昨日と今日は国立の二次前期試験。
うちの会社でもお子さんが受験という人間が朝からソワソワ。
3年前や昨年の自分を見ているようだった(笑)
受験は自分自身にとっても強烈な体験であり
今でも忘れられない思い出がたくさんある。
とても濃い時間を過ごした数ヶ月間だったのは間違いない。
その年から始まった共通一次試験はマークシートって方式が珍しく、
勉強よりも○の中を塗りつぶす練習にみんなで血道を上げた(笑)
まぁワタシ以外は勉強もちゃんとしてたんだろうけど。
ということで、今長男が在席している当時の私の第一志望は諦め、
先生の薦めで私立受験を2校増やし、国立の二次試験の方は
「こーなったらお前(めー)の得意な国語で勝負かれるしかねーべ」
という薦めに従って前年まで二期校だった隣県の国立。
大学というより東京に行きたかった私のモチベーションは
当然のことながら下がりまくりで浪人の意志が更に固くなった(^^;
さて、今のオリンピック青少年センターにあった受験生村に
同級生Sと2人と泊まっての私立受験となった。
ある日試験日でもないのに姿が見えなかったSを夕方見つけ、
浅草にストリップ見に行ってきたと聞いた私はひっくり返った(^^;
いかに受験の緊張感など全くないプチ旅行でもさすがにねぇ。
もちろん受けた私立は、Sもだけど、自分の志望先は全滅。
先生の薦めであとから追加した2校については発表も見に行かず
合否を確認しないまま国立二次を受験しに隣県の町へ旅立った。
当時の受験は親がついてくるなんてことは100%あり得ず
しかも受験生の宿は旅館の相部屋だったりしていた。
私の部屋は一緒に行った同級生3人と仙台○高のヤツがひとりの4人。
そこは受験生同士なのですぐに仲良くなる。
下見を済ませた試験前夜、当然のことのように酒盛りが始まる(笑)
私と一緒に行ったのは東京でも一緒だった例のS(笑)と
経済的事情によりそこ1校だけ親に受験を許してもらったという
たいへん真面目な性格の陸上部のO。
酒盛りをはじめたのは私とSと仙台のヤツだったのだが、
Oは緊張のあまり真っ青な顔をし、8時には布団に入ってしまった。
迷惑はかけてない。我々はOに気を使いささやかに飲んでただけ(笑)
10時頃、突然Oがガバッと起き上がり「大変だっ!眠れない!!」と。
優しい我々は「よし飲め。そうすれば大丈夫、寝られるさ」と
彼を万全の体調で試験に向かえるよう「気を使」い、
宴は日付が変わるまで続いたのだった。
翌朝、私とSと仙台人の試験は午後から。
時間の余裕を見て、9時半には3人ともすっきりと目を覚ました。
ふと横を見ると、9時からの試験だった筈のOが寝ている。
「おい、9時過ぎてんぞ」・・・あとのことはご想像にお任せする。
とにかく我々3人はガックリと肩を落とすOに慰めの言葉をかけ
我々自身の試験を受けに出かけたのだった(笑)
その晩、優しい我々は落ち込んだ彼を慰めようと
夜の町へと繰り出したのだが、
その時に起きた「スッポン事件」については
あまりにオソロシくてとてもここには書けない(笑)
いずれにせよ、更にズタズタになったOは足取りも重く帰っていった。
その後の彼ら・・・
仙台人はそれっきり連絡を取ることもなかった。
Sは1浪後私立に入り、大学院にまで進んで、
なんと高校教員となって、今では県○委の指導主事!!
可哀想なOは大学には進まずJRへ就職し
若くして駅長なども務めた後、今では偉いさんになっているらしい。
めでたし、めでたし(笑)
私は発表を見に行かなかった私立2校に合格し、
ともかく現役で大学に入れたのだが、その後の人生はご存知の通り(^^;
ところで数年前、当時教室でOの隣だったヤツにこの思い出を語ったら
「ヤツの成績ならよく知ってる。試験を受けても同じ結果だべ」と
淡々と語ってくれた(^^;
Oの人生を変えたのが我々でなくて本当によかった(笑)
うちの会社でもお子さんが受験という人間が朝からソワソワ。
3年前や昨年の自分を見ているようだった(笑)
受験は自分自身にとっても強烈な体験であり
今でも忘れられない思い出がたくさんある。
とても濃い時間を過ごした数ヶ月間だったのは間違いない。
その年から始まった共通一次試験はマークシートって方式が珍しく、
勉強よりも○の中を塗りつぶす練習にみんなで血道を上げた(笑)
まぁワタシ以外は勉強もちゃんとしてたんだろうけど。
ということで、今長男が在席している当時の私の第一志望は諦め、
先生の薦めで私立受験を2校増やし、国立の二次試験の方は
「こーなったらお前(めー)の得意な国語で勝負かれるしかねーべ」
という薦めに従って前年まで二期校だった隣県の国立。
大学というより東京に行きたかった私のモチベーションは
当然のことながら下がりまくりで浪人の意志が更に固くなった(^^;
さて、今のオリンピック青少年センターにあった受験生村に
同級生Sと2人と泊まっての私立受験となった。
ある日試験日でもないのに姿が見えなかったSを夕方見つけ、
浅草にストリップ見に行ってきたと聞いた私はひっくり返った(^^;
いかに受験の緊張感など全くないプチ旅行でもさすがにねぇ。
もちろん受けた私立は、Sもだけど、自分の志望先は全滅。
先生の薦めであとから追加した2校については発表も見に行かず
合否を確認しないまま国立二次を受験しに隣県の町へ旅立った。
当時の受験は親がついてくるなんてことは100%あり得ず
しかも受験生の宿は旅館の相部屋だったりしていた。
私の部屋は一緒に行った同級生3人と仙台○高のヤツがひとりの4人。
そこは受験生同士なのですぐに仲良くなる。
下見を済ませた試験前夜、当然のことのように酒盛りが始まる(笑)
私と一緒に行ったのは東京でも一緒だった例のS(笑)と
経済的事情によりそこ1校だけ親に受験を許してもらったという
たいへん真面目な性格の陸上部のO。
酒盛りをはじめたのは私とSと仙台のヤツだったのだが、
Oは緊張のあまり真っ青な顔をし、8時には布団に入ってしまった。
迷惑はかけてない。我々はOに気を使いささやかに飲んでただけ(笑)
10時頃、突然Oがガバッと起き上がり「大変だっ!眠れない!!」と。
優しい我々は「よし飲め。そうすれば大丈夫、寝られるさ」と
彼を万全の体調で試験に向かえるよう「気を使」い、
宴は日付が変わるまで続いたのだった。
翌朝、私とSと仙台人の試験は午後から。
時間の余裕を見て、9時半には3人ともすっきりと目を覚ました。
ふと横を見ると、9時からの試験だった筈のOが寝ている。
「おい、9時過ぎてんぞ」・・・あとのことはご想像にお任せする。
とにかく我々3人はガックリと肩を落とすOに慰めの言葉をかけ
我々自身の試験を受けに出かけたのだった(笑)
その晩、優しい我々は落ち込んだ彼を慰めようと
夜の町へと繰り出したのだが、
その時に起きた「スッポン事件」については
あまりにオソロシくてとてもここには書けない(笑)
いずれにせよ、更にズタズタになったOは足取りも重く帰っていった。
その後の彼ら・・・
仙台人はそれっきり連絡を取ることもなかった。
Sは1浪後私立に入り、大学院にまで進んで、
なんと高校教員となって、今では県○委の指導主事!!
可哀想なOは大学には進まずJRへ就職し
若くして駅長なども務めた後、今では偉いさんになっているらしい。
めでたし、めでたし(笑)
私は発表を見に行かなかった私立2校に合格し、
ともかく現役で大学に入れたのだが、その後の人生はご存知の通り(^^;
ところで数年前、当時教室でOの隣だったヤツにこの思い出を語ったら
「ヤツの成績ならよく知ってる。試験を受けても同じ結果だべ」と
淡々と語ってくれた(^^;
Oの人生を変えたのが我々でなくて本当によかった(笑)
夕食時食堂に集まったのはほとんどが弘大受験生でおしゃべりする人も無くむっつむっつとご飯を食べています。
誰かに声を掛けてみたかったけどとてもそんな雰囲気ではありません。殺気のような妙な空気が漂っていました。
ただ、食堂のテレビが弘前大入試のことを伝えると一斉に顔がテレビに向いたのがマンガチックでおかしかった。
福島大を受験したとき、福島駅から大学最寄の駅まで臨時電車が出るというので乗ってみたら全車に○×予備校の中吊り広告。これから受験に行くのに嫌味な電車・・・と思っていたら案の定、不合(以下略
○○大を受験したとき・・・新幹線の窓から早池峰山や奥羽の山々がきれいに見えたことしか覚えていない。受かりますように・・・と山に向かって小さく手を合わせたっけ。
その半月後、合格通知が届いたのでした。ヤター\(^o^)/
>まつたけさん
通常の受験の思い出ってのは
皆さんそんな感じなんだということを
割と最近知りました(笑)
私の思い出なんざ大したことないと思う位
私の友人達がそれぞれ持ってる思い出は
それはそれは強烈です(^^;
時代なんでしょうか。
それとも我々だけが変だった?(笑)
いずれ、周囲は豪傑揃いでした。
もちろん今も、三つ子の魂100までですが。
いやあ、あまりにも鮮明なのでびっくりしました。
いかにもあの頃のやんちゃな話で、楽しませてもらいました。
僕は全くと言っていいほど覚えてないのです。
記憶力の差か、あるいは、年代の差か???
肝心の受験の時は、従兄弟のアパートに泊めてもらい、当然ですがひとりで各大学へ。終了したあと、同級生で新宿に集まり、初ディスコを体験。風屋さんのお話のような東京版です。当時はケータイもないのにどうやってみんなで約束して集まったか不思議です(笑)。
高円寺で予備校へ通い、2年目の共通一次は寝坊して受験しなかった同級生もいます。2浪目は盛岡に帰り、晴れて合格。今では立派なビジネスマン&球児の父をやってます。
人生、何事も経験が大事、でしょうか。
卒業後今の会社に入社したころ、受験生のお客様で、東京のシティホテルに親と何泊もという方もあり、驚きました
私のこれまでの人生の中で
高校時代帆と楽しいことはありませんでした。
毎日がそんな調子で、やんちゃばかりしてました(^^;
根子さんも書いているような剛の者がたくさんいたのです。
我々はごく当たり前のことだと思ってましたが(笑)
楽しい思い出はいつまでも鮮明に覚えていますね。
>根子さん
受験しなかったヤツ・・・いたいた(笑)
同級生が帰郷した当人に気を使い、代わりに発表を見に行ったら
「なかったべ。当たり前だ。行かなかったからな」と
公衆電話から知らせたら電話口でガハハと笑われたそうです(^^;
東京での受験が終わり、帰りに上野公園で時間つぶししてたら
家出と間違えられて交番に連れて行かれたヤツもいました。
私はともかく現役で大学に滑り込みましたが
仙台で浪人している「みんな」が楽しそうで(笑)
羨ましかったことを覚えていますよ。
長期休暇で帰省の際、仙台寄ってました。
何せ275人の同級生のうち
およそ50人もB予備校に行ってましたから。
私の親友は1年間B予備校で学んだお陰で
翌年はヘタな大学より難しい
駿台の特別選抜クラスに入れました(笑)