真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「人妻チャイナドレス 欲情むき出し」(1998/製作:旦々舎/提供:Xces Film/脚本・監督:山邦紀/企画:稲山悌二/撮影:鈴木一博・岡宮裕・飯岡聖英《応援》/照明:上妻敏厚・河内大輔/編集:《有》フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:高田宝重/ボディメイク:3014/制作:鈴木静夫/スチール:岡崎一隆/整音:石井ますみ/音響効果:中村佳央/現像:東映化学/協力:日活撮影所・東洋音響カモメ/出演:河野綾子・夢乃・中村和彦・柳東史・やまきよ・村上ゆう)。
 入り婿の権一(中村)と道上咲絵(河野)の夫婦生活で重量級の開巻、大男の中村和彦が苦戦を強ひられるのも宜なるかなと頷かせる、河野綾子のオッパイの破壊力が圧巻。だといふのに判り易過ぎる赤い照明が起動するや、生命感に満ち溢れる咲絵に違和感を覚えた権一は中折れする。心配さうな咲絵に対し、権一がゴメンと眼鏡をかけたところでタイトル・イン。タイトル明け日も改め、咲絵が淹れたコーヒーを、同居する妹の瑞恵(夢乃)が私にも頂戴と貰ふ。河野綾子と夢乃(a.k.a.桜居加奈)の姉妹役は、何はなくともそこにその二人が居るだけでエクストリームに胸が一杯になる。ボリュームのある咲絵と、細身の瑞恵といふ対照がまた堪らん。女子大生の瑞恵が就職の決まつた反面、会社の倒産した権一は失業してゐた。その頃お使ひ中の権一は、公園にてロリロリした扮装で悠然と歩く村上ゆう(ex.青木こずえ)と交錯、心を奪はれる。瑞恵はデートにつき不在の夕食、献立は焼肉。何を買へばいいのか迷つた権一は、多種の焼肉のタレを買つて来てしまつてゐた。さういふ神を宿した細部も兎も角、出し抜けに咲絵は目にも鮮やかな赤のチャイナドレス姿。そのことを当然訊ねられた咲絵は、「最近パッと華やいだことないでせう、気分転換ね」、エクセスの御題に応へておいたよ感が清々しい。食後居間にて突入する夜の営み、矢張り勃たない権一は、ディルドー代りに焼肉のタレを持ち出す。鶏と卵よろしく、権一の不安定さの描写と、焼肉のタレを用ゐたプレイ、これは果たしてどちらが先なのか。ところで柳東史は、そんな訳でその頃瑞恵と何処ぞの301号室で逢瀬を交す恋人で内科医の柳川力。再び公園を彷徨ふ権一は、村上ゆうが生物ではなく静物の如く横たはる青基調のイメージに囚はれる。片乳放り出し眠る妻の姿に復活した権一が、咲絵が反応を示すや相変らず萎える一方、そんな旦那の相談を持ちかけられた柳川は、友人のセラピストを紹介すると丸投げする。やまきよ(a.k.a.山本清彦)が、そのセラピスト氏・浅虫通作。話を戻して、結婚するつもりはないとする瑞江の言葉にも背中を押され、端から節操のない柳川と咲絵は寝る。『養生訓』の貝原益軒先生いはくの“接して漏らさず”を会得した、つもりの柳川に、咲絵はコンドームをつけることを求める。その理由が、「幾ら妹でも、薄皮一枚の距離は持ちたいんです」といふのはこれは名台詞だ。
 1998年山邦紀、間に薔薇族一本挿んでピンク映画最終第二作。この頃の山邦紀はとうに大蔵を主戦場としてゐた筈にも関らず、ポカーンとエクセスに飛び込んで来られてもクレジットにまんまと裏をかゝれ、あるいは節穴が間抜けに釣られ「DMM荒野篇」が初戦にして木端微塵に粉砕された苦い―恥づかしいともいふ―過去を想起するに、最早何も信じられなくなりかけはしたものの、今作は、現に山邦紀監督作と見て多分間違ひあるまいと思はれる。後述するメイン・モチーフと、豪快なオーラスのその料理の仕方に加へ、前戯あるいは挿入中に相手の肛門に指を挿し入れ抉るフランス流テクニック・ポスチョーナージュ。複合婚―乱婚ともいふ―の社会実験を行つたオナイダ・コミュニティに、発射の瞬間に根本を“ギュッ”と握り締めることにより精液を逆流させ、勃起時間の持続を図るサクソン式性交。そしてこれは正直与太臭が漂はぬでもない、口内射精のあと口から精液を吐き出す不義理を指すフランス式流産。柳川がしたり顔で開陳するセクシャルな薀蓄の数々は、山邦紀が書いたとて浜野佐知ならば端折つてしまはれてゐた可能性も考へられる。そんなこんなで今作の主題はズバリ、後に薄汚れた天使が人肌の福音を奏でる感動作、「変態体位 いやらしい性生活」(2005/主演:若葉薫子)に於いて結実を果たす俗称ピグマリオン・コンプレックスこと人形偏愛。その省略に関しては「変態体位」も半分同じなのだが、そもそも特異な出発点に至る経緯を軽やかにスッ飛ばす大胆さへさて措けば、権一が次第に人形愛に支配されて行く過程そのものは十全。但しここで弱いのが、如何にもフリフリした格好で意図するところは明確であるものの、ロリ衣装の村上ゆうが今ひとつ決定力ないしは説得力に欠く点。詭弁を弄し続ける柳東史には活躍の場が潤沢に与へられるのに比べると、尺に限りがある以上仕方がないにせよ浅虫の暴れぷりはやまきよにしては些か物足りない。ところがそのまゝおとなしく黙つてはゐないのが山邦紀、捻れた夫婦の物語に拙速気味にケリをつけ、エンド・クレジットが流れ始めたのが五十五分。あれ?まだ早いぞ!と面喰つてゐると飛び込んで来るエピローグ、自ら豊かな胸を揉みしだく咲絵の巨大な幻想が空を覆ひ尽くす、壮観のラスト・ショットには度肝を抜かれるのと同時に、この映画を過去に小屋で観てゐたことをこの時初めて思ひ出した。難テーマの消化不良を力技で捻じ伏せてみせる、豪腕が実に逞しい。
 男供が絡め取られたり振り回す奇論空論の数々に、最終的にはクールに匙を投げる道上姉妹の姿には山邦紀らしい、表面的な変幻怪胃を娯楽映画の枠内に固定する実は地に足の着いた論理性が窺へるのと同時に、一般的な性差の真実も表してゐるやうにも思へる。白馬に乗つた王子様を夢想する少女も、普通に成長すれば何時しか世間の代弁者となる。何時まで経つても夢見がちな、直截には馬鹿が治らないのは男の方だ。

 DMM視聴してゐて目ではなく耳を引いたのが、石井ますみの手柄なのか、それとも中村佳央の功なのかは判別しかねるが予想外に分厚い録音。気付いただけで、ラブホテルでの咲絵V.S.柳川戦の最中には外音の交通音。今度は青チャイナの咲絵が、権一に柳川から紹介されたカウンセリングを受けてみることを提案する件に際しては、庭の猫の鳴き声が完璧にそれらしく聞こえることには驚いた。単に本来何時も入つてゐるものが、平素は小屋の音響の貧弱な限界で耳に入らないだけならば、それもそれで詮ない話ではあるのだが。


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