僕は、「達観主義」だ。
「無感動」とは違う。
笑い、泣き、怒り、感情豊かに生きていきたいと思っている。
けれど、心が乱れたときには、それを整理する方法として、
最終的には何事も悲観にも楽観にも偏らず、
どういうことだって起こりうる、という覚悟の元に、
心のバランスをとりたいと思っている。
ただ、それが実際にできるか、できているかといえば、
なかなかそう理屈の通りにはいかないものだ。
今日のタイトルに挙げた言葉、これが僕は好きで、
国語の授業でもよく「塞翁が馬」のエピソードと共に教える。
生活の拠り所であるウマを失っても、
子供が重症を負っても平然としている(風を装っている?)翁の態度は、
見る人が見れば変人のそれかもしれない。
しかし、どんなに良さそうなときでも油断しない、
どんなに悪いときでも希望を失わない、
そういう強い生きる意志のようなものも感じさせる。
人間がどんな状況にあっても生き抜いていかなければならないとするなら、
支えになるのはこの言葉かもしれない、と思う。
今日も、僕はこの言葉を教えた。
そしてまたひとつ、僕に試練が訪れた。
祖父が亡くなった。
このことについて、僕はことさらに語る言葉を持てないでいる。
だが。
幼い頃からおじいちゃん・おばあちゃん子で、
休みの度に田舎へ行くことをせがむ子供だった僕にとって、
祖父母の存在はただただ大きく、とても辛いことだ。
そして僕は愚かしくも、
「いつまでも元気で生きていてくれる」
という錯覚にもとらわれていた。
いや、アタマでは解っていたはずなのに、現実に目をつむり、
自分に都合のいい幻想の中で、祖父母への不義理をごまかしていたのかもしれない。
これが本当に悔やまれる。
実際、僕は晩年の祖父に何ひとつしてあげられなかった。
いつも、甘えていただけだ。
そんな僕が寂しい、辛いといくら語ったところで、
どうしても身勝手なものを感じてしまう。
本当に辛いのはずっとそばにいた祖母であり、母であり、叔母であろう。
いま僕に出来ることは、彼女らを支えることだ。
でなければ、祖父に何ひとつ恩返しできないまま、ということにもなろう。
自分の来し方を振り返るだに、人に甘えてばかりの、
身勝手な人生だなと思えてイヤになるが、
少しずつ、ささやかにでも返していくしか、ない。
それにしても。
普段饒舌な人間に限って、こういうときに語るべき言葉を持ち合わせないものか。
「ご冥福」だなんて、語感に触れても文字を見ても、
自分の実感とはかけはなれた上滑りな感じがして、ぞっとしてしまう。
僕はただ、寂しい。
大きくて優しかった祖父に二度と会えないのが、寂しい。
焼かねばならぬのが、どうしようもなく、辛い。
「無感動」とは違う。
笑い、泣き、怒り、感情豊かに生きていきたいと思っている。
けれど、心が乱れたときには、それを整理する方法として、
最終的には何事も悲観にも楽観にも偏らず、
どういうことだって起こりうる、という覚悟の元に、
心のバランスをとりたいと思っている。
ただ、それが実際にできるか、できているかといえば、
なかなかそう理屈の通りにはいかないものだ。
今日のタイトルに挙げた言葉、これが僕は好きで、
国語の授業でもよく「塞翁が馬」のエピソードと共に教える。
生活の拠り所であるウマを失っても、
子供が重症を負っても平然としている(風を装っている?)翁の態度は、
見る人が見れば変人のそれかもしれない。
しかし、どんなに良さそうなときでも油断しない、
どんなに悪いときでも希望を失わない、
そういう強い生きる意志のようなものも感じさせる。
人間がどんな状況にあっても生き抜いていかなければならないとするなら、
支えになるのはこの言葉かもしれない、と思う。
今日も、僕はこの言葉を教えた。
そしてまたひとつ、僕に試練が訪れた。
祖父が亡くなった。
このことについて、僕はことさらに語る言葉を持てないでいる。
だが。
幼い頃からおじいちゃん・おばあちゃん子で、
休みの度に田舎へ行くことをせがむ子供だった僕にとって、
祖父母の存在はただただ大きく、とても辛いことだ。
そして僕は愚かしくも、
「いつまでも元気で生きていてくれる」
という錯覚にもとらわれていた。
いや、アタマでは解っていたはずなのに、現実に目をつむり、
自分に都合のいい幻想の中で、祖父母への不義理をごまかしていたのかもしれない。
これが本当に悔やまれる。
実際、僕は晩年の祖父に何ひとつしてあげられなかった。
いつも、甘えていただけだ。
そんな僕が寂しい、辛いといくら語ったところで、
どうしても身勝手なものを感じてしまう。
本当に辛いのはずっとそばにいた祖母であり、母であり、叔母であろう。
いま僕に出来ることは、彼女らを支えることだ。
でなければ、祖父に何ひとつ恩返しできないまま、ということにもなろう。
自分の来し方を振り返るだに、人に甘えてばかりの、
身勝手な人生だなと思えてイヤになるが、
少しずつ、ささやかにでも返していくしか、ない。
それにしても。
普段饒舌な人間に限って、こういうときに語るべき言葉を持ち合わせないものか。
「ご冥福」だなんて、語感に触れても文字を見ても、
自分の実感とはかけはなれた上滑りな感じがして、ぞっとしてしまう。
僕はただ、寂しい。
大きくて優しかった祖父に二度と会えないのが、寂しい。
焼かねばならぬのが、どうしようもなく、辛い。
頑張って下さい。