くても』とは何事だ」云々・・・
私の意見を言おう。
熟慮した結果だと言う村上さんの行動は正しかったと思う。
ガザ攻撃について考える論点は2つあると思うのだが
巷の意見はその2つをごっちゃにしてしまっていると思うのだ。
まず第一に暴力の問題。
これに関してはイスラエルは責められて当然。
というより国際社会全体が猛然と糾弾すべきことだと思う。
もちろんハマスのロケット弾攻撃も同じだ。
”いかなる理由があろうと” 私も暴力を許すことができない。
もうひとつは「正義はどこにあるか」という問題。
わかりにくければ「どっちの主張が正しいのか」ということだ。
これは誰にも答えることはできない。
かつてのヨーロッパ各国の植民地政策もそうだが、
それより昔、それこそ有史前からの様々な感情が行き交い、
それぞれの信仰が絡み合って今の中東を形作っている。
そんな中で遠く離れた机上で「どっちの言い分が正しいか」なんて
討論し合うのはナンセンスだ。
村上さんの行動は後者の考え方を基本とし、
まずはイスラエルにわたったのだと私は思う。
この賞がパレスチナの賞だったとしても行っただろう。
スピーチにあった「○○が正しく、○○が悪くても」というのは
どっちに壁が入っても、卵が入っても同じ意味だ。
(ってか、もし悪いのが卵だったらその後の言葉が続かないけどね。
そうなるとまるで日本語じゃない ^^;)
彼が言いたかったのはその文章の前段ではなくて
「卵の側に立つ」という講談であることはどう読んでも明らかだ。
彼は暴力のみを糾弾しているし、
それはとてもニュートラルで正しい姿勢だと思う。
そしてその主張は
イスラエルから遠く離れた地からのメッセージではなく
彼の地の国民の中に入ってのメッセージでなくてはならない。
敢えてイスラエルの人々の囲まれながら村上さんは主張したのだ。
願わくは彼の国のジャーナリズムが
「ムラカミ特有の何だかわからない表現」などと言わず
メッセージの本質を国内に伝えて欲しいと思う。
「壁」はイスラエルとパレスチナの間にだけ存在するものじゃない。
かつては彼の国の人々も「壁」に囲まれていた筈だ。
※ところで、ちょいと仕事で突発的なことがありドタバタしてます。
明日の東京行きもキャンセルになる可能性も多分にあります(^^;
(四季のチケットはキャンセルできない方法で買ったので
母ちゃん一人で行くことにして、1枚ムダにするかも T_T)
もちろん日曜も引き続きなので、
久しぶりに風屋日記を数日お休みすることになるかも知れません。
悪しからず、ご了承下さい。