愛車アウトバック、旅先でオーバーヒートを起こし、地元まで搬送。
幸い事故やトラブルではなく、旅行もレンタカーで完遂できたけれど、愛車は瀕死。
修理工場からの連絡によれば、
ラジエーターパンク、オイル漏れ、CVTオイルもアウト。
ちょうど来月が車検でもあり、通すには都合60万超との見積もり。
実質的な引退勧告。めちゃくちゃいいクルマだったのになあ………涙。
実質的な引退勧告。めちゃくちゃいいクルマだったのになあ………涙。
37歳で初めて買ったクルマ。
友人に勧められ、試乗してひとめぼれ。
高かったけど、どうしても乗りたくて、背伸びして買ったクルマ。
ローン組んで2年経たずに会社辞めて独立して、支払いにヒヤヒヤしたクルマ。
日々の通勤や買い物はもとより、旅行でも大活躍。
大阪や浜松への帰省、本四連絡橋全制覇、フェリーで渡って佐渡島、
数えきれないほどいろんなところへ行った。
水平対向エンジン・四駆・低重心のパワーと安定性は抜群。
どんな雨も嵐も悪路もへいちゃら。
このクルマさえあれば何も心配要らなかった。
2012年3月11日、甥の生まれたその日に納車。これに乗って会いに行ったっけ。
元は試乗車で、僕の所へ来たときには走行メーターが8327km。
元は試乗車で、僕の所へ来たときには走行メーターが8327km。
以来本日まで13年2ヶ月と6日。しめて16万8021km!
地球4周以上の距離を共にしたこのクルマも、
これだけ乗るとさすがにシビアな故障が相次ぐ。
とうとう手放すことになった。寂しいなあ。
思えば息子が生まれた日も、娘が生まれた日も、このクルマで迎えに行った。
僕の人生の思い出に残る様々なシーンを彩ってくれた最高のクルマ。
子供たちも大好きだった「パパのクルマ」。
彼らもまた、別れを惜しんでくれている。
思い出の詰まった愛車、お金さえかければまだ走れる車だけに、
突然の別れはたしかに寂しいんだけども、
ただ、維持や修理に何十万円もかかるのは、もう実質的に寿命のようなもの。
あきらめるより他にないね。
いまの僕は、クルマへの愛着以上に、
そんなお金があったら子供たちのために使いたいんだよね。
…などと、自分を言い聞かせながら。
別れの日までカウントダウンを続けておりました。
手放すことが決まってからは、名残惜しくてたまらないのに、
故障を抱えているのでそう乗り回すこともできず、
毎日出勤前や帰宅後にボディを撫で回したりして。
写真も撮りまくって、家族揃ってのラストドライブ(ウルトラマンよろしく数分なら走れるのだ!)を提案したり、あんまり感傷的なもんで、
写真も撮りまくって、家族揃ってのラストドライブ(ウルトラマンよろしく数分なら走れるのだ!)を提案したり、あんまり感傷的なもんで、
嫁さんには「ロマンチストだねぇ…」なんて笑われる始末。
実際、僕はモノにも場所にもヒト同様に愛着がとても強い人間だという自覚はある。
まして初めて買ったクルマ、それも大のお気に入りとあれば是非もない。
家族との思い出も染み込んでいるし、かといって大金叩いて乗り続けることも叶わず、
引取までの数日も中途半端に長く感じられて辛かった。
昨夜は近所のコンビニまで家族みんなでのラストドライブ。
明けて迎えた最後の日の朝。
土砂降りのなか出かけなければならぬ妻と娘を駅まで送り、
これが本当のラストドライブに。
最後の最後まで困った時に頼りになるヤツだった。
午後の引き渡しは実にあっけなく完了。
それまでケロッとしてた息子もようやく事態が呑み込めたらしく、
業者が乗り込むとにわかに表情が曇り、最後に写真を撮って欲しいと。
ロマンチストの血は受け継がれている模様。
やがて運ばれていく後ろ姿を父子で見送る。
父の脳内で流れ出すドナドナ。
父と並んで泣きそうな顔してる息子に、
「また新しいクルマ買っていろんな思い出つくろうね!」
と元気づける。それはそのまま僕自身への慰めでもあったろう。
しかし、そこは過去を背負った50歳と未来しかない5歳。
「新しいクルマ」を耳にした愛息はパッと顔が明るくなり、
「じゃあクルマ屋さん行こう!こんどはねー、黒と白かー、オレンジと黒のクルマがいいなー!」
「じゃあクルマ屋さん行こう!こんどはねー、黒と白かー、オレンジと黒のクルマがいいなー!」
だって。切替はやっ。
いいけどそのカラーリング、パトカーもしくは讀賣じゃねーか。
どっちにしてもパパの一番嫌いなやーつー。
まあ、最近は新車でも中古でもエッライバカ高くなっちゃいましたからね。
子ども二人もいて、もうこのクラスの車にはとても乗れないよ。
まあ、しばらくは徒歩&電車通勤だね。健康健康。
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