いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

大切なのは形じゃない、中身なのだ。

2003-07-05 03:08:50 | Rebirth歴史資料館
俺という人間はリアリストだ。
夢や空想に否定的であるという意味ではなく、
形式や権威などよりも実態、内容、実力を問うという点に於いて、だ。
ブランド名や希少価値などに眩まされることがない。
例え無名なメーカーで、安くありきたりな材質を用いていても、
実用に耐えうる頑丈さと、見た目の美しさ、
そして納得の機能性が備わっていればそれを買う。
自分にとって価値のあるものかどうかを徹底して見極め、
本当にいいものを選ぼうとする。
俺の買い物の多さは浪費癖としてメンバーにも揶揄されるところではあるが、
むやみやたらに物欲に任せて買ったわけではない。
念入りに機能・価格・デザイン・耐久性を比較検討し、
買って後悔しないモノを選び抜いている。
だから俺の生活環境は借金が多い割にきわめて豊かなのだ。

買い物の他にも俺のリアリストぶりは徹底されている。
人に対しても経歴や名前などの権威では推し量らない。
肌で実感できる、その人の持つ能力がすべてだ。
特に、出身地や学歴や門地や性別、果ては血液型などといったものを根拠に、
その人を推し量ることほどバカバカしいこともないと思う。
「東大だからアタマがいい」
「女だから解らない」
「関西の人だから味にうるさい」
「A型だから神経質だ」
いずれも、言うだけムダ、聞くだけムダな、人判断。
こういうことを話す人ってのは誠に浅はかだし、
何事も肩書きでしか判断できませんと告白してるようなものだ。

俺が尊敬する人というのは、俺に真似できない研鑽を以て、
専門的な技術や知識を持っている人。
例え東大を出ていようと、どんな肩書きをしょっていようと、
俺を納得させる何らかの実力がなければダメだ。
そしてそれはものの10分も話をしていれば透けて見えてくる。

ものをつくる立場にあっても、このリアリズムは前面に押し出されてくる。
例えば詞や曲を書くときも、原稿を書くときも、
無難に作って間に合わせるだけのものにはしたくない。
その一点にこそ、俺のこだわりは集約される。
これは一見「理想主義」のようだが、そうではない。
例えば市場に出回るヒット曲のような体裁を整えて出したとしよう。
それはあるいはまあまあの数字をたたき出すかもしれない。
しかし決して爆発することはない。
とすればバンド自体10年保つこともないだろう。
数年メジャーでそこそこ名を売って、その後は知らない、というのであれば、
ハナっからバンドなどやらずに商売でもやってたほうが割が良い。
俺は、どうせやるからには、
一生やれるぐらいのモノにしなければ意味がないと考えている。

今、この認知度の低いインディーズの1バンドという位置にいて、
そんな無難なものを作って、何かの意味があるのだろうか?
世間の耳目を集めるためには何らかのセールスポイントに特化して、
ある程度嫌悪する層を生むことをも覚悟の上で、賭に出るべきではないのだろうか?
批判を恐れて縮こまっていては結局何も出来ないだろう。
この辺がRebirthのメンバーも周囲のスタッフもまるで見えていないように思える。
いや、アタマでは解っていても恐くて踏み出せないというのが実態かな。
勝負がかかると臆病なほどに堅実に歩もうとするのが人情なのかも。
俺はそれを「凡人」と呼ぶけれど。
そもそも個性というものの捉え方と商業的な成功の方法論とが、
どうも「業界的」には二律背反の命題なのである。

6/29のワンマンライブは俺にとってせめぎ合いであった。
業界関係者の集まるワンマンだから、完成度を優先させ、
ギャンブル的な要素は排除してくれというのが概ねの意見であった。
このため、俺は一週間くらい前まで悩み続けた。
俺のパフォーマンスに無難という文字はない。
好きな奴は好き、嫌いな奴は嫌い、それで結構というスタイル。
それが許されないとなると俺のパワーはきっと半減する。
今までのRebirthのイメージを棄て、洗練されたメジャー感のあるステージ。
どうにもしっくり来ないのだ。
かといって、ここまで来て俺の勝手な思い入れで話を潰したくもない。
悩みは深まった。

結局、好きにやることにした。
結果は大成功であった。
もちろん、事務所のお偉方からは予想された通りの批判や辛口評も下されたが。

では何故そこに至ったか。
の日のライブの絶対的な命題は「成功」だ。
成功とは、来場者の満足の度合いによって決まる。
この日の客層を考える。みんな、今までの俺を知っている。
ということは俺に期待しているものも明快だ。
楽曲のかっこよさ、ステージングの洗練度、歌や演奏の技術、
そういった一般的にバンドに求められる要素の他に、
いかにもハプニング的な要素、お約束にないネタの展開、
そういうもので最後までライブを飽きさせない工夫を凝らす。
これが俺のスタイルだ。ひいてはRebirthの。
文字通り、「大盛りつゆだく」なわけだ。
まだライブも始まっていない前説から欲張る。
小ネタあってのRebirth。
アイデンティティはそこだ。

これが当日の観客に受け入れられた。
しかし、事務所のトップには不興を買ったらしい。
もっと、カリスマ的なものがいいんだという。
客席との距離が近すぎるという。
……言うと思った。
まあ、そんなしょうもないこと言う人に認めてもらおうとも思わないけど。
それより何よりイヤだったのは、トップがそう言ったと知るやいなや、
それまでの態度をひっくり返して、バンドにケチをつけ始めたディレクターである。
威張って見せたって中間管理職。透けてるよ。

もしこれが仮に、Rebirthを初めて観る客400人であったなら、
CDやテレビでしかRebirthを知らない客層であったなら、
俺はきっとまた違った切り口でライブをやっただろう。
大切なのはバンドの理想の押し売りではない。
一般的に求められるメジャーのスタイルでもない。
その日お金を払ってやってきた客を如何に満足させるか、だ。
俺は商品である前に芸人だ。
俺を突き動かしているのは手前勝手な理想ではなくサービス精神だ。
僅か一本のライブでバンドを判断しようとするから、
そこまでの思惑を読みとれない。
浅はかな経験則でもっともらしいことを言って自足する。
そういう手合いは多いだろう。
無論、バンドに対して何らかの可能性を認め、
期待と愛情をもって厳しい提言をくれた人もいる。
その差は明確に判るから、そういう人の場合はありがたく拝聴する。

どんなライブをやっても俺は決して満足することがない。
決めたことを完璧に消化したとしても、
もっと違うやり方はなかったか考え続けるだろう。
満足してしまったらそこで終わりだ。
きっと次にまたライブをやろうという意欲が湧かなくなる。
Rebirthのワンマンに寄せられた、数多くの賞賛や批判、
それらをひとつひとつ咀嚼しながら、反省と課題とを抽出し、
俺は次のライブを考える日々なのである。
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