風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

男と女

2009-02-01 | 風屋日記
男と女という区分の仕方がある。
けれどもそうやって分けることは
果たして必要なのだろうか。
第一男と女の区分ははっきりと線引きできるのか?

世の中にはXY染色体を持ちながら
女の体を持つ人もいるという。
染色体と体の構造が一致していても
性同一障害を抱えた人たちは少なからずいるらしい。
そういう人たちはどのような分類になる?

男が求める異性は女というのも一概には言えない。
男のままでお男を求める人もいれば、
女になって男を求める人も今では珍しいことではない。
もっと複雑に考えると
女になって女を求める人たちも
もしかしたらいるかもしれない。
もちろんそのまま逆のパターンもあるだろう。
そういう、いわばマイノリティーの人たちだって
「そういう人」と「そうじゃない人」の線引きは
厳密にできるわけではないと思う。
私だって、もしできるなら1日だけ女になってみたい。
これは単なるジェンダー的好奇心からだが、
そういう人はたぶん他にもたくさんいると思うのだ。
その人達はどっちに入る?

という話を、とある人と一昨日した。
こんななことを感じたのは下記の本を読んでから。

「片思い」東野圭吾 文春文庫

それ以来、
性同一障害についての本なども読んでみた。
もちろん完全には理解できるわけはないが
少なくとも私にはそれまで気がつかなかった
彼ら、彼女らの痛みや辛さ、苦しみなどは
なんとなくだがわかる気がした。

ところで、
例えば女性になりたい男性にとっての
なりたい理想の女性、
男性になりたい女性にとってのなりたい
理想の男性は、
なりたい性の特徴を
より強く持っているタイプなのかも。
例えば、
より女性らしい柔らかで滑らかなボディライン、
筋肉がついたマッチョな体格など・・・。
でも実際には
そういう女性やそういう男性ばかりじゃない。
というより、
たぶんそんなにはいないんだろうと思う。
実際になりたい性になった時、
自分の理想とする姿じゃなかったとしたら
その時の彼や彼女は
自らの姿をどう感じるんだろう。
・・・ということも
この本に出てくる日浦美月を見ていて思った。
コメント (2)
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