真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「義母浪漫 求めあふ肉愛」(2012/製作:マーメイド/監督:友松直之/脚本:百地優子/プロデューサー:佐藤昌平・久保和明/撮影・照明:田宮健彦/録音:高島良太/助監督:伊藤一平/スチール:高橋卓也/監督助手:堅田裕介/撮影助手:長谷川玲子/制作:躰中洋蔵/編集:池田勝/制作協力:レオーネ/出演:北条麻妃・磯田泰輝・なかみつせいじ)。ヘアメイクに力尽きる、己のメモが読めん。
 目出度くなく浪人一年生の伊藤ヒデキ(磯田)の父・正人(なかみつ)は、高校入試に関する保護者面談が馴れ初めで、息子の中学時代の担任・由紀子(北条)と昨年再婚―前妻とは十年前に死別―した。そんな腫物な時期にそんな刺激的なことを仕出かされては、ヒデキが落ちるのも幾分かは無理からぬ気がする。ある日、ヒデキは洗濯物を取り込んだ由紀子が落として行つた赤のパンティを手に入れ、美しい義理の母親に対し明確に点火される。由紀子は結婚後も教職を続け、日中ヒデキ一人きりの伊藤家。新たな収穫を求め、由紀子のクローゼットに手を出し宝の山ぶりに驚喜したヒデキは、独身時代から使ひ込んだ愛用の品と思しき、ポーチに入れられたバイブを発見する。
 リリース時元々のタイトルは「淫義母 もうガマンできない…」である筈なのだが、TMCのMIDNIGHTレーベルの手にかゝると「義母浪漫 求めあふ肉愛」なる公開題に。正直よく判らない領域ではあるし、納品すると手を離れてしまふ友松直之御当人も把握されてゐないらしい。それともう一つ、これは最早珍しくはない現況として、今作は僅か一日で撮影してゐるとのこと。外堀は兎も角、映画もといVシネ本体に話を絞ると、宅浪生なのかそんなに居心地がいいのか、劇中ヒデキが半歩たりとて自宅から微動だにしない中、大雑把に纏めると男も女も牡と牝の本義に立ち帰つて生殖しろ。甲斐性になんぞ拘らなくとも転がしておけば子供は勝手に育つとする、友松直之定番のエミール流の少子化対策論―あちこち大雑把過ぎる―が、妙に饒舌なヒデキの口を借りミニマムな展開を濃縮するかのやうに埋め尽くす。確かにそれは十八番の情報戦とはいへ、オムニバス作の一篇程度の物語が、大きく残した余白を友松直之一流のアジテーションで塗り潰すだけのことであるならば、北条麻妃の裸をさて措くとツイッターをフォローしておけば事足りるとも片付けられよう。タイム・アタックにも似た、寧ろそのものでしかない現場の修羅場を鑑みると仕方もあるまい―無論、そのやうなバック・ステージは最終消費者の知つたことではない―としても、どうもパンがぎこちない箇所や絡みに際しては殊更に寄り気味も通り越し殆ど寄り放しである等、画的な見所も節穴には感じられなかつた。ポップに長けた、北条麻妃の表情の作り方以外には。但し、そのまま義母と義息が何だかんだで一線を跨いで終り。そんな平板な負け戦を、トンパチなパブリック・イメージの陰に、本来技術職たるべき職業娯楽作家にとつて最も肝要とされる二つの要素・論理と技術とを、一言でいふと腕を隠した友松直之がおとなしく戦ふ訳がない。但し但し、意表といふよりは、寧ろ高を括つた油断を突かれた鮮烈な落とし処には完敗を認め、かけはしたものの。この手の戦略を採用する以上幕引き際の手品師・深町章―開巻の韋駄天が新田栄―の如く、観客をハッとさせたところで四の五の反芻する暇を与へずチャッチャと畳んでみせる―振り逃げるともいふ―のがより得策ではなかつたらうか。因みに、その為には当然クレジットもオープニングで処理する。さうすると案外、小生のやうなチョロい間抜けは終始ダレ気味の始終のことなどケロッと忘れ、見事に騙された満足感だけを残してみたりもするものである。更なる濡れ場込みともいへ以降は些かならず冗長であることに加へ、二つ目のオチは序盤に蒔いた種のことを忘れた訳ではない上で、矢張り蛇足に思へた次第。

 ひとつ瑣末をツッコんでおくと、近隣で頻発する下着ドロに注意を促す回覧板が、食卓の話題に上る件。正人が長風呂に入る間に由紀子がヒデキから尺八を吹かされる、中盤見せ場の攻防戦。ここでベランダに出るには通過しなくてはならないヒデキの部屋が、二階にあることが判る。即ち、お宅らには概ね関係ない話なのではといふ以前に、そもそも要は干す前後を問はず、由紀子の下着が紛失した場合内部犯が強く推定される格好となる。


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 「夜這ひ虫」(昭和47/製作:多分プリマ企画/配給:恐らく株式会社にっかつ/監督:笹塚稔/脚本:大泉大介/製作:藤村政治/企画:渡辺忠/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/編集:中島照雄/音楽:東京芸術音楽/助監督:城英夫/現像:東洋現像所/録音:大久保スタジオ/効果:秋山効果団/衣裳:東京衣裳/小道具:高津映画/製作主任:大西良夫/出演:高月忠・三重街竜・大月麗子・有沢真佐美・千原和加子・北美マヤ・沖さとみ・丘えり子・益尾久子・霧川マンリ・河森真樹・火ノ浦映司・関多加志・花木久美・鈴木京子・山内とめ・谷口よし子)。企画の渡辺忠は、代々木忠の変名。
 最初に白旗を揚げさせて頂くと、ビリング推定もある程度ならば不可能でないとはいへ、頭二人以外の配役は特定出来ない。
 山々と水車を抜き、祭壇のあつらへられた一室で男女(火ノ浦映司か関多加志と花木久美か鈴木京子?)が事に及ぶ。女が達すると、神事を司る試験官(山内とめか谷口よし子)が男に結婚を許可する。何とそれは女を絶頂に導き得る男のテクニックを試す、“婚前御墨つき儀式”なる村に伝はる通過儀礼であつた。目出度く御墨つきを貰つた男が有難う御座いましたと頭を下げ、続いて儀式に挑む伍郎(高月)を乗せた御輿がエッサホイサ走つて来るところでタイトル・イン。ところが、水車小屋に於ける恋人・小百合(大月麗子か有沢真佐美?)との逢瀬を呑気に回想してゐたりする内に、伍郎は対戦相手の女・お種(北美マヤか沖さとみ?)に惨敗。小百合のために腕を磨くべく、伍郎は北海道から上京する。上野公園や父親が眠る靖国神社を巡りくたびれた伍郎は、ガレージみたいなロケーションで野宿することに。主人公が師匠と出会ふ、重要なシークエンスが感動的に不自然なのだが、そこに現れた熊五郎(三重街)は、フレーム外から垂れる縄を伝つて上階の窓から侵入、眠る女(沖さとみか北美マヤ?)に夜這ひを敢行する。一体その縄は何なのか、そこに伍郎が眠るのを知りながら熊五郎が豪快に無視する不自然に関しては、清々しく通り過ぎて済まされる。熊五郎が女を首尾よくイカせる様に感銘を受けた伍郎は弟子入りを決意、次のカットでは早速兄弟分の杯を交す。
 千原和加子といふセンも消しきれないが、有沢真佐美か大月麗子が親分気取りの表六亭主を喰はせるユリ。布団ワイフを相手にした練習に身の入らない伍郎に、熊五郎は無視してユリが身を任せる件。尻穴を責められると―本当に―「ムヒョ~」と叫び、身を仰け反らせ白目を剥くウルトラ下らないメソッドが一周回つて最高だ。鈴木京子か花木久美と関多加志か火ノ浦映司が、ばか兄弟が最初に覗きに行く青姦カップル?都心の河原で真昼間に、幾ら四十年前とはいへ流石に無理だろ。丘えり子から河森真樹までは、風呂場の出歯亀に飽き足らず最終的には突入する、看護婦寮の皆さん。ユリ役も小池栄子によく似てゐるのだが、この四人の中に一人、宮﨑あおいが居る。谷口よし子か山内とめが、寮母的ポジションのババア看護婦。“私を抱きたい殿方はどうぞご遠慮なくお入り下さい”なる貼紙で男を誘ひ込む、今の感覚ではどう考へても地雷臭しかしない最終決戦の未亡人が、千原和加子?簡単にいふと、判んないものは判んねえよな。
 日活の外注プロダクション・プリマ企画製作による管理人と同い年のクラシック。ロマンポルノ三本立ての三本目に当たると思はれ、収録時間も七十一分弱あるのだが、これをピンク映画と称していいのかな?それとも買取系ロマンポルノといふべきなのか、正直この辺りの扱ひがよく判らない。DMMピンク映画chの新着作品情報が謳ふ、“昭和の異才笹塚稔の幻の作品が復活!”だの“ピンク映画の異才、笹塚稔監督が描く昭和ポルノ版ロードムービーの決定版!”といつたこれ見よがしの大仰な惹句に、まんまと釣られ手を出してみたものである。とはいふものの、誰が異才で何がロードムービーの決定版なのだか、伍郎が熊五郎宅の近所を適当にあちこちして濡れ場を順当に繋げた上、尺が尽きた頃合で恋人の待つ郷里(くに)に帰ると親分に別れを告げ終りといふだけの、穏やかに安定した下町系の裸映画に過ぎない。異才と騒ぐほどの突出したなり尖つた部分がある訳でもなく、別に殊更面白くもない。そもそも、jmdbにも記載の見当たらない笹塚稔なる監督の素性から清々しく手も足も出ないが、この点に関しては当時の状況を勘繰るに、あるいは一般映画で活動してゐた誰かしらの変名なのかも。確かに、濃厚な昭和の空気漂ふ娯楽映画は非常にいい塩梅ではありつつ、それは昭和47年に撮つてゐる以上、普通に撮ればさうなるに決まつてゐる。単にそれだけのことを有難る、脊髄反射的な懐古主義者では小生はない。昔はよかつた、そんなことはクズにでもいへるんだぜ。それよりは旧世紀の間際まで、似たやうなテイストで撮り得た大御大・小林悟や今上御大・小川欽也、次代御大候補・関根和美らが無意識に操る無作為な奇跡の方を、寧ろ尊びたいものである、尊ぶのかよ。


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 「未亡人どもの反乱 喪服でおもてなし」(2003『全国未亡人連合 ‐極楽あそび‐』の2012年旧作改題版/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:坂本太/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:伍代俊介《フィルムハウス》/撮影:創優和/照明:野田友行/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/助監督:今村昌平/監督助手:中野鉄平/撮影助手:宮永昭典/照明助手:高野裕次・深澤修治/音楽:全国未亡人連合少年少女合唱団/スチール:石原宏一/タイトル:昌平タイトル/現像:東映ラボテック/出演 第一話・金沢生まれの未亡人:ゆき・しらとまさひさ 第二話・京都生まれの未亡人:小川真実 第三話・秋田生まれの後家さん:風間今日子・野上正義 岡田謙一郎)。出演者中、しらとまさひさがポスターにはしらとまさひこ、五十音のひとつ前なだけなのに激しく間の抜ける、逆立した奇跡。同じく、脚本がポスターでは有田琉人。
 寺の境内に入る風間今日子、自宅で焼香するゆき(ex.横浜ゆき)、墓を参る小川真実、喪装の三本柱を抜いてタイトル・イン。
<第一話・金沢生まれの未亡人> 亡夫の遺影(杉本まこと時代のなかみつせいじ)の前で悲嘆に暮れる犀川知世(ゆき)は、悲しみ以外にもうひとつ別の問題に頭を悩ませる。亡夫連れ子の伸治(しらと)が、自身を明確に女として見る視線であつた。ここで主は不明のしらとまさひさのアテレコが、絶妙な違和感を残す。さういふ微妙な空気の中、初七日の法要に、全国未亡人連合の巡回相談員・熊谷宗一郎(岡田)が金沢銘菓を携へ犀川家を訪ねる。知世が伸治に関する悩みを打ち明ける一方、不謹慎にも熊谷は未亡人から立ちこめる色気に関根和美ばりのへべれけなイマジンを膨らませる。
<第二話・京都生まれの未亡人> 亡夫(スナップは凄え若い吉田祐健)の一周忌を前に、真行寺君子(小川)は夫が遺したスナックを何とか一人で切り盛りして来たものの、上手くは行かず終に畳む腹を固める。そんな閑古鳥の鳴く店に、熊谷が八つ橋を手土産に現れる。
<第三話・秋田生まれの後家さん> 日舞家元の夫(遺影は泰史時代の竹本泰志)を喪つた男鹿冬美(風間)に、義父の武弘(野上)は男鹿から籍を抜き、新しい人生を摸索するやう勧める。そんな次第の四十九日に、きりたんぽを持参した熊谷が例によつて呑気にやつて来る。
 坂本太2003年全四作中第二作は、三篇の統合を図る意欲も清々しく窺はせないなだらかなオムニバス・ピンク。何が三大でどの辺りが究極なのだか全く判らないが、“日本三大未亡人の究極オムニバス映画”とかいふ、底の抜けたポスター惹句が笑かせる。尤も、映画の宣伝文句なんて吹いた者勝ちだよな。人の好い熊谷があちらこちらしては、坂本太にしては珍しく蚊帳越しに狙はない濡れ場濡れ場を通して未亡人を何だかんだと、言葉は悪いが喰ひ散らかす。要はたつたそれだけの平板な裸映画に過ぎないにしては、それなりに手堅い作劇とそれを支へる岡田謙一郎の朗らかな安定感とで、のんびり楽しませるある意味然るべき一作。最後の最後で、この手の後家もの固有の非情さが火を噴き、男優部から改めて一人鬼籍に放り込む、キレのあるラストが穏やかな始終に刻み込むブラックなアクセントは地味に秀逸。土台が全国未亡人連合なる互助組織のアイデアから画期的、果たしてこれはエクセスの御題なのか、坂本太の発案なのか。何れにせよ、数打てば時には当たる、量産性の生んだ奇跡といへるにさうゐない。

 もう一点ポスターが愉快なのが、各話のタイトルから<第一話・金沢の未亡人>といつたやうに“生まれ”を抜き、堂々と地方ロケを騙つてみせる狗肉ぶり。そもそも、誰しも故郷はある以上、“何処そこ生まれ”を三枚並べる趣向自体に―全篇を近郊撮影で済ませられる以外―どれだけの意味があるのかといふ話ではある。
 亭主の扱ひが無体なラスト< 冬美は義父と再婚するも、武弘も死去。熊谷と再会した冬美は妊娠してゐて、お腹の子の父親は一体どつちなのよ・・・・!?


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 「異常飼育 ワイセツ性交」(2012/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山﨑邦紀/原題:『くはばらくはばら』/撮影:大江泰介/撮影助手:伴徹/照明:ガッツ/照明助手:中城京祐/助監督:北川帯寛・船田智/応援:田中康文/編集:有馬潜/音楽:中空龍/録音:シネキャビン/ポスター:本田あきら/タイトル:道川昭/現像:東映ラボ・テック/原画協力:好善信士/協力:漫画屋・一水社・セメントマッチ/出演:大城かえで、里見瑤子、佐々木基子、竹本泰志、平川直大、キャンディ・H・ミルキィ、Sasha B Savannah、相沢一子、池頭芳宏、上倉健太、長田真紀子、カドカチェトリ順、武子愛、武子政信、ミサ、南田美紅、向井久美子《50音順》、リカヤ・スプナー)。照明のガッツは、守利賢一の変名。出演者中、御大から向井久美子までは本篇クレジットのみ。
 成年マンガを執筆する、弓原咲耶(大城)ことペンネーム・月野こよみ。月野こよみのマンガは不人気で咲耶自身マンガを描く作業に喜びはなかつたが、原稿完成後、ゴスロリ衣装に身を包みバイブの愉悦に震へる時だけは、咲耶は自身が月野こよみであるのを実感した。のつけから下衆が勘繰るに―半分―自嘲気味な月野こよみの造形には苦笑するも、さて措き達した咲耶は、“あと七日で世界は終る”とする拙い口跡の天啓を受ける、咲耶が慄いたところでタイトル・イン。女ばかりの咲耶の家族は三人、後述する姉妹がまだ幼い頃死去した父親の遺産で、趣味の仮面蒐集に明け暮れる母・あずさ(佐々木)は、娘ながらに何を考へてゐるのか判らない女であつた。姉の鹿の子(里見)は精神科医、但し目下休職中。その癖自宅に招いた、患者で雑誌編集者の不可知(竹本)と診察と称した奔放なセックスに励む姿に対しても、医者なのか患者なのか判らぬといふ印象を咲耶は懐いてゐた。ところで、変態性癖の持ち主を“失敗した芸術家”と救済を図る鹿の子愛用のソファーの左右に掲げられた肖像は、左がその“失敗した芸術”観の提唱者オットー・ランクで、右は後に鹿の子が中尾ハジメ訳の著書『性と文化の革命』も手に取るヴィルヘルム・ライヒ。元々は鹿の子から紹介された、不可知が編集長の一水社編集部に月野こよみの完成原稿を持参した咲耶は、編集者の眼力(平川)と、眼力が担当する昨今の女装新潮流「男の娘」をテーマにした新雑誌とを紹介される。早速取材だといふ次第で、眼力はドレスコードで女装してゐない男は入れない、女装バー「まほろば」に咲耶を放り込む。因みに女は、手本になるゆゑ平装で可とする方便。“御大”キャンディ・H・ミルキィ―そのミドルネームのHは、一体何のHなのか―率ゐるガッチガチの女装者と、その他要員(五十音順十名)が繰り広げる仮面舞踏会の威容に圧倒される咲耶に、「まほろば」の雇はれ店長・マホロバ(リカヤ・スプナー)がジェントルに接触する。浜野佐知の一般映画第三作「こほろぎ嬢」(2006/主演:石井あす香)以来、六年ぶり二度目の旦々舎作出演となるリカヤ・スプナーは、やまきよに―少し―似た妖しい色気を漂はせつつ、山本清彦と比べては矢張り些かならず軽い。
 2000年代を代表するアクション映画の大傑作「ユニバーサル・ソルジャー リジェネレーション」(2009/米/監督・編集:ジョン・ハイアムズ/撮影監督:ピーター・ハイアムズ/出演:JCVD、ドルフ・ラングレン、他)のピンク映画化に挑んだ前々作「奴隷飼育 変態しやぶり牝」(2011/主演:浅井千尋)、今度は坂口安吾の『白痴』と『風博士』の翻案に、3・11後の現況を加味した前作にして放射能ピンク「人妻の恥臭 ぬめる股ぐら」(主演:大城かえで)と、二作意欲が空回つた感の強い山﨑邦紀の2012年第二作は、そこだけ掻い摘めば頗る魅力的な今回は女装ピンク。大体、女装薔薇族といふならば兎も角、主人公が初めから女であるにも関らず主モチーフが女装といふのが奮つてゐる。加へて、アバンから衝撃を叩き込む“終末する世界”。五年ぶりの復活に際し、佐々木基子から里見瑤子の手に委ねられた“失敗した芸術家”。仮面蒐集を理解しない娘に、あずさはまるで江戸川乱歩の如く、真の素顔は果たしてどちらであるのやと価値観を倒錯させる、即ち“生身は夢であり、仮の面こそ誠”。そして血縁関係のある実の家族ではないにせよ、マホロバはまほろばに集ふ者達は“滅んで行くファミリー”であると説く。何れも魅力的なテーマの数々に、いよいよ山﨑邦紀が三度目の正直で撃ち抜いた衝撃の傑作、と行きたいところではあつたのだけれど。世界終末の淡々としたカウントダウンを縦糸に、身震ひさせられる風呂敷の数々が拡げられ緊張を伴つた期待感は膨らむものの、結局それらが統一的な物語の中互ひに連関を果たす結実は終にないどころか、よしんばさういふ平板な作劇は端から望まないにせよ、諸々の主題はそれぞれ散あるいは単発的に持ち出されるに止(とど)まり、各単体としてすら根を張る訳でもない。大銀杏は結えぬが出し抜けにまはしを締めたマホロバの四股を火蓋に異装の一同が踊り狂ふ、まほろばカーニバルで振り逃げる、殊にキャンディ御大のフィーバー・ショットで無理から映画を畳み込む荒業も、かつての山﨑邦紀であつたならば頭に奇がつく想定の範囲内になくもなかつたのだらうが、さういふ剛力も欠如する。そもそもが、通り一辺倒な濡れ場から旦々舎にしては甚だ淡白に過ぎまいか。ファンなればこそ臆するでなく筆禍を懲りずに仕出かすが、盛り上げるだけ盛り上げておいて拍子だけが抜かれる、呆気ないラストには山﨑邦紀の全般的な枯れをも感じさせられずにはをれない、盛大に梯子を外す一作。バジェットの僅少なんぞ問題ではない、世界の終末を謳つた以上、外連でも蛮勇でももう少し派手にそして甘美に弾けて貰はないでは、こちらも振り上げた拳の遣り場に困るといふ奴だ。

 何処で触れたものか結局機を逸してしまつたが、咲耶外出時の、ボッサボサの頭に大き目の黒縁メガネを防御的に合はせ、猫背×ガニ股で所在なさげに出歩く大城かえでが狂ほしくエモーショナル。ダメ人間の琴線を直撃するツボを、方向性は違へど全盛期のウィノナ・ライダーばりに完全に自中のものとしてゐる。但し、いざ絡みとなり脱いでみると、幾分以上にオーバー・ウェイトか。


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 「巨乳編集長 やはらかな甘み」(1999/製作:旦々舎/配給:大蔵映画/脚本・監督:山邦紀/撮影:岩崎智之・藤井昌之/応援:橋本彩子/照明:上妻敏厚・荻野真也/応援:河内大輔/編集:《有》フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:田中康文/応援:松岡誠・横井有紀/制作:鈴木静夫/スチール:岡崎一隆/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:河野綾子・風間今日子・吉田祐健・石川雄也・やまきよ・村上ゆう)。
 徐々に与へられる諸情報を煩はしくなる故前後はスッ飛ばして筆を進めると、ジョイトイ屋とはいへ、移転したものでなければ「ラブピースクラブ」(1996年開業)ではなく「Dream Shop 夢の城」、パッキパキに照明の当てられた店長・サボテン(河野)の御満悦な表情を抜いてタイトル・イン。マドンナメイト文庫を主戦場とする、自称どエロ小説家の雄豹(やまきよ)がカタカタと執筆中。それはワープロなのかPCか知らんけど机上に威容を誇る、早過ぎる時代の流れを窺はせるガジェットの巨大さに驚かされる。夜中になると無性に食ひたくなるカップ麺を雄豹が啜つてゐると、妻の村上ゆうが起きて来る。日と所変りマドンナメイト編集部、サボテン店長改めここではマドンナ編集長(だから河野綾子)はオーナーの愛人で、前編集長の種馬(石川)は目下その下に甘んじてゐた。種馬から手を出す形で火蓋を切る一戦はビデオカメラに捉へられてをり、病的な潔癖症につき自室から外に出られない梟オーナー(吉田)が、風間今日子と乳繰り合ひつつ監視する。改め気付いたが、大概特異な劇中世界に放り込まれてなほ、更に独特な存在感を誇示する祐健はとなれば何処の組でも何時も通りの祐健だ。編集部に雄豹先生が原稿をフロッピーで持つて来ると、マドンナは種馬を人払ひ、雄豹戦に華麗に移行する。河野綾子と風間今日子、巨大なオッパイの大山脈が壮観な併走する二戦経て、建物から出て来る村上ゆうの静謐なカット挿んで、村上ゆうは精子の数が少なく女を妊娠させることが出来ないといふ、衝撃の検査結果を雄豹に叩きつける。動揺を隠せない雄豹に村上ゆうが追ひ討ちをかける、「次の世代の新しい生命を生むことは、人間の崇高な義務よ」、「女を妊娠させられないやうな男は、もう男ぢやないよ」なる保守的な男女観は、こと敵が旦々舎とあつては殊更奇異に映る。ともあれ、都会のジャングルを駆け抜ける雄豹気取りの雄豹は忽ち自信を喪失し、果てには書けなくなつてしまふ。
 前後を薔薇族が挟撃する、山邦紀1999年ピンク映画全三作中第二作。野性のタフガイを自任してゐたつもりが、思はぬ事実に呆然と立ち尽くす雄豹の姿は、順序的には逆なのだが今にして思ふと「社長秘書 巨乳セクハラ狩り」(2007/主演:安奈とも)に於ける、砂漠に屹然と獲物を狙ふコヨーテといふ自画像と、周囲の評価―と思ひ込んだ妄想―とのギャップに壊れて行く池島ゆたかを連想させる。ケロッと筆を滑らせてしまふが最終的にはサボテンにアナルを開発された雄豹が、女装エロ作家として開眼するだなどといふ着地点はケッサクで、菊穴に捻じ込まれたディルドーに終に達した雄豹即ちやまきよ(a.k.a.山本清彦)が安らかに涙を流すカットには、単なる色物の枠内に止(とど)まらない正方向のエモーションが満ちる。そこまではいいとして、資本の論理だけはエロ本は駄目である、あるいは男女共々の“変形”。風間今日子が抜群の安定感で適宜投げる挑戦的な視座は、本当に風呂敷が拡げられるばかりで清々しく未消化のまま、映画は河野綾子と風間今日子を向かうに回しては流石の祐健も劣勢は否めない、劇中二度目となる大巴戦の重厚な勢ひで堂々と振り逃げる。頗る魅力的なキャラクターの梟オーナーも、結局無菌の自室から両義的に微動だにしない。物語に本位を置くならば物足りなさも残す反面、河野綾子と風間今日子の何れもタフな濡れ場には尺もタップリと費やされ、オッパイ海でのダイビングには最適の一作。オッパイの山だ海だと、俺は自分で抜いた底に落ちて消滅すればいいのに。


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 「人妻チャイナドレス 欲情むき出し」(1998/製作:旦々舎/提供:Xces Film/脚本・監督:山邦紀/企画:稲山悌二/撮影:鈴木一博・岡宮裕・飯岡聖英《応援》/照明:上妻敏厚・河内大輔/編集:《有》フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:高田宝重/ボディメイク:3014/制作:鈴木静夫/スチール:岡崎一隆/整音:石井ますみ/音響効果:中村佳央/現像:東映化学/協力:日活撮影所・東洋音響カモメ/出演:河野綾子・夢乃・中村和彦・柳東史・やまきよ・村上ゆう)。
 入り婿の権一(中村)と道上咲絵(河野)の夫婦生活で重量級の開巻、大男の中村和彦が苦戦を強ひられるのも宜なるかなと頷かせる、河野綾子のオッパイの破壊力が圧巻。だといふのに判り易過ぎる赤い照明が起動するや、生命感に満ち溢れる咲絵に違和感を覚えた権一は中折れする。心配さうな咲絵に対し、権一がゴメンと眼鏡をかけたところでタイトル・イン。タイトル明け日も改め、咲絵が淹れたコーヒーを、同居する妹の瑞恵(夢乃)が私にも頂戴と貰ふ。河野綾子と夢乃(a.k.a.桜居加奈)の姉妹役は、何はなくともそこにその二人が居るだけでエクストリームに胸が一杯になる。ボリュームのある咲絵と、細身の瑞恵といふ対照がまた堪らん。女子大生の瑞恵が就職の決まつた反面、会社の倒産した権一は失業してゐた。その頃お使ひ中の権一は、公園にてロリロリした扮装で悠然と歩く村上ゆう(ex.青木こずえ)と交錯、心を奪はれる。瑞恵はデートにつき不在の夕食、献立は焼肉。何を買へばいいのか迷つた権一は、多種の焼肉のタレを買つて来てしまつてゐた。さういふ神を宿した細部も兎も角、出し抜けに咲絵は目にも鮮やかな赤のチャイナドレス姿。そのことを当然訊ねられた咲絵は、「最近パッと華やいだことないでせう、気分転換ね」、エクセスの御題に応へておいたよ感が清々しい。食後居間にて突入する夜の営み、矢張り勃たない権一は、ディルドー代りに焼肉のタレを持ち出す。鶏と卵よろしく、権一の不安定さの描写と、焼肉のタレを用ゐたプレイ、これは果たしてどちらが先なのか。ところで柳東史は、そんな訳でその頃瑞恵と何処ぞの301号室で逢瀬を交す恋人で内科医の柳川力。再び公園を彷徨ふ権一は、村上ゆうが生物ではなく静物の如く横たはる青基調のイメージに囚はれる。片乳放り出し眠る妻の姿に復活した権一が、咲絵が反応を示すや相変らず萎える一方、そんな旦那の相談を持ちかけられた柳川は、友人のセラピストを紹介すると丸投げする。やまきよ(a.k.a.山本清彦)が、そのセラピスト氏・浅虫通作。話を戻して、結婚するつもりはないとする瑞江の言葉にも背中を押され、端から節操のない柳川と咲絵は寝る。『養生訓』の貝原益軒先生いはくの“接して漏らさず”を会得した、つもりの柳川に、咲絵はコンドームをつけることを求める。その理由が、「幾ら妹でも、薄皮一枚の距離は持ちたいんです」といふのはこれは名台詞だ。
 1998年山邦紀、間に薔薇族一本挿んでピンク映画最終第二作。この頃の山邦紀はとうに大蔵を主戦場としてゐた筈にも関らず、ポカーンとエクセスに飛び込んで来られてもクレジットにまんまと裏をかゝれ、あるいは節穴が間抜けに釣られ「DMM荒野篇」が初戦にして木端微塵に粉砕された苦い―恥づかしいともいふ―過去を想起するに、最早何も信じられなくなりかけはしたものの、今作は、現に山邦紀監督作と見て多分間違ひあるまいと思はれる。後述するメイン・モチーフと、豪快なオーラスのその料理の仕方に加へ、前戯あるいは挿入中に相手の肛門に指を挿し入れ抉るフランス流テクニック・ポスチョーナージュ。複合婚―乱婚ともいふ―の社会実験を行つたオナイダ・コミュニティに、発射の瞬間に根本を“ギュッ”と握り締めることにより精液を逆流させ、勃起時間の持続を図るサクソン式性交。そしてこれは正直与太臭が漂はぬでもない、口内射精のあと口から精液を吐き出す不義理を指すフランス式流産。柳川がしたり顔で開陳するセクシャルな薀蓄の数々は、山邦紀が書いたとて浜野佐知ならば端折つてしまはれてゐた可能性も考へられる。そんなこんなで今作の主題はズバリ、後に薄汚れた天使が人肌の福音を奏でる感動作、「変態体位 いやらしい性生活」(2005/主演:若葉薫子)に於いて結実を果たす俗称ピグマリオン・コンプレックスこと人形偏愛。その省略に関しては「変態体位」も半分同じなのだが、そもそも特異な出発点に至る経緯を軽やかにスッ飛ばす大胆さへさて措けば、権一が次第に人形愛に支配されて行く過程そのものは十全。但しここで弱いのが、如何にもフリフリした格好で意図するところは明確であるものの、ロリ衣装の村上ゆうが今ひとつ決定力ないしは説得力に欠く点。詭弁を弄し続ける柳東史には活躍の場が潤沢に与へられるのに比べると、尺に限りがある以上仕方がないにせよ浅虫の暴れぷりはやまきよにしては些か物足りない。ところがそのまゝおとなしく黙つてはゐないのが山邦紀、捻れた夫婦の物語に拙速気味にケリをつけ、エンド・クレジットが流れ始めたのが五十五分。あれ?まだ早いぞ!と面喰つてゐると飛び込んで来るエピローグ、自ら豊かな胸を揉みしだく咲絵の巨大な幻想が空を覆ひ尽くす、壮観のラスト・ショットには度肝を抜かれるのと同時に、この映画を過去に小屋で観てゐたことをこの時初めて思ひ出した。難テーマの消化不良を力技で捻じ伏せてみせる、豪腕が実に逞しい。
 男供が絡め取られたり振り回す奇論空論の数々に、最終的にはクールに匙を投げる道上姉妹の姿には山邦紀らしい、表面的な変幻怪胃を娯楽映画の枠内に固定する実は地に足の着いた論理性が窺へるのと同時に、一般的な性差の真実も表してゐるやうにも思へる。白馬に乗つた王子様を夢想する少女も、普通に成長すれば何時しか世間の代弁者となる。何時まで経つても夢見がちな、直截には馬鹿が治らないのは男の方だ。

 DMM視聴してゐて目ではなく耳を引いたのが、石井ますみの手柄なのか、それとも中村佳央の功なのかは判別しかねるが予想外に分厚い録音。気付いただけで、ラブホテルでの咲絵V.S.柳川戦の最中には外音の交通音。今度は青チャイナの咲絵が、権一に柳川から紹介されたカウンセリングを受けてみることを提案する件に際しては、庭の猫の鳴き声が完璧にそれらしく聞こえることには驚いた。単に本来何時も入つてゐるものが、平素は小屋の音響の貧弱な限界で耳に入らないだけならば、それもそれで詮ない話ではあるのだが。


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 「性懺悔 罪しちやつた」(1998/製作・配給:大蔵映画/監督・脚本:小林悟/撮影:柳田友貴/照明:ICE&T/編集:《有》フィルム・クラフト/助監督:堀禎一/スチール:佐藤初太郎/監督助手:竹洞哲也/撮影助手:荒谷道広/録音:シネキャビン/現像:東映化学《株》/音楽:アンサンブルK/出演:風間今日子・里見瑶子・佐々木基子・坂入正三・平川ナオヒ・牧村耕二/客演:工藤翔子)。
 山道を右に折れ、チャリンコに乗る修道女姿の風間今日子がフレーム・インしてチャッチャとタイトル・イン。立ちションを済ませた絶妙に職業不詳の高橋裕次郎か裕二郎(牧村)と、下り坂を危なつかしく滑降するマリア(風間)の自転車が交錯、正直判り辛いカットでマリアは川に落ちる。教会の遠景を抜いて、懺悔室。マリアがシスター(工藤)に、連れ込まれた高橋の道具小屋にて手篭めにされた旨を懺悔する。といつて深刻なトーンになる訳もなく、澄ました顔で興味津々のシスターが、マリアに高橋の一物―マリアが“ナニ”と言葉を濁すと、“一物”といひなさいと釘まで刺す始末―の具合を根ほり葉ほり聞きだす形であつけらかんと進行。精神修行が足らないマリアの肉体には大脳を刺激する罪―この辺りの用語の頓珍漢さに一々躓いてゐては、御大映画は始まらん―があるだとかで、三回愛ある奉仕を施すことを命ぜられマリアは巷に下りる。とりあへずここまで導入は、物語としての体を成してゐなくもない。
 再びチャリンコで移動するマリアは、都合よく山中で高橋と再遭遇。何かを返せといふ高橋を振り切り徒歩で逃げるマリアを、東京から下田に車で一人釣りに来てゐた三谷冴子(里見)が画期的なタイミングで拾ふ。修道女服に興味を持つた冴子は、マリアから借りボーイ・ハントに出撃。サイズが合はないだろといふツッコミは、実際にブカブカなのでいはずもがなといふ奴だ。平川ナオヒは、冴子にまんまと捕獲されるヒロシ。「SHIMODA SPA 蓮台寺荘」に三人で入つた夜、マリアは飲酒を禁じられてゐるといふので水で乾杯したつもりが、その水が下町のナポレオンであつた為泥酔する。マリアと冴子が二人でヒロシの一物を取り合ふ愉快な一夜明け、若い二人の愛を実らせたと巴戦の罪を悔いるでもなく、海岸にてマリアが何故か半裸で祈りを捧げるところに、入水自殺を図る坂入正三が騒がしく飛び込んで来る。坂入正三はパチンコ中に子供を熱中症で死なせてしまつたもので、佐々木基子は同じくパチンコ狂の妻・アヤコ、二人で民宿「長磯荘」を営む。
 新田栄の尼寺映画の向かうを張る、つもりは勿論なからう―思ひついた与太を何でも吹くな―小林悟1998全六作中第五作。サカショーの徒にディープな自殺理由は、死んだ聖子ちやんは猫であるといふ形で一応の留保が図られる。さうなると愛猫家にとつては猫なら死んでも重たくならないのかよと、なほ一層火に油を注いで言語道断にさうゐない。要は如何にも我々が平素知る小林悟らしく、自堕落に次ぐ自堕落が火花を散らすルーチンワークの習作のやうな一作―何だそれ―に過ぎないのだが、それでも敢て特筆したい今作の特徴は、個々の遣り取りが妙に軽妙なゆゑ、全体的にはへべれけな展開を何故かそれなりに楽しませて見させる。個人的にはこれはこれで趣深いものを見たとのんべんだらりと有難い心持ちにさへなれたのは、絶対に俺がどうかしてゐるに違ひあるまい。ただ一箇所どさくさ紛れに光るのが、自殺は罪だと制止されたサカショーは、かといつて露なマリアの爆乳にむしやぶりついても罪を戒められる。すると「生きるも罪、死ぬも罪なら罪人になりたい!」といふのは、少し言葉は足らないものの深いやうな気もしないではない。パチンコ攻略の特訓をしてゐる内に、ヨリを戻して夫婦生活に突入する長磯荘パートも何となく通過、二つ目の奉仕もクリアしたつもりでほつゝき歩くマリアを、出し抜けに黒服の高橋がロック・オンする終盤が改めて圧巻。高橋がマリアに奪はれたあるもののグルッと一周して前衛性の領域にすら突入しかねない馬鹿馬鹿しさと、案の定激しく突かれるマリアの、罪の予感を別に悪びれないシャウトで振り逃げてみせるフィニッシュ。だから愛ある奉仕とやらは二つ目まででミッション・アンコンプリートかよ!と、見る者に激しくツッコませる起承転結の空中分解ぶりは、信頼はし難いけれど安定の御大クオリティ。
 
 サカショー篇とラストとの間に捻じ込まれる、当然マリアは不在につきまさかの再懺悔室。ボインが堪らんマリアちやんと結婚したいだなどと頓珍漢な懺悔に訪れた男(素頓狂な、声の主不明)に、逆上したシスターがここにもあるだろと乳を放り出す、正しくサービス・ショットが設けられる。


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