【文字のある街角】

【文字のある街角】

東京都北区西ケ原。学生時代に四年間暮らした町。

本郷通り脇の道端に古い石碑があって、安永九年とあるから 250 年近く前に立てられたものだ。久しぶりに眺めたら読み方を知っていたはずなのにどうしても思い出せない。

2024 年 1 月 17 日 北区西ケ原

降参して側面にまわり、漢字で書かれた正解を見たら六阿弥陀三番目(ろくあみださんばんめ)だった。そうだった、そうだった。この先の坂道を下ったところにある無量寺は江戸六阿弥陀三番目の札所なのである。

2024 年 1 月 17 日 北区西ケ原

2024年1月17日、午後から数十分間、建物の共有部分設備点検による停電でネット接続ができなくなったので散歩に出た。エレベーターも停まっていたので階段で降りた。

2024 年 1 月 17 日 北区西ケ原

このところ榊莫山の文字に関するエッセイをちびちび読んでいるので街角の文字が気になる。なぜその文字がそこに掲げられているかには必ず理由があり、それをおもしろく思う人にとって、いつも世界はおもしろい。文字を読むことは世界の存在を読むことである。

2024 年 1 月 17 日 北区西ケ原

というか世界は、いつもその人が「思う」ようにあって、いつもその人が「思う」ようにしかなく、読む人にはあって、読まなければない。

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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『アルプス一万尺 Yankee Doodle』
アメリカ民謡

20 音オルガニートで『おうまはみんな The Old Gray Mare』
アメリカ民謡

20 音オルガニートで『お猿と鏡 Osaru to Kagami』 
チェコ民謡

を公開。

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2023年11月号(通巻13号)まで公開中

 

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【榊莫山のエッセイ】

【榊莫山のエッセイ】

この人が書く《言葉》が好きだな、と思う書き手の本でさらに、「この人の書いたものが好き」と書かれている人の本、それを取り寄せて読んでみると、自分もまたその人の書いたものが好きだと思えるのが《言葉》の不思議だ。

論理的な人が書いた《言葉》の好き嫌いは導電率が高い。そういう《好き》の導線を辿ってあみだくじ式の乱読をしている。正しい乱読にはほとんど脱線がないので楽しい。線路は続くよどこまでも。

連載依頼されて書き始めた雑誌を読んでみたらぜんぜん面白くないけれど、唯一、榊莫山さんの連載エッセイが好きで「魂の親近性を覚える」と書かれているのをみつけて、あの人があの人を好きなのかと意表をつかれた。。

榊莫山(1926 - 2010)は、「ああ、この人の書いた字が好きだ!」と思える数少ない書家だった。

書かれた字は好きだったけれど、書かれた文章は読んだことがない。興味があるので『莫山つれづれ』(毎日新聞社 2006)と『莫山日記』(毎日新聞社 2009)を取り寄せて読み始めた。おもしろい。

古書で取り寄せたエッセイ集

「莫山さんの本を買って読んでいる」
と妻に言ったら、
「私もこの人の字が好きだった」
という。やっぱりね。

妻とふたりで大笑いした莫山先生の「粥」。大笑いの理由は秘密。

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【声聞と独覚】

【声聞と独覚】

ひとりひとりが「個人」であることを基本的な単位とする世界観を持っていて、自分がその個人の集まりの一員として生きているという自覚があるとき、人はそういう広い世界の中で悟りを得たいと望むのだろう。

だから「わかった」「われ悟れり」と思った途端、「われ」以外の人びとに話し、教え、導いて、この世界をより「みんな」のものとしたいという願いが生まれる。その願いがその人をさらにもう一段高い次元の悟りへと向かわせる。そういう仕組みが大乗的な悟りなのだろう。「われとみんな」「わかったとわからない」は相互的に表裏一体だと考えるから、「わかった」と思えた途端「わかれない」人が気の毒に見えてしまう。

自己の悟りのみを求める出家を声聞(しょうもん)という。声聞は、悟ったのちも孤独を好んで世人を教化しない独覚(どっかく)と呼ばれる小乗の聖者となる。

2024 年 1 月 15 日 文京区千石

読み終えた対談本の中にある対話が引っかかっていたので再読した。

若い女性対談者は、せっかく「迷い」を捨てて言葉によらない「悟り」をひらいたのに、それを「他者」に向かって「言葉」にして話してしまったら「迷い」をふたたび自分に呼び戻すことになってしまうのではないか。せっかく悟ったのだから、その人は黙して語らないべきではないか、お釈迦さまも……と、老いた男性の対談者に聞いているのだ。

若い人はとても大切なことを問うていて、老いた人は「それはあと十年くらいしたら変わってきますよ(笑)」と言って笑いの中でするりと抜け出てしまう。たぶん悟りとは弁証法的な無限に循環するはしご段であって静的な「状態」ではないのだ。

未明に目が覚めて、すっきりした頭のなかに対話を読み込んで、その意味をちょっとだけ考えてみた。もうすぐ午前 7 時の朝食当番を始める時刻になるのでラグビー的な対談復習はノーサイド。

   ***

2024 年 1 月 14 日 左の豆腐屋は豊島区駒込(霜降銀座)、右の魚屋は北区西ヶ原(染井銀座)

仕事で外出して路面電車に乗り、やっぱりのんびりした交通機関があるのはいいなあと、年寄り的な感慨に耽りつつ、うとうとしたら「終点早稲田ですよ」と声かけられて目をさまし、外はもうすっかり日が暮れている……という夢を見た。

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【岩と魂】

【岩と魂】

海辺へ向かって平坦なわが郷里の平野にも、川に沿って谷あいを遡れば河内と呼ばれる山奥がある。

川沿いをくねくねとのぼっていくと道の脇に三階建て住宅ほどもあろうかと呆れるような巨岩がいくつも落ちている。何百年前かは知らないけれど、その岩は大地震と土石流によって、山の上の方から押し出され、そこへ落ちてきたのである。

2012 年 10 月 24 日 静岡県清水にて

こんなものが転がり落ちるという呆れた事象がかつて本当に起こったという確証がなくても、巨岩がそこにあって見えるだけでなくさわれることで、その存在は疑い得ない。それが証拠に山上のでかい岩が
「岩転がり落ちるゆえに岩あり」
とデカルトが言うようにズズッと音立てて鳴動したら、こっちも一目散に逃げるからである。人のそういう疑い得ない神経反射を自意識ではなく魂(たましい)という。

2012 年 10 月 24 日 静岡県清水にて

心のない岩も動けばそこに意味を生じるし、人の無意識な反射にもまた意味がある。共鳴し合う意味こそが魂であり、落下と退避は岩と人との魂の闘いである。

そういう魂は平地より山奥、思想系より運動系でひょっこり顔を出す。

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【鞍上人なく鞍下馬なし】

【鞍上人なく鞍下馬なし】

まるで人と馬とが一体になったかのような姿を「鞍上人なく鞍下馬なし(あんじょうひとなくあんかうまなし)」と昔の人はうまいことを言った。

2024 年 1 月 13 日 千石図書館への往路

それは人馬一体のたとえなのだけれど、半獣半人のケンタウロスだと「首上馬なく首下人なし」と奇っ怪なだけでなにを言っているのかわからない。

2024 年 1 月 13 日 千石図書館からの復路

人物が裏表のない心がけであることを「外面に裏なく、内面に表なし」と表するのは回りくどくてなにを言っているのかわからない。

「裏も表もない」と言うと気持ちの良い人柄が思い浮かぶけれど、「人も馬もない」と言うと気持ちの悪い光景が思い浮かぶ。

人も馬も同じ動物ではあるけれど、人馬一体になって疾駆する姿を「人も馬もない」と言ってしまうと身も蓋もない。

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【小津映画と佐々木邦】

【小津映画と佐々木邦】

小津安二郎が生誕 120 年・没後 60 年ということで、デジタルリマスター版などの作品を観られる機会が多い。

このところ未明に目が覚めると佐々木邦の作品を無料の青空文庫でちびちび読んでいる。文中の登場人物がかわす会話が、みな小津作品中に登場する役者たち、笠智衆や杉村春子や三宅邦子の声音(こわね)になってしまうのがおもしろい。

佐々木邦の作品を小津映画風に吹き替えて読める人なら、未発表の小津作品を発見するような愉しみがある。佐々木邦の作品は脳裏に浮かぶ映像もちゃんとローアングルのダイアローグになる。

2015 年 2 月 5 日、どこか近所にて。

『或良人の惨敗(あるりょうにんのざんぱい)』の夫婦を笠智衆と杉村春子に演じさせて読んだら最高だった。『一年の計』を笠智衆と三宅邦子の夫婦版で読むのもいい。読み終えたら三宅邦子の実家で創業天保年間だという埼玉県岩槻の『ふな又』に鰻を食べに行ってみたくなった。

「どうだい 小津映画を見たついでに うまい鰻でも食べに行かないかい」
と笠智秋風に飄々と良人を誘ってみよう。

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【国と言葉】

【国と言葉】

慣習、生活様式、儀礼、制度、規則、通念、常識、価値意識、美意識……と読んでいる本に列挙されている言葉は日本人が日本語として漢字を組み合わせてつくった言葉である。感じを言い表わす漢字が《ある》ことによってこういう感性を持つ日本人が《ある》ようになったのだ。

他国に侵されることなく自国が《ある》ために独自の国語があることが必要だった。他国の脅威に晒された国はみんなそうだ。つくられた言語の《異質》さがその国を他国からの経済侵略という脅威から守って国を国たらしめていた。そういうふうな理解で「国民の言語」というものを自分なりに整理している。

2024年1月11日 本駒込

新しく始まった NHK の大河ドラマは一年間観ることで日本語について考えるよい機会になるだろう。
「大河ってたいがい途中で嫌になっちゃうんだよね」
と妻が笑って言う。去年もやはりそうだった。日本語について考えながら、よほど終盤の落し込みに嫌気が差さなければ、たぶん最終回まで観ていられるだろう。

言葉がすべてだと私が言っても信じないなら、シオランという思想家が言っている(出口裕弘訳)。
――私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。(山本夏彦『『室内』40年』文藝春秋)

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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『一月一日 Ichigetsu Ichijitsu』
作曲/上真行

20 音オルガニートで『俵はごろごろ Tawara wa gorogoro』
作曲/本居長世

20 音オルガニートで『You Are My Sunshine』
作詞作曲/J.デイビス、C.ミッシェル

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【記憶の再読】

【記憶の再読】

ベートーベンが 1803 年に作曲したヴァイオリンソナタ第 9 番イ長調 作品 47 はヴァイオリニストのロドルフ・クロイツェルに捧げられたので『クロイツェル』の愛称で呼ばれ、トルストイは、この曲に触発されて小説『クロイツェル・ソナタ』を書いた。

という解説を読み、そうか、前にも同じことを調べて確認したっけと思い出し、その小説に刺激を受けてヤナーチェクは弦楽四重奏曲第 1 番『クロイツェル・ソナタ』を作曲したのだった……ああ、そうだったとウィキペディアを再読してさらに思い出した。

2024 年 1 月 9 日 本駒込

という経緯を経て、その小説の方を読んでみたくなり、何年か前に光文社古典新訳文庫『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』を買って読んだ。そうしたら望月哲男の訳が良くて『イワン・イリイチの死』のほうがとても気にいった。そういう過去の経緯を記憶の中で再読した。

2024 年 1 月 9 日 本駒込

先日 NHK BS で放送されたアメリカ映画を観ていたら、言葉の言い間違えの邦訳が難しいので原語ではどっと笑いを取るところがうまくいかなかったのだろう、と思われる箇所が字幕にあった。ふと思い出したので『イワン・イリイチの死』を再読した。

「プロスチイ」と「プロプスチイ」の言い間違いに対する秀逸な日本語訳のある当該箇所以外でも、ソクラテスの死を思い出させられるように新たな感動があり、読み返され読み継がれる名作とはこういうものなのだろうと思った。

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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『一月一日 Ichigetsu Ichijitsu』
作曲/上真行

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【魯迅とシッペ】

【魯迅とシッペ】

魯迅が北京女子師範大学の教え子で愛人となる許広平に宛てた手紙におもしろいことが書いてあった。

「あなたは私ほど世故に長けていないようです。 だからものの考え方が割に単純だが、それだけに明快で、何か研究をするには困難がありません。ただそそっかしい点は直さねばいけない。もう一つ損な点は、外国の本が読めぬことです。思うに比較的便利なのは日本語を習うことでしょう。来年から、私が強制して勉強させます。言うことをきかないとシッペをしますよ。」

そうか中国人も戯れに懲らしめもどきの《シッペ》をするのかな、と意外に思う。

シッペすなわち竹篦(しっぺい)は、禅宗の師が参禅者をペシッ!と叩くあの割り竹で作った弓状の棒のことなので当然中国にあっておかしくはないのだけれど、ここで言われているのは子どもが人さし指と中指をそろえた二本指で相手の手首を打つ、あの《シッペ》のことなのではないか思うのだ。

2024 年 1 月 9 日 本駒込にて

妻にシッペを知っているかと聞いたら、
「知ってるけど女子は、あまりされたことがなかったし、それをシッペとは言わなかった」
と言うので
「なんて言ったの?」
ときいたらペッチンだと言う。
「言うことをきかないとペッチンをしますよ。」

2024 年 1 月 9 日 ぺっチンの妻が「六義園の門松、辰になってるよ」と教えてくれた。気づかなかった。

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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『一月一日 Ichigetsu Ichijitsu』
作曲/上真行

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【春の銀粉ショー】

【春の銀粉ショー】

新年を迎えるにあたって毎年買うヒヤシンスの三色寄せ植え。活けた花に添える銀柳。《生》というものに対する人の考え方のひとつがかたちなっている。

この銀柳は銀粉をまとっているのでいつまでもけばけばしい。けばけばしさが褪せないのでいつまでも放っておくと、水中の枝に白い根が生え、空中の枝には緑の若葉が芽吹いたりする。

銀粉をまとったまま永遠の《生》に執着するような姿が痛ましいので片付けてしまうのだけれど、その頃には、そとの世界にほんとうの春が萌(きざ)してくる。

 

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【きえたひこうきぐも】

【きえたひこうきぐも】

羽田空港に離着陸する旅客機の飛行ルートが変わったので、六義園に面した窓辺で仕事をしていると窓枠の右から左へ、着陸コースに向かう機影が頻繁に横切って行く。羽田を離陸して北西方向へ向かう旅客機は、「こっちからむこう」へ白い飛行機雲の条線を残して見えなくなって行く。

ラッシュ時には窓枠内を3機も並行して飛んでいるので、よくニアミス事故が起きないものだと感心していたら、滑走路上でだけれど衝突事故が起きた。

滑走路の事故処理と完全復旧までの間、飛行本数や飛行ルートに影響が出ているのか、新年8日の今日まで窓枠内を横切る旅客機の機影をあまり見ない。

2024 年 1 月 5 日 六義園上空

時折ヘリコプターがぽつんと点になり、ひどく急いで北西方向へ飛んでいく。北陸の被災地まで一気に飛んで行けるのだろうかと検索したら、さすがに燃料の関係か、そこまでの航続距離はないらしい。

ヘリコプターのエンジンでふと短絡し、「弁証法+エンジン」というキーワードで検索したら、「AIが勝手に議論を深めてくれる弁証法エンジンの構築」という記事を書いて note で公開されている人がいた。長谷川宏『新しいヘーゲル』を読んでいるところだったので、すごくおもしろかった。

https://note.com/fladdict/n/nf5de15f7104d

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20 音オルガニートで『一月一日 Ichigetsu Ichijitsu』
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【新春の大観】

【新春の大観】

読んでいる本に
「国会は鳥獣戯画である」
と女性が書いていて、たしかにそう見えるので笑った。新年早々、にやけた鳥獣戯画国会議員から、また金まみれの逮捕者が出たというニュースが、悲痛な災害現場の映像に混じっていて情けない。

2024 年 1 月 6 日 田端銀座

自宅トイレの壁で一年間眺めていたドッグ・カレンダーの 2024 年版を買い損ねた。近所の商店街を散歩していたらペットサロン店頭に「ご自由にお持ちください」と書かれて子犬の小型壁掛けカレンダーが置かれていた。ひとつ手にとって、ガラス越しに「もらってもいいの?」とジェスチャーで伝えたら女子店員が笑顔で頷く。

2024 年 1 月 6 日 田端銀座

早速もらって帰り、自宅トイレの壁に掛けたら1月は生まれて間もない柴犬の写真だった。

ころんと丸くて、眠そうで、体形がまだ不格好で、なんともしどけない姿なので、
「横山大観が描いた『無我』みたいである」
と言ったら妻も笑っていた。

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【記憶の目方】

【記憶の目方】

一匁(いちもんめ)の目方(めかた)は何グラムだっけと確認したら 3.75 グラムだった。重さを確認しつつ、この目方という言葉もしだいに使われなくなるんだろうなと思う。

そもそも目方の語源を知らないので調べたら、一文銭の重量を一匁(いちもんめ)と呼ぶとき、天秤棒式の秤(はかり)に一文の重さごとに「目」と呼ばれる印をつけていたことに由来するのだという。

あの印はひとメモリ 3.75 グラムだったのだなと、懐かしい廃品回収のおじさんが使っていた計量道具の記憶を辿って思う。

目方の「方(かた)」のほうは「八割方(はちわりがた)かたづいた」とか「粗方(あらかた)なくなった」などと、分量を表す言葉にくっつく「〜ぐらい」という意味なのだろう。

消えゆく記憶の目方をはかっておいた。

2024 年 1 月 6 日 田端銀座

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20 音オルガニートで『一月一日 Ichigetsu Ichijitsu』
作曲/上真行

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【こころもち】

【こころもち】

北陸生まれのくせになぜか妻は餅を好まない。主食であってもいいくらい餅好きの亭主は正月になるとちょっとさみしい。毎年パック入りの切り餅をほんの少しだけ買ってもらうのだけれど、今年は癪なことに、「小ぶりにしました」と印刷されていて小さい。

理性的と言われる道理による判断こそが、悪い意味、社会として「心情的」なのであり、もうちょっと総合的に見渡す余裕のあるワンクッションおいた心のはたらきを「心の持ち方」という。自分がいまものごとをどういう「心の持ち方」で見ているかを真摯に意識し続けることはたいせつだ。「心の持ち方」で世界はどうにでもなる。

子どもの頃の持ち物検査では、ハンカチ・はながみの所持不所持をチェックされたけれど、大人の持ち物検査は「その日の心の持ち方チェック」こそが大切だ。

心はそのまんまを受動的に持たされるのではなく、自分の心の触手で能動的にえらぶ「持ち物」なのである。「心は持ち物」そう思えば世界は明るいし、餅も美味しい。

2008 年 1 月 2 日 本駒込

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20 音オルガニートで『一月一日 Ichigetsu Ichijitsu』
作曲/上真行

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作曲/本居長世

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【この鼻その鼻】

【この鼻その鼻】

「それは鼻ですか」
「はい、これは鼻です」
「それはあなたの鼻ですか」
「はい、これはわたしの鼻です」

「これは鼻ですか」
「はい、それは鼻です」
「これはあなたの鼻ですか」
「いいえ、それはわたしの鼻ではありません」


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『グリーンスリーブス Greensleeves』
イングランド民謡

20 音オルガニートで『埴生の宿 Home! Sweet Home!』
作曲/H.ビショップ

20 音オルガニートで『アイルランドの子守歌 Irish lullaby』
作詞作曲/J.R.シャノン

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