自分の小中学生時代を思い出す。
ついこないだの様にも感じるし、
いつかまたやれるような気もするけれど、
遙か遠くにあって二度と還らないんだよねえ。
だからたまに羨ましくなることもある。
彼らの中に入って、
自分も一緒にもう一度小中学生をやってみたいと思うことがある。
別に今までの人生、今の自分に後悔や不満があるワケじゃないよ。
むしろ、すごく幸せな人生を歩んでいると思うし、大満足してる。
大成功も大失敗もあったけど、特にやり直したいなんて思うこともない。
やり直すことになんてなったらもったいなくてしょうがない。
今までに身につけた経験や知識もさることながら、
一期一会の編み目のなかで、すっと触れることのできた多くの素晴らしい人々と、
また出会えるかどうか判らないなんて、どうにも寂しい。
僕が小中学生をもう一度やってみたいと思うのは、
今の自分がそのまま肉体だけ彼らと同じ年代になって、
彼らの輪に加わった場合、どういうことになるのだろう?
という面白半分の理由からだ。
見てみたいな~。
あの、一緒に帰るの帰らないのとかのどーでもいいことで本気でモメ、
テストの結果ひとつに世界のすべてが終わったかのような表情を見せ、
好きの嫌いのを素直に言えないばかりにもがき苦しみ、
学校と家と習い事の詰まった小さな街が世界のすべてである、
そんな小中学生の中に入ってみたい。
どういう存在に映るんだろうね。
あ、でも3日ほどで僕が耐えきれなくなるだろうなあ。
理屈、通じそうにないし…。
子供に戻りたいというのは大人の定型句ベスト3に入る言葉だが、
いまの自分の知識と経験はそのままで、
というワガママな条件つきが前提となるんだろう。
でもな~。
子供だぜ。無力だぜ。
収入ないから行動も規制がかかるし、夜出歩けないし、
好きなもん買えないし、食いにも行けない。
今思うとなんて不自由なんだろうな~と思う。
自由と責任は表裏一対だから、
大人は自分の稼ぎでまかなえるだけの自由をむさぼれる。
その自由をいまさら捨てるのは難しい。
僕はこの「どこまでも自由だけど責任は自分で」の原則が大好きなので、
やっぱり今ある何もかもを捨てて子供に戻りたいとは思わない。
大人の自由の価値を忘れ、責任の重さに耐えかねて、
指示を守れば評価される子供に戻りたいと思うのは、
まあ、やっぱし精神が幼稚なのかな。
いささか逆説めいた話だけれど。
「自分は他人とは違う、誰が何と言おうと自分は自分だ」
と考える人の方が、周囲の気持ちや言動にも敏感であるような気がする。
反対に、世の中で常識とされるものや権威体制に疑問を抱かず、
それを守り崇めることが大人なのだと思いこんでいる大多数の人間こそ、
他人に対して傲慢な部分が多いように思う。
責任を背負う覚悟が違うのかな。
とにかくすべてありがちな一般論で片づけちゃう人、
理想論とすり替えちゃう人、精神論だけで乗り切ろうとする人、
こういう人々は臆面もなく言うんじゃないだろうか。
「あ~あ、俺も子供に戻りたいよ、~~の頃からやり直してみたいなあ」
と。
まあ、自分が自分であるために必要な経験の積み重ね、
知識の吸収、価値観の形成、
こういうものをサボってきたからこそ自分に自信が持てずに、
社会の流れに身を任せてしまう気楽さから逃れられないのだろう。
しかも、そういう人には自覚がない場合も多い。
言っちゃ悪いが特に理由もなく職に就かない、
そして何か「夢を追っている」という形だけを具えている、
そんな人間に多いような気もする。
ただ楽しいから、ラクだからやっているだけなのかもしれないのに、
自分に対してそういう疑いを持たないから危機感がない。
危機感がないから大成しない。
成功しなかった時の責任の取り方も考えたりはしない。
まあ、どうにかなるさと思って済ませちゃう。
それがカッコイイと思っている。どうにもなるわけないのに。
どうにかなるのは才能のある人間だけだ。
たとえば「バンドをやっている」のが言い訳になったり免罪符になったりする。
それは自分の中で恥ずかしいことだと思わなきゃいけないのに、
自分でうっとりしちゃう。
あまつさえ人に安売りする。
見る人が見れば先がないのは明らかだろうに。
迫り来る年齢のリミットに耐えかねた時、やはりこんな思いが心をよぎるだろう。
「あの頃に戻りたいなあ」
だけどそれはただの敗北宣言。
オレは絶対、クチにしないぞ。
まあでも、一日体験小中学生くらいならやってみたいと思うわけですよ。
生徒を見ていて思うけど、
彼らには既に僕が遠い昔に失ってしまった貴重な時間があるわけでしょう。
これからまだまだ多くの経験が彼らを待っていて、希望も可能性も無限にある。
その代え難い価値を彼らに理解して欲しくて、
僕は授業以外に色んな話もするけれど、
やっぱりそれを本当に理解できるのは、
いい歳になってしまってからなんだよな。
鴨長明が言うとおり、人生って無常だねえ、やはり。
ついこないだの様にも感じるし、
いつかまたやれるような気もするけれど、
遙か遠くにあって二度と還らないんだよねえ。
だからたまに羨ましくなることもある。
彼らの中に入って、
自分も一緒にもう一度小中学生をやってみたいと思うことがある。
別に今までの人生、今の自分に後悔や不満があるワケじゃないよ。
むしろ、すごく幸せな人生を歩んでいると思うし、大満足してる。
大成功も大失敗もあったけど、特にやり直したいなんて思うこともない。
やり直すことになんてなったらもったいなくてしょうがない。
今までに身につけた経験や知識もさることながら、
一期一会の編み目のなかで、すっと触れることのできた多くの素晴らしい人々と、
また出会えるかどうか判らないなんて、どうにも寂しい。
僕が小中学生をもう一度やってみたいと思うのは、
今の自分がそのまま肉体だけ彼らと同じ年代になって、
彼らの輪に加わった場合、どういうことになるのだろう?
という面白半分の理由からだ。
見てみたいな~。
あの、一緒に帰るの帰らないのとかのどーでもいいことで本気でモメ、
テストの結果ひとつに世界のすべてが終わったかのような表情を見せ、
好きの嫌いのを素直に言えないばかりにもがき苦しみ、
学校と家と習い事の詰まった小さな街が世界のすべてである、
そんな小中学生の中に入ってみたい。
どういう存在に映るんだろうね。
あ、でも3日ほどで僕が耐えきれなくなるだろうなあ。
理屈、通じそうにないし…。
子供に戻りたいというのは大人の定型句ベスト3に入る言葉だが、
いまの自分の知識と経験はそのままで、
というワガママな条件つきが前提となるんだろう。
でもな~。
子供だぜ。無力だぜ。
収入ないから行動も規制がかかるし、夜出歩けないし、
好きなもん買えないし、食いにも行けない。
今思うとなんて不自由なんだろうな~と思う。
自由と責任は表裏一対だから、
大人は自分の稼ぎでまかなえるだけの自由をむさぼれる。
その自由をいまさら捨てるのは難しい。
僕はこの「どこまでも自由だけど責任は自分で」の原則が大好きなので、
やっぱり今ある何もかもを捨てて子供に戻りたいとは思わない。
大人の自由の価値を忘れ、責任の重さに耐えかねて、
指示を守れば評価される子供に戻りたいと思うのは、
まあ、やっぱし精神が幼稚なのかな。
いささか逆説めいた話だけれど。
「自分は他人とは違う、誰が何と言おうと自分は自分だ」
と考える人の方が、周囲の気持ちや言動にも敏感であるような気がする。
反対に、世の中で常識とされるものや権威体制に疑問を抱かず、
それを守り崇めることが大人なのだと思いこんでいる大多数の人間こそ、
他人に対して傲慢な部分が多いように思う。
責任を背負う覚悟が違うのかな。
とにかくすべてありがちな一般論で片づけちゃう人、
理想論とすり替えちゃう人、精神論だけで乗り切ろうとする人、
こういう人々は臆面もなく言うんじゃないだろうか。
「あ~あ、俺も子供に戻りたいよ、~~の頃からやり直してみたいなあ」
と。
まあ、自分が自分であるために必要な経験の積み重ね、
知識の吸収、価値観の形成、
こういうものをサボってきたからこそ自分に自信が持てずに、
社会の流れに身を任せてしまう気楽さから逃れられないのだろう。
しかも、そういう人には自覚がない場合も多い。
言っちゃ悪いが特に理由もなく職に就かない、
そして何か「夢を追っている」という形だけを具えている、
そんな人間に多いような気もする。
ただ楽しいから、ラクだからやっているだけなのかもしれないのに、
自分に対してそういう疑いを持たないから危機感がない。
危機感がないから大成しない。
成功しなかった時の責任の取り方も考えたりはしない。
まあ、どうにかなるさと思って済ませちゃう。
それがカッコイイと思っている。どうにもなるわけないのに。
どうにかなるのは才能のある人間だけだ。
たとえば「バンドをやっている」のが言い訳になったり免罪符になったりする。
それは自分の中で恥ずかしいことだと思わなきゃいけないのに、
自分でうっとりしちゃう。
あまつさえ人に安売りする。
見る人が見れば先がないのは明らかだろうに。
迫り来る年齢のリミットに耐えかねた時、やはりこんな思いが心をよぎるだろう。
「あの頃に戻りたいなあ」
だけどそれはただの敗北宣言。
オレは絶対、クチにしないぞ。
まあでも、一日体験小中学生くらいならやってみたいと思うわけですよ。
生徒を見ていて思うけど、
彼らには既に僕が遠い昔に失ってしまった貴重な時間があるわけでしょう。
これからまだまだ多くの経験が彼らを待っていて、希望も可能性も無限にある。
その代え難い価値を彼らに理解して欲しくて、
僕は授業以外に色んな話もするけれど、
やっぱりそれを本当に理解できるのは、
いい歳になってしまってからなんだよな。
鴨長明が言うとおり、人生って無常だねえ、やはり。