いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

赦す

2015-09-29 21:53:26 | 特選いぶたろう日記
自分では絶対に正しいと思っていたことが、
あとで大きな間違いであったことに気づいたり、
逆に自分では不本意だとか恥ずかしいとか思ってたことが、
あとで正しい方向に導いてくれることなんてのが、ままある。

つまり、最終的な価値や是非は時が経ってみないとわからないし、
それはどのくらいでわかるのかと言えば、
これはもう自分自身の年輪の重ね方による。
何かに囚われ思い込んでいる限りはいつまでも盲目だろうし、
それでいて人はいつも自分は冷静で客観的だと信じたいものだから、
たいてい、取り返しのつかないことになってから
深く悔やんだりすることになる。

人を赦すこと。
自分を赦すこと。
これだけが人の心を自由にするコツだろうと思う。

アルバムの中の一葉の写真のように固定された過去なんてのは、
枠内に写っていない何もかもを都合よく忘れた思い込みで、
もっと色んなものが混じり合っていたはずだ。
そしてすべては今に続き、未来へと流れている。

変わらないものなど何もないし、
みんななくなったように感じていても、
形が変わっただけかもしれない。
赦せないのは他人ではなく、
何かに執着し続ける自分の中にその種子があるのかもしれない。

結局すべてはみんな、自分が幸せになりたいというだけのこと。
幸福はただの欲かもしれないし、欲は錯覚かもしれない。
人の言葉は嘘かもしれないし、嘘は思いやりかもしれない。
思いやりは自己満足かもしれないけれど、その連鎖が絆を生むのかもしれない。
絆とかそんなので彩られた人生も長くて短い夢なのかもしれない。

中也は「喜びすぎず、悲しみ過ぎず」と言い、
井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と言った。

僕はここに
「ガマンし過ぎず、適度に忘れ」
「ゴメンね」と「もういいじゃんか」、
そんなのを付け足してもいいのではないかと思う。

赦す。
誰かが、誰かを、ということではなく。
誰もが、誰もを、なのだ。
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