真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「究極性感 恥穴ゑぐり」(2004/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山﨑邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:杉村貴之/照明助手:廣滝貴徳/応援:河合信治/助監督:田中康文・広瀬寛巳/音楽:中空龍/スチール:岡崎一隆/出演:佐々木麻由子・穂高奈月・佐々木基子・なかみつせいじ・柳東史・平川直大)。本篇の内容に過不足なく対応した、タイトルの完成度はさりげなく高い。
 SEXセラピストの飛水(佐々木麻由子)は、男から求められるばかりではなく、女の内なる獣の解放を説き人気を博する。といふと、まるで浜野佐知に渡す筈の脚本を山﨑邦紀が自分で撮つてしまつたやうにも思へかねないのは、過ぎる早計。クライエントを装つた、鋼鉄のペニスを誇る惨剣(柳)に陵辱された飛水は自信を喪失、活動自体も休業する。惨剣に辱められたショックも兎も角、後門を犯された際に思はず感じた何か新しい扉が開くかの如き直接的な予兆を、飛水は摸索してゐた。当てもなく彷徨ふ飛水の前に、金もなければチンコも勃たぬ無名氏(なかみつ)を連れた、生まれてこの方三十三年間絶頂を知らず、そのための離婚も繰り返してゐた切波(穂高)が現れる。セラピーを求める切波に対しそれどころではない飛水は、とりあへず連絡先を受け取ると適当にあしらふ。スッピンの北斗晶、とでもしか譬へやうもない穂高奈月ではあるが、正しく一人芝居で勝手に進行を牽引する、立て板に水の如きお喋りは決して悪くはない。一方、片やサイボーグへの憧憬とゴムに対する偏愛、片や男色であつたとする説に基づいての芭蕉の俳句の解釈と、まるで噛み合はないテーマを、てんで会話の体も成さぬまゝ相互に勝手に撃ち合ふ、サイボーグに憧れるゴムフェチレズビアン・水無月(佐々木基子)と、俳句好きのゲイ・超空(平川)。そもそもどうしてこのコンビで一緒に居るのかがよく判らない二人と、切波・無名氏と別れた飛水は続けて出会ふ。薄い透明のゴム手袋を常用した水無月の手先に触発された飛水は、出し抜けにアナル拡張に光明を見出す。
 今作自体の内容に触れる前に、あちらこちらに顕著な、過去作との連関を通つておかう。何はともあれ、柳東史演ずる鋼鉄のペニスを持つ男、即ちアイアンペニスといふと、2000年の「変態肉濡れバイブ」中、最終的には主人公に敗北を喫するところまで含め、概ね同趣向のキャラクターが登場する。山﨑邦紀自身の映画ではないが、ヴィジュアル的には眉を剃り落とした惨剣の怪人ぶりは、加藤義一第二作に於ける由良家長男との近似も認められる。自らをゴミ集積場の一袋に目する無名氏ことなかみつせいじの絶望的な寂寥は、矢張り2003年の「変態未亡人 喪服を乱して」に於けるピンク版ポストマンを想起させる。対して、超空の俳句好き設定は、「和服夫人の身悶え ソフトSM篇」(1999)の前衛俳句といふよりは、芭蕉ゲイ説に傾倒する以外は一般的な範囲内に止(とど)まる。飛水あるいは佐々木麻由子のSEXセラピストといふと、同年の「オーガズムリポート 痴女のSEX相談室」(監督:的場ちせ=浜野佐知)も連想されつつ、今作が六月公開で、「オーガズムリポート」が十一月公開であることを鑑みると、恐らくはこちらの方が先か。
 拡張した菊穴に、飛水はゴム手袋に覆はれた手首を捻じ込む。アナルの、しかもフィスト・ファックならば、男も女も、ホモ・セクシュアルもヘテロ・セクシュアルも、更には男性機能が不能であらうと正常であらうとも関係ない、問題ない。飛水が辿り着いた、セックスに特化してゐる点を差し引けばあたかもジョン・レノンの「イマジン」に歌はれた世界のやうな、サイバーパンクとフェミニズムとを大胆に援用した一種のユートピア思想は、確かに、奇想としての完成度は高い。とはいへ、そのテーマは概ね台詞で語られ、天外ながらに話としては肯けるものの、それと、一本の劇映画としてのエモーションとは全く別問題。理屈としては通るのだが、それがその限りに過ぎなかつたりもする。Aからフィストをアヌスに捻じ込まれたBはCのアヌスにフィストを捻じ込み、そしてCも又、Aのアヌスにフィストを捻じ込む。結局、劇中用語で“接続”されるのは、飛水×水無月×超空、飛水×切波×無名氏の組み合はせと、飛水×惨剣のシングルマッチのみ。即ち、三本の線が飛水といふ支点に収束することはあつても、そこから先で交はることがないのである。それをやつては画面(ゑづら)としてギャグになつてしまふのかも知れないが、ここは立場も性癖も全く異にする、六人が互ひに手首から先と肛門とで繋がる、新世界のネットワークを見てみたかつた感は残る。

 過去に向けた目をその後にも転じてみると、佐々木麻由子演ずる性の指南役の前に不能のなかみつせいじが現れる映画といふと、 2008年の「SEX診断 やはらかな快感」(監督:浜野佐知/主演の佐々木麻由子は、ここでは田中繭子名義)が挙げられる。詰まるところは素朴な剛直信仰の枠内から、外に飛び出で得ない側面も見せる今作に対し、「やはらかな快感」に際しては、萎びたまゝの、柔らかい男性自身による性行の愉悦といふ、全く新しい、より深化した視座が提供される。


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