真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「一週間 愛欲日記」(2000/製作:国映/配給:新東宝映画/脚本・監督:小林政広/企画:朝倉大介・高橋孝之助/撮影監督:広中康人/撮影助手:御木茂則/美術:岡村直子/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/監督補:上野俊哉/助監督:菅沼隆/タイトル:道川昭/タイミング:武原春光/録音:シネキャビン/現像:東映化学/協力:女池充/出演:葉月螢・川瀬陽太)。を、今回あくまで小屋で観戦したのだが、「一週間 女子社員愛欲依存症」なるVHS題にて。そのため頭は新東宝でなく、ビデオの発売元であるインターフィルムのカンパニー・ロゴで始まる。プロジェク太上映の為せる業ではある、別に為して呉れなくて構はないけれど。
 合コンでもしたのか、OLの美智子(葉月)がフリーター・行夫(川瀬)の部屋に転がり込む。それぞれ店では相手が連れの方に気があるのではと思ひつつ、最終的には意気投合した二人はセックスする。翌朝、美智子も行夫も共に会社にもバイトにも行かず、そのまゝだらだら互ひを求め続ける。次の日も、また次の日も。カット変りに慌ただしくコンビニから戻つて来る描写はなくもないが、カメラはベランダにすら出ない。男と女は進んで全てから隔絶され、文字通り愛欲に溺れる濃厚か、あるいは空白を送る。
 徹頭徹尾、一切清々しくそのことだけに終始一貫する映画である。行夫の部屋で、美智子とセックスする。殆ど何処にも行かず、合間合間に行夫の作つたパスタを食ふ程度で、セックスした後は寝て、起きれば再びセックスする。日が出てゐるのか沈んでゐるのかといふ以外には、特に時間の経過を感じさせない室内にプチ軟禁感覚で留まりながら、“二日目”、 “三日目”と所々に黒地に白文字のクレジットを挿んで区切りをつけると、基本的には同じ場所で同じ行為をしてばかりの始終で一本の映画を乗り切らうといふ手法は度胸がある。尤も、寝ても覚めてもエッサカ、箸が転んでもホイサカ。犬が西向きや尾は濡れ場とはいへども、それでピンク映画として腰から下をお腹一杯にして呉れるのかといふと、必ずしもさうはならない。二日目の朝、美智子には会社から電話がかゝつて来る。美智子は御座成りに熱があると誤魔化し、一方行夫はバイト先に電話さへしない。やがて、蓄へがある訳でもない行夫は馘になり、美智子の嘘は、帰つて来ない娘を案じた実家の母親が、会社に電話を入れた結果発覚する。自ら選んだ放埓に真綿で首を絞められるが如く敗北して行く行夫と美智子の姿は、高い水準の映画的緊張を孕みながらも、白か黒かでいへば今でいふところの鬱展開である。ギリギリと面白いのは面白いにしても、観てゐてスカッと喜んだり楽しめたりする類の映画ではない。その限りに於いては娯楽映画として失格といへなくもないが、同時に、この手の実験的か挑戦的な一作を臆せず放り込んで来れるピンク映画といふフィールドの懐の深さも、他方では尊びたい。今更どころでなく、のんびりした利いた風を叩くやうだが。

 週後半の流れから容易に予想し得る、0かあるいは1かといふ意味ではデジタルな結末自体は兎も角、いよいよ土壇場といふ段になつて俄かに健全な市井の一人(いちにん)たらんと喚き始める行夫が無様に見せる、この期に及んであたふたと小市民的な相貌は気に障る。それは意図的なカッコ悪さなのでもあらうが、ここは滅茶苦茶な下手をいふ。あへていふならば死んだ、死ねた人間はそれでも楽なのだ、ともいへるのではあるまいか。更なる絶望、閉塞、困窮、苦痛、闇の裡を、なほも生き続けて行かねばならない。さういふ残酷さも時に人生は、現実といふ奴は有してゐるとするならば。現し世が冷酷で、しばしば間違つても美しくはないがゆゑに、夜の夢は、そしてそれを形にした全ての種類の紡がれる物語は映画は、せめて甘美なものであつてよいのではなからうか。たとへそれが、お為ごかしな嘘に過ぎなかつたとしても。難じられるべきはそれが嘘であるからでなく、下手糞な嘘のつき方である。当サイトは然るべき娯楽映画の在り方とは、さういふものではないかと思ふ。最終的には儚く散つたとて、行夫には美智子にも、カッコよく駆け抜けて欲しかつた、もしくは美しく眠りに就いて欲しかつた。それはあくまで極々私的なだらしのない願望で、その自堕落な嗜好と、今作に対する評価とはまた全く別の問題である。


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