今日は22年ぶりの旧友と再会しました。
例の「あろは~」3人衆のひとりです(笑)。
22年ぶり…小学校卒業以来なんだけど…とはいっても、
なんてんだろう、
お互いにルーツを知っているからこその、
「気取ってもしゃあない」空気は、
ほのぼのあったかいものがあったなあ。
懐かしい人名地名が山ほど出てきて、
楽しい時間を過ごしたよ。
いつか書いたけど、
僕は小学校時代にあまり良い思い出がない。
いまはもうどうってことないけれど、
かつてはトラウマになってた部分も少なからずあったかな。
あの頃の知り合いはみんな僕のことを嫌っている、みたいな。
とにかく小学校の規格からははみ出してたし、
自分自身に自信もなかったしね。
でも、良い思い出も無いはずもなくてね。
全体的に暗くもやのかかった期間だったけど、
たまにキラッと光る思い出が散らばってて、
それは闇の中に浮かぶ分、すごく鮮烈に残ってるよ。
クラス総スカンの中、手をさしのべてくれたKとかね。
親の「あの子と付き合っちゃいけません」を跳ね返したN原とか、
僕のやり場のない憂鬱をぶつけてた創作作品を、
かたっぱから読んでくれたN田とかね。
どうしてんだろう、と思う。
それにやっぱり生まれ育ったところだから、
たまに時間ができるとよく大阪へは行ってたし、
そこで再会できた人々とは必ずうち解けることができてね。
まあ、お互い大人になったんだろう。
いまこうしてわかり合えるならいいや、てなもんでさ。
今日会った人は僕にそういう先入観はなかったそうだ。
だからこそああして屈託無く語りかけてくれたのだろう。
僕にはそれが嬉しくてね。
あの頃の知り合いに声をかけてもらえる、
てのは僕にとって特別なことだ。
で、22年の歳月を超えて旧交を温めることとなったわけです。
いろんな話をしたなあ。
一番興味深かったのは、
僕がいなくなったあとの生まれ故郷の出来事で、
それは言い換えてみれば
「僕が選ばなかったもうひとつの選択肢」でもあるわけだ。
地元の小学校から地元の中学校へ進学し、
地元の高校へ…と進む過程で、
少しずつ地元の人間関係が変化・展開していく、
それぞれの人生へと枝分かれしていく、
そんなアナザーストーリー。
苦労もあれば笑い話もあって、
なんか、感慨深かったな。
地元の同級生というのは、さまざまだ。
出世があり、落伍があり、結婚があり、非婚妊娠があり、
事故があり、病気があり、成功があり、失敗がある。
いや、どこにおいてもそうなんだろうけど、
それらが共有され、伝達される度合いが濃い。
僕はそれに比べるとある程度限定された、
都会的な温室に育ったから、
どちらかというと広いようで狭い価値観の中にいた
期間が長かったような気もする。
その善し悪しはわからないけど、
遅くまで進学とか就職とか結婚とか、
そういう人生の選択肢について深く考えずに来たように思う。
それは今もってそんな気もする。
よく言えば、ラッキーだ。
悪く言えば、人生をナメている。
僕自身についてだけ言えば、
あの時あそこで選んだ選択肢は間違っていなかった。
あのまま何もせずにいたら、早晩ダメになっていた。
僕が生まれ育ったあの地域を悪く言うつもりはない、
ただ、稲の種籾を畑にまいてもダメなように、
僕には僕の育つべき場所がほかにあったのだろう。
それをかつてのように優越感で語る価値観は、
いまの僕にはない。
ただ、そういう選択肢をくれた両親に感謝あるのみだ。
同級生の語る中学生活は、
やはり僕の肌には合いそうもない、
いわゆる「よくある公立教育」だった。
彼女はそこで中学校への反発があって、
小学校の僕と同じように葛藤があったという。
それを聞いて思う。
僕が特別どうこうなのではなく、
誰しもが抱える抑圧を、鬱屈を、屈託を、
たまたま僕は感じ取るのが早かっただけなのだろう、と。
小学生にとって守るべきは先生の言葉と用意されたルールで、
それに疑問を抱く方がおかしいのだ。
何より、僕自身もそのことへの不満の表現の仕方が、
どうしようもなく稚拙で乱暴で、説得力を欠いたのだから、
ただのワガママに見えたって仕方がない。
周囲の理解など得られなくて当然だ。
僕の幼少期の孤独は構造的なものだった。
そう思うと、少し楽な気がした。
誰も憎まなくていい結論だ。
おかしいよね、矛盾してるよね。
でも、仕方ないよね。
そう言って流すことができないのは僕の生まれ持った性分で、
それは今もってそうだ。
議論無き強制には疑問を感じる。
証拠を、説明を、根拠を求める。改善を要求する。
納得すれば従うけれど、できなければしない。
それを厄介者と見るか、才能と見るか。
思えばいつもこういう評価の狭間で揺られてきたように思う。
少なくとも、大企業の片隅で生きていけるようなタイプではなさそうだ。
疑問に思わないことが何より要求されるのだとすれば、だが。
てこた、あんまり成長してないんだな(笑)。
でもおかげでどんなに久しぶりに会った人にも、
「変わらないね」と言ってもらえる。
それが僕は何より嬉しい。
あとは見た目もそうだねと言ってもらえるように、
ちょっとゆるんできた体格を引き締めなきゃね(笑)。
なんだかここ3年いろいろ迷ったけれど、
ひとつ自分のあり方として納得のいく結論が得られそうだな。
結局、どこで何をしようと僕は僕でしかない。
反骨精神を肌身離さず、文句と皮肉ばっかり並べて、
その一方でどうしようもなく情実だったりして、
周囲の人を理解者とアンチにはっきり塗り分ける。
これだけはどーも、変わらないみたいだ(笑)。
やっぱり、ロック向きじゃん、おれ(笑)。
例の「あろは~」3人衆のひとりです(笑)。
22年ぶり…小学校卒業以来なんだけど…とはいっても、
なんてんだろう、
お互いにルーツを知っているからこその、
「気取ってもしゃあない」空気は、
ほのぼのあったかいものがあったなあ。
懐かしい人名地名が山ほど出てきて、
楽しい時間を過ごしたよ。
いつか書いたけど、
僕は小学校時代にあまり良い思い出がない。
いまはもうどうってことないけれど、
かつてはトラウマになってた部分も少なからずあったかな。
あの頃の知り合いはみんな僕のことを嫌っている、みたいな。
とにかく小学校の規格からははみ出してたし、
自分自身に自信もなかったしね。
でも、良い思い出も無いはずもなくてね。
全体的に暗くもやのかかった期間だったけど、
たまにキラッと光る思い出が散らばってて、
それは闇の中に浮かぶ分、すごく鮮烈に残ってるよ。
クラス総スカンの中、手をさしのべてくれたKとかね。
親の「あの子と付き合っちゃいけません」を跳ね返したN原とか、
僕のやり場のない憂鬱をぶつけてた創作作品を、
かたっぱから読んでくれたN田とかね。
どうしてんだろう、と思う。
それにやっぱり生まれ育ったところだから、
たまに時間ができるとよく大阪へは行ってたし、
そこで再会できた人々とは必ずうち解けることができてね。
まあ、お互い大人になったんだろう。
いまこうしてわかり合えるならいいや、てなもんでさ。
今日会った人は僕にそういう先入観はなかったそうだ。
だからこそああして屈託無く語りかけてくれたのだろう。
僕にはそれが嬉しくてね。
あの頃の知り合いに声をかけてもらえる、
てのは僕にとって特別なことだ。
で、22年の歳月を超えて旧交を温めることとなったわけです。
いろんな話をしたなあ。
一番興味深かったのは、
僕がいなくなったあとの生まれ故郷の出来事で、
それは言い換えてみれば
「僕が選ばなかったもうひとつの選択肢」でもあるわけだ。
地元の小学校から地元の中学校へ進学し、
地元の高校へ…と進む過程で、
少しずつ地元の人間関係が変化・展開していく、
それぞれの人生へと枝分かれしていく、
そんなアナザーストーリー。
苦労もあれば笑い話もあって、
なんか、感慨深かったな。
地元の同級生というのは、さまざまだ。
出世があり、落伍があり、結婚があり、非婚妊娠があり、
事故があり、病気があり、成功があり、失敗がある。
いや、どこにおいてもそうなんだろうけど、
それらが共有され、伝達される度合いが濃い。
僕はそれに比べるとある程度限定された、
都会的な温室に育ったから、
どちらかというと広いようで狭い価値観の中にいた
期間が長かったような気もする。
その善し悪しはわからないけど、
遅くまで進学とか就職とか結婚とか、
そういう人生の選択肢について深く考えずに来たように思う。
それは今もってそんな気もする。
よく言えば、ラッキーだ。
悪く言えば、人生をナメている。
僕自身についてだけ言えば、
あの時あそこで選んだ選択肢は間違っていなかった。
あのまま何もせずにいたら、早晩ダメになっていた。
僕が生まれ育ったあの地域を悪く言うつもりはない、
ただ、稲の種籾を畑にまいてもダメなように、
僕には僕の育つべき場所がほかにあったのだろう。
それをかつてのように優越感で語る価値観は、
いまの僕にはない。
ただ、そういう選択肢をくれた両親に感謝あるのみだ。
同級生の語る中学生活は、
やはり僕の肌には合いそうもない、
いわゆる「よくある公立教育」だった。
彼女はそこで中学校への反発があって、
小学校の僕と同じように葛藤があったという。
それを聞いて思う。
僕が特別どうこうなのではなく、
誰しもが抱える抑圧を、鬱屈を、屈託を、
たまたま僕は感じ取るのが早かっただけなのだろう、と。
小学生にとって守るべきは先生の言葉と用意されたルールで、
それに疑問を抱く方がおかしいのだ。
何より、僕自身もそのことへの不満の表現の仕方が、
どうしようもなく稚拙で乱暴で、説得力を欠いたのだから、
ただのワガママに見えたって仕方がない。
周囲の理解など得られなくて当然だ。
僕の幼少期の孤独は構造的なものだった。
そう思うと、少し楽な気がした。
誰も憎まなくていい結論だ。
おかしいよね、矛盾してるよね。
でも、仕方ないよね。
そう言って流すことができないのは僕の生まれ持った性分で、
それは今もってそうだ。
議論無き強制には疑問を感じる。
証拠を、説明を、根拠を求める。改善を要求する。
納得すれば従うけれど、できなければしない。
それを厄介者と見るか、才能と見るか。
思えばいつもこういう評価の狭間で揺られてきたように思う。
少なくとも、大企業の片隅で生きていけるようなタイプではなさそうだ。
疑問に思わないことが何より要求されるのだとすれば、だが。
てこた、あんまり成長してないんだな(笑)。
でもおかげでどんなに久しぶりに会った人にも、
「変わらないね」と言ってもらえる。
それが僕は何より嬉しい。
あとは見た目もそうだねと言ってもらえるように、
ちょっとゆるんできた体格を引き締めなきゃね(笑)。
なんだかここ3年いろいろ迷ったけれど、
ひとつ自分のあり方として納得のいく結論が得られそうだな。
結局、どこで何をしようと僕は僕でしかない。
反骨精神を肌身離さず、文句と皮肉ばっかり並べて、
その一方でどうしようもなく情実だったりして、
周囲の人を理解者とアンチにはっきり塗り分ける。
これだけはどーも、変わらないみたいだ(笑)。
やっぱり、ロック向きじゃん、おれ(笑)。