真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「続・愛染恭子Gの快感 究極編」(2002/製作:シネマアーク/配給:エクセスフィルム/監督:愛染恭子/脚本:藤原健一/原作:愛染恭子《双葉社刊 Gの快感より》/企画:稲山悌二/プロデューサー:奥村幸士・寺西正己/撮影:中尾正人/照明:小川満/録音:シネキャビン/編集:酒井正次/デジタル編集:亀井享/撮影助手:奥野英雄・田宮健彦/照明助手:深川寿幸/ヘアーメイク:原川潮美/スチール:小林直之/音楽:川口元気/演出助手:横井有紀・林雅貴・吉住亮/衣装:テラーズ/スペシャルサンクス:ジニアス・山崎邸・アクトレスワールド/撮影協力:フィルムワークスムービーキング/協力:《双葉社》週刊大衆・道頓堀劇場/出演:愛染恭子・沢木まゆみ・千葉誠樹・平川直大・竹本泰志・中村英児・銀治・吉住亮・高橋りな・里見瑤子・山科薫)。出演者中、吉住亮は本篇クレジットのみ。四年後の「平成未亡人下宿 痴漢みだら指」同様、スピードは親切だが文字がランダムに上下左右から出て来る薄汚いビデオ画面クレジットが、情報量も妙に多く激しく見辛い。
 下校時間、高校教師の高田邦夫(千葉)と教へ子の樹里絵(沢木)が、世間の目を憚るでなく堂々と校内から一歩外に出たところで待ち合はせ仲良く連れ立つて歩く。ところで沢木まゆみには、成熟した大人の女の容姿が完成してゐる分女子高生の制服が清々しく似合はない。もう少し髪型なりメイクなりで、どうにかその逆説的な劣勢の回避を試みる工夫も出来なかつたものか。さて措き樹里絵と邦夫の情熱的な情事を早速順当に配し、続いてその後結婚式当日のスナップ写真を挿むと、時は過ぎ、早くも倦怠期に突入したのか邦夫は一人のベッドで侘しく自家発電の真最中。とここまで、特にスナップの噛ませ方の秀逸さに、愛染恭子監督作ともまるで思へぬ開巻の流麗さは意外と完璧。とはいへ、使用後のチリ紙をゴミ籠に投げ入れ損ねた邦夫が、ラジカセのスイッチを下手糞な弾みで触つてしまつたところからはものの見事に逆の意味で麗しく、映画の底が四次元にまで抜ける。「ハーイ!土曜の昼のフィーバー、如何お過ごしですか?」、「ハーイ!Gの快感、愛染でえす!」、「ハーイ!皆さん、ヤッてますか?イレてますか?ヌイてますか?」と、愛染塾長(現にこの役名/ハーセルフ)の手数を欠いた素頓狂なシャウトとともに、ラジオ番組「Gの快感」(番組名は正直台詞からの推定)が奇怪に、もとい軽快にスタート。何が“土曜の昼のフィーバー”だ、夜まで待てよ。当時愛染恭子が週刊大衆に連載してゐた与太記事を纏めた、俗流セックス指南書『Gの快感 手取り足取り粘膜講座 女性をイカせる156の法則』(双葉社刊)を基テキストに、リスナー男女の性に関するお悩みに塾長がお答へ下さる、などといふ壮絶なコンセプトのダイナマイト・プログラムである。挙句に、少なくとも塾長の位置からは中の様子が窺へるVIPルームと名付けられた別ブースでは、番組に投稿した都内主婦のKさん(高橋)と、女装癖があるとの夫(山科)が目出度くヨリを戻した夜の営みを昼間から大絶賛本番中、その模様も随時放送される。高橋りな(=高柳麗奈)と山科薫は一言の台詞を与へられもせず、徹頭徹尾エッサカホイサカ励んでゐるのみ。純粋濡れ場要員の称号を冠したい、欲しくないかも知いけれど。因みに「Gの快感」はラジオ局からではなく、何処ぞの雑居ビルだかマンションの一室に設けられた、「愛染塾」に於いて収録される。土曜日―何曜日でも同じことだが―の昼下がりに性の営みを実況生中継、直截な話、海賊放送とでもしか思へないアナーキーさではある。兎も角、だから兎に角、聴視者から番組に送られて来るファックスの用紙にここも巧みに紛れ込ませてのタイトル・イン。スマートと出鱈目との綺麗な同居あるいは混濁ぶりに、呆れたものやら讃へたものやら眩惑を覚える。余談ではあるが、この気の利いたタイトル・インを活かすために、今回は旧題ママによる新版公開と相成つた次第なのであらう。重ねて遅ればせながら、平素当サイトが愛染恭子のことを頑なに“塾長”と呼称するのは、本作に起因する酔狂である。話を戻して、何時しか樹里絵に拒まれる形で高田夫婦はレスの状態にあり、そのことの相談を塾長に寄せつつ「Gの快感」を聴く邦夫ではあつたが、中々高田邦夫改めペン・ネーム“斉藤茂吉”の葉書は採用されなかつた。何でまたここに来て北杜夫の親爺なのかが、説明されることは勿論一切ない。この程度の木に竹を接ぎぶりは、この映画の中では正しく取るに足らない極々瑣末だ。
 必ずしも明示はされないが何れも愛染塾塾生と思しき、三人並んで『Gの快感』を熟読するファースト・カットの並び順に左から平川直大は、本業花屋の相馬豊。銀冶は塾に常駐しディレクター的ポジションを担ふ御手洗聡で、中村英児がカメラマンかカメラが趣味の、ハニーならぬイケメン・トラップを担当する林義孝。竹本泰志は、悩みを抱へる邦夫の周囲で能天気な同僚・国友康之、多分体育科教師。パンチラは披露するものの脱がない里見瑤子は、樹里絵サイドからの打ち明け話を聞く友人・吉川ゆり子。サード助監督の吉住亮は、樹里絵とゆり子を冷やかしに見切れるキモい公園の浮浪者。率直にいつて、猛烈に無駄な役としか思へない。林が遮るゆり子をものともせず勝手に樹里絵にカメラを向けた弾みで、二人はあれよあれよと急接近。邦夫は拒む樹里絵が林との不倫に溺れる一方で、相馬も売り物の贈り物作戦を展開し追随する。漸く愛染塾に招かれた邦夫に向かつて、塾長は藪から棒にスピリチュアルな危険球を放る、「私ね、男女の性の悩みに関して、超人的な洞察力があるの」。いふに事欠いて、“超人的な洞察力”と来たもんだ。如何に頓珍漢な科白とて、何故か不可思議な安定感で撃ち抜き得る塾長の明後日な決定力は、方向はどうあれそれはそれとしてそれなりに、評価すべき点といへるのではないか。いへねえよ?さうかも。とまれ観客と同時に呆然とする邦夫の手を取つた愛染塾長は、テレパスよろしく、巡り巡つた樹里絵との不仲の原因の本丸が、岡田皮フ科で仮性包茎を手術した邦夫が未だ拭ひきれぬ不安感にある旨を沢木まゆみの裸は潤沢に織り込みながらも、論理的な諸々の段取りは華麗にスッ飛ばし看破する。
 下元哲の悪戦苦闘の跡も濃厚に看て取れる、予め完成を阻まれた青春映画「愛染恭子 Gの快感」(2000/監督・撮影:下元哲/原作・監修・主演:愛染恭子)に続き今度は塾長自らのメガホンによる、紛ふことなき塾長映画・オブ・塾長映画。塾長節が吹き荒れるモンド系啓蒙映画、といふ画期的過ぎるコンセプトに加へ、前作にあつては奪はれた恋人の奪還、今回は夫婦生活に直結する夫婦不和の解消と、顛末の着地点の娯楽映画としての手堅さも踏襲される。その上で、続篇映画の世間一般的な傾向にも反した今作の勝因は、大幅に改善されたバランス感覚。マキシマムによくいへば、案外隙のない布陣に周囲を固めさせたのに加へ、愛染塾長と沢木まゆみ、二本柱はそれぞれ、それぞれの意味で堪能させる。自身で演出するのに上手いこと謀殺されたか、塾長比重は低く代つて、ひとまづ沢木まゆみの超絶裸身はお腹一杯に堪能させて呉れる。殊に、個人的に最もヒットしたのは、アクティブも通り越しアクロバティックによく動く、自宅での対林戦。相馬との事後、樹里絵が普通に服を着るだけの何気ないショットも、結構堪らない。沢木まゆみの、短い活動期間の中で基本的には終に抜けず仕舞ひであつた特徴的なお芝居の硬さも、お気楽な企画の現場に気軽に挑めたのか、特には感じさせない。一番肝心な件はガッサリ割愛したまゝに、一応穏やかなエピローグに落とし込む舵捌きには疑問も残らぬではないが、塾長にしか為し得ない破天荒なツッコミ処の数々と、何はともあれ主演女優の美麗オッパイは過積載。散発的あるいは偶発的に飛び込んで来る洗練に、変に感心してみせるのも一興だ。頓馬映画を進んで踏みに行くブレイブな楽しみ方と同時に、少なくとも、沢木まゆみファンの諸兄には手放しでお薦め出来る一作なのではなからうか。

 最後に今作、下元哲でもあるまいし、といふか下元哲は当然そんな無茶を仕出かさないが、短篇ならばまだしも中篇商業映画にあつて、何と全篇をソフト・フォーカスで押し切るといふ前代未聞の離れ業をやつてのけてゐる。端的にいつて、特段の意味があるやうには別にどころか全く見えない、当たり前か。常々映写はしつかりしてゐるところなので、小屋がやらかした訳ではないと思ふ。となると、もしや元々のプリントからの問題か?


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