Journal of Veterinary Internal Medicine 2005、19(4) 564-570 に
Hemangiosarcoma in 11 young horses
若い馬11頭の血管肉腫
という学術報告が載っている。
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要約
血管肉腫は馬ではまれな腫瘍で、若い馬の血管肉腫は年齢がいった馬の血管肉腫とは異なった経過を示すかもしれない。
この調査の目的は、3歳以下の馬の血管肉腫の特徴を明らかにすることである。
1982年から2004年までの診療記録を調査し、組織病理学的に血管肉腫と診断された3歳以下の馬を抽出した。
11頭が確認された。
サラブレッドとサラブレッド系がほとんどであった。
9日齢から3歳齢であった。
すべての馬は、皮下あるいは肢の腫れ、または関節の腫脹で診療を受けていた。
診察所見では、心拍数増加、発熱、沈鬱であった。
検査所見の異常は、貧血(5/11)、高フィブリノーゲン血症(4/11)、低フィブリノーゲン血症(3/11)、血小板減少症(2/11)、そして好中球増加症(1/11)であった。
いずれの症例でも超音波画像診断とX線画像診断では診断されていなかった。
生前の組織病理診断は10例で行われていた。
11頭のうち6頭は安楽殺されていた。
外科的切除は5頭で行われ、うち2頭はのちに安楽殺されていた。
診断は、安楽殺された全例で死後の組織病理検査で確認された。
2例は自然治癒した。
腫瘍塊が局所に限定されていて、外科的切除が可能であるなら、早期の組織学的診断が治癒につながるかもしれない。
馬が内科的に安定していて、腫瘍塊が生活の質を害しない症例では、観察期間をおけるかもしれない。
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ペンシルヴァニア大学からの報告。
あのRichardson教授も報告者に名を連ねている。
私も何度か馬の血管肉腫に遭遇してきたが、良い記憶はない。
臨床家の常として、治った症例は忘れ、ダメになった症例を覚えているからかもしれない。
若い馬の肢にできることがほとんどだったが、摘出・切除しようとしても血管がとぐろを巻いていて、出血が多く、厄介なことが多い。
手を出す前に超音波でわかっていることが多い。
この文献にある超音波画像診断が役に立たない、というのは意外だが、確定診断ではない、という意味かもしれない。
血管肉腫は、馬と犬ではその発症の仕方や経過が異なるようだ。
犬で腹腔・胸腔臓器にできるタイプは、馬の肢にできる血管肉腫より致命的であることが多い。
犬なら、肢にできたのなら切除できるだろうし・・・・
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相棒が、血管肉腫と診断されたときに、PubMedで検索したのだった。
相棒が逝って半年たった。
病気の発見や、手術の判断や、抗腫瘍剤治療するかしないかの選択について、何も後悔はない。
自分が臨床獣医師でよかったとも思っている。
ただ、ただ、もう一度、相棒に会いたい、だけ。
少し前の講演がもしかしたらオラ君の治療にも使えたかも。と思う内容で、まだ先かもしれませんが順調に実用化にたどり着けるといいなと思いました。
先日の山散歩しょっぱなにびしょ濡れのゴールデンに会い、一瞬でゴルのこと様々思い出しました。晴れた空を見上げ、吐く息で声も出さずに「会いたい」となりました。何年たってもそういうものなのだろうと思いますよ。
で、賢いいとこわんわんに気取られないよう山に入りました
大西順子さんのアルバムに入っているUn Dia de Cielo Azul 歌詞はわかりませんがなんかしみるし、ピアノもすんごいし、最近このアルバムを何回も聞いています。
思い出したい記憶があるのも財産ですよね。
大西順子さん、探してみます。
とはいえ、馬では手に負えないメラノーマが牛ではどうでしょうであったり、犬の乳腺腫瘍に比較して猫はどうでしょうとか、動物種の差は歴然なのでしょうね。
亡くなってもなお会いたい、と言うのは家族的ボンディングなのでしょうね。
私はその時泣くような人が居なくなってもそのあとはサッパリでして、その点サイコかもという自覚があります苦笑
自分までも俯瞰してるんでしょうね。
大西順子さんピアノとは思えないような、はたまた女性とは思えないようなゴリゴリの演奏で出てきたの知ったのは大学受験の頃でした。
いい思い出です。
隠居したのかと思いきや、すっかり丸くなって再起動してまして、コロナクライシスど真ん中今年ホールここだけなの、と某県のコンサートではしゃいでました。
いつまでもただ、ただ会いたいんですよね
理屈ではなく自然に溢れる想いですね
「親が死んでも泣かないけど、犬が死んだら泣くもんな」、と言っていたオジサンが居ました;笑 そういうオジサンが自分の死を達観している、できているかはまた別の話だと思います;笑
大西順子さん御存じでしたか。JAZZは日本での人気が根強いですね。
家畜育種すると種祖が収束していきがちですからね。
飼い犬の死は子供に先立たれてしまうようなものなのでしょうね。
手間もかかり相互愛着もあったのに、なのかも知れません。
綾戸智恵さんも大西順子さんも親の介護が結構大変だった時期があるようで、この筋の女性のある種のパターンなのかも知れません。
自分の死の達観なんて、とりあえずめんどくせえだろうな、くらいなのではないですか。
社会といいますか周囲への責任が大きくなると、終活というより常々あまり依存させないような気配りが必要になるのかもしれませんね。
なった人にしかわからない気苦労でしょうね。
生きていくとはそういうことなのでしょう。「親を亡くし、妻と別れ、友は去り、それでも人生が終わるわけではなく、生きていかなければならない」モハメド・モハメド・アリ自伝だったかな。