真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「つれこむ女 したがりぼつち」(2020/制作:VOID FILMS/提供:オーピー映画/脚本・監督:山内大輔/撮影監督:藍河兼一/録音:大塚学・光地拓郎/編集:山内大輔/音楽・効果:project T&K・AKASAKA音効/ラインプロデューサー:江尻大/助監督:井上卓馬/監督助手:菊嶌稔章/撮影助手:赤羽一真/特殊メイク・造形:土肥良成・李華曦/ポスター:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/出演:桜木優希音・きみと歩実・七菜原ココ・里見瑤子・森羅万象・安藤ヒロキオ・可児正光・ケイチャン・サーモン鮭山・小滝正大・折笠慎也・杉浦檸檬・井尻鯛・吉原麻貴・川瀬陽太)。出演者中、孤高のラッパーと吉原麻貴は本篇クレジットのみ。
 東京スカイツリーを一拍挿んで、カメラは薄暗くダダッ広い無人の家屋に。エンドとはサーモン鮭山と小滝正大の順番が入れ替る俳優部、と山内大輔のみクレジットした上で暗転タイトル・イン。正直、アバン―から暫く―は小屋で観てゐない、後述する。
 本篇の火蓋を切るのが、白塗りのおどろおどろしさがヨコハマメリー通り越してジョーカー状態の里見瑤子。酒に沈み赤ん坊の人形を可愛がる女ホームレス(里見)を、通りがかつた桜木優希音が足も止め注視、それを感知したガード下メリーは動物的に威嚇する。歌舞伎町一番街、今何処小山悟の単独初陣「ドM卒業 さよなら、ご主人様」(2015/脚本:当方ボーカル=小松公典/主演:佐山愛)以来の電撃復帰で飛び込んで来たサーモン鮭山が、高級ソープ店にて嬢の愛未(桜木)を抱く。具合は頗るいゝものの、愛想どころか殆ど全く無反応の愛未にサモ鮭は気分を害する。一番街から都落ちした、歌舞伎町さくら通り。の店でも店長(井尻鯛=江尻大/a.k.a.EJD)が客からの苦情に業を煮やし馘になつた愛未は、寮を追ひ出されたのか、不動産屋(小滝)から無人の下宿屋といふ、一人暮らしにしては途方もなく広大な―しかも二階まである―戸建を心理的瑕疵物件とやらの破格安で借りる。そんなこんなな新生活、さくら通りでの同僚・真凛(七菜原)が惚れてゐた路上の志集売り・カヲル(可児)を見かけた愛未は、第25集を志集の定価たる三百円で購入。帰宅後繙いてみた志集には、オリジナルの象形文字が綿々と連ねてあつた。情事の最中でさへ左手人差し指を虚空に掲げ、常時何かしら受信してゐるカヲルの所作が秀逸。
 配役残り吉原麻貴も、真凛同様愛未のさくら通りでの同僚・モモちやん。多分モモちやんがキープしておくやう頼んでおいた筈のプリンを、真凛は愛未に食べさせてない?ケイチャンは、フリーの立ちんぼ―劇中用語では直引き―を始めた愛未の客。マシンガン関西弁で愛未の名器ぶりを観客に伝へるのは、グルッと一周させ効果的に利した諸刃の剣。森羅万象はガード下メリーこと恐らくアケミに、一回幾らなのか手コキを頼んだ事後、殺害してクッキー缶の中に貯め込んだ精々小銭を奪ふ鬼畜ホームレス。「僕のこと覚えてゐますか?」だなどと愛未の前に斬新か木に竹を接ぐ現れ方をする安藤ヒロキオは、並行世界の存在を数学的に立証しようと試みる、理論物理学者の江口裕樹。江口に劣るとも勝らず、割とでなくノー文脈で自由自在に出没する川瀬陽太は、二十年前に水死した愛未の義父・ゴロウ、苗字は吉井か。この人の扱ひが実は一番大概なきみと歩実が、最終的に江口の妻となる女・マリカ。折笠慎也と杉浦檸檬は大体三十年後くらゐ、依然同じ会社が管理してゐる多重事故物件を内覧させる小滝正大の遠い後輩と、父が遺した研究を爆心地で完成させようとする、江口の娘・真夢。しかし潰すのも怖いのか、その会社は縁起の悪いレガシーを、全体通算何十年放置し続けるつもりなんだ。
 元来開映時間の不安定な小倉名画座が思ひのほか早くオッ始めた挙句、桜木優希音が包帯でグルグル巻きの可児正光を、家に上げ飯を食はせてゐるところでブッ手切りやがつた山内大輔2020年第二作。そのため小滝正大―の声はテケツで聞こえた―が出て来るまでと、端折られた残りはOPP+版のDVDを外王で借りて来て済ませた。極端に濡れ場の薄い、ある意味不誠実な映画につき中途で匙を投げたKMZの気持ちも判らなくないとはいへ、流石に今後かういふ真似を続けられるとわざわざ遠征を出張るに値するのか否か、そのうち検討の要も発生しかねない。あと、勘のいゝ御仁はテケツで立ち止まられたかも知れないが、ちなみにピンクの小倉名画座1―薔薇の狂ひ咲くKMZ2は知らん―に所謂ホワイエは存在しない。表のガラス扉を開けると手洗個室程度のテケツがあるばかりで、もう一枚ドアを開けるとすぐ場内。なので座席の背後に自販機―誰かが何か買ふ度に、映画の最中随時爆音を鳴らす―が設置してあつたりもする、なかなかフリーダムな小屋ではある、客層以前に。
 劇中父親としか会話を交さない寡黙な売春婦の静謐な日常を、出し抜け気味なパラレル風味を塗して描く。ただ黙つてそこにゐるだけの桜木優希音をもエモーショナルに捉へる、澄んだ冬の空気の如く、透明感と硬質さとを併せ持つ撮影。抑制的な遣り取りが徐々に開く秘密の蓋とともに、ドラマチックに高揚する愛未とゴロウの対話。何れも訴求力の頗る高い二段構への見所に、コロッと騙されかけなくもない、にせよ最終的には結構な問題作。この期に国映でもあるまいし、羊頭狗肉の領域に易々と到着するレス・ザン・女の裸に関しては、琴線を激弾きし続ける主演女優のショットの弾幕に、ついうつかり忘れてしまつたフリをしたとて構はない。尤も、さうもいつてゐられないのが、暴力的に出鱈目な江口の造形。何某か面識があつたのか単なる江口の口から出任せか結局愛未との接点―の有無―に触れない、矢張り安藤ヒロキオで竹洞哲也2020年第一作も脳裏の片隅を掠める、来し方の覚束なさに軽く吃驚したのはまだ全然所の口。実質三番手の投入法に相当頭を悩ませた、山内大輔が終に乱心。したとでも考へた方が寧ろ理解に易い、聡明で美しいマリカの自らに対する想ひを、選りに選つてカヲルに犯させることで江口が試さうとする仰天展開には、プラトニックな恋路の梯子を外された愛未以上だか以下に度肝を抜かれた。あのさ、それ全体何十年前のミソジニーなのよ。直截にいふと大蔵はピンク映画の新しい在り様なり時代を窺ふに際し、この人を連れて来てゐて、もしくはこんな人を連れて来てゐて果たして大丈夫なのか。ゴッリゴリにどエロい、超実戦的な裸映画の歩みを進めさせるのならば兎も角。
 流れ的にレス・ザン・女の裸に話を戻すと、上野オークラ劇場マスコットガールの四代目といふ大看板を背負ふきみと歩実が、形式上の番手はさて措き事実上絡み要員に回―らされ―る。山内大輔もなかなか反抗的な真似をしてのける女優部三本柱は、初陣らしからぬ手堅さを煌めかせる七菜原ココまで含め十二分に磐石。束の間の濡れ場が束の間ながら、それなりに確かな手応へを撃ち抜いてゐてもおかしくなかつた、筈なのに。如何せん画面が暗い、誤魔化さずには撮れぬ訳でもなからうに、カッコつけずに照明を当てて欲しい。観客の、見たいものを見せる、その最も原初的なジャスティスに何故背を向ける。研究云々以前に素の人間として、江口が到底塞ぎきらない大穴どころか底を丸ごと抜いてしまつた以上、所詮詮ない話でもあれ、藪から棒をゴロウの力技とカヲルといふ飛び道具で無理から固定する最低二つの此岸と彼岸に関しては、顕示的に愛未の立ち位置も投影した、此処ではない何処かへと希望を繋ぐ真凛の姿を通して首の皮一枚、メタとの両面映画的にも救ひを残す。さうなると改めて、対マリカ戦に於けるカヲルの粗雑な用兵が重ね重ね惜しいのは、堂々巡るいはずもがな。

 正反対な二つの過去が正面衝突する終盤の盛り上がりは面白いが、にしても今時下手な玩具よりショボい、転位装置的なガジェットと思しき金属板に二三本毛を生やした程度のプロップは、もう少し―でなく―どうにかならなかつたものか。


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