軽トラの寅ちゃん

2016年11月17日
僕の寄り道――軽トラの寅ちゃん

親戚から面白いボディカラーの軽トラを譲り受けた清水の友人が、いまだに嬉しくてたまらないらしく、遠路はるばる栃木県の妻の実家まで、家庭菜園にほどこす堆肥をもらいに行って来たと言う。清水から軽トラでふらっとやってくる寅が、栃木の実家の人々にはどう見えるのだろうか。

ついでに往路の甲府、上野原、上尾などの親戚に寄ってお土産を配り、帰りは高騰している野菜をもらって来たそうで、栃木のハクサイとニンジン、中河内の友人が掘った自然薯、立正大学西田公昭教授宅のレモン、そして自家焙煎珈琲入りの詰め合わせが届いた。

子どもの頃から軽自動車が好きで、ああいう小さくて非力なエンジンを載せた車で、のんびり遠距離ドライブをするのが夢だった。自動車好きの友人のなかには「軽だけは乗りたくない」などと言う者もいるけれど、実は軽自動車ならもう一度所有してみたいと思う。そんなわけで中学校の一年先輩、軽トラの寅ちゃんがちょっとだけ羨ましい。


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わたしと、たにしと、あなた

2016年11月16日
僕の寄り道――わたしと、たにしと、あなた

今西錦司はどうやって「すべての生物(種)に社会が存在する」という「汎社会論」へ持っていくのだっけとふと思ったので、昔むかし読んだ本をバッグに入れて電車に乗った。

1…すべての種は最初から複数個の集合として発生した
   ↓
2 …それらは自己の生存と再生産のために一定の環境条件を必要とする集まりである
   ↓
3 …「一定の環境条件の必要」は種に同じ生活の場を共有させる
   ↓
4 …同じ生活の場を共有することによって生み出される干渉が、生存と再生産を妨げないための調整が必要となる。それが社会である。

ということで社会の基礎は種の生存と再生産にある。すなわち「集まりとしての種」を構成要素である「個」まで解体してしまったら、生存や再生産という「実体」が切り捨てられた足場のない空論になってしまう。個体を成立させる生存と再生産を基礎とした社会であると考えて初めて「種」というものが立ち現れるのだ。

そんなことを電車の中で読みながら考えてメモし、東京駅に着いたらホームの大型看板が気になった。「わたしの宝物はわたしだと思う」のだそうだ。「いいね!」ボタンのように、「ASDK!」とか「DDST!」のボタンがあったら押したい。「ASDK!」は「ああそうですか!」、「DDST!」は「だからどうした!」で、「たにしの宝物はたにしだと思う」と変わらない。

最近の若者は「わたしの宝物はあなただと思う」という体験をしたことがあるのだろうか。たとえばこの看板の前に立って線路に身を投じるのを思いとどまらせるとしたら、わたしの宝物はわたしだという気づきではなく、わたしの宝物はあなただと気づくから、それしかないのではないか。もちろん「二人称のあなた」が「一人称のわたし」であると気づくという意味でだ。


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メモは頭脳。

2016年11月16日
僕の寄り道――メモは頭脳。

停車中の東海道本線各駅停車、そのドアの上に「メモは頭脳。」と書かれた広告があった。暇なので読んでみたらそれはそうだと頷けることが簡潔で「スピーディに」にまとまっている。

学んだことや考えたことを自分なりの表現で記録しておくと、より発展した思考の糧になる。高度な議論や発想ができる。いわばメモは、頭脳の一部、積極的に活用し、どんな情報や経験も自らの力に変えてほしい。(東海道線内の栄光ゼミナール広告より)

頭脳とは脳としてかたちづくられた物質自体のことではなく、あたまの働きである知力のことをいう。自分なりの表現でメモすると、忘れにくいので記憶の中にたくさんの引き出しを持つことができる。その一つずつの記憶の引き出しは、数学で言ったら代数に近いかもしれない。

「代数というのは、あれは不精もののずるい計算術である。知らない答をXと名づけて、そしてそれを知っているような顔をして取扱って、それと知っているものとの関係式を書く。そこからこのXを定めるという方法だ」(工業技師だった伯父さんが少年アルバート・アインシュタインに語った言葉より)

人より高度な意見を述べたり、思考の速さで他人より抜きん出たりするのは、若い頃に獲得した引き出しの機能に負うところが多いと思う。歳をとって脳が障害を受けると、そういう引き出しを利用する思考の道筋が失われ、あのひとはもう頭脳が機能を果たさないというラベルを貼られたりする。

けれど高次脳機能障害を負っても考えて書くことを諦めなかった人の手記を読むと、代数のような記憶の引き出しに入った「手続き」が使えないので頭の中で順番に考えを処理せざるをえず、健常者にはフリーズしているとしか見えないので、この人の頭脳は死んだなと思われるらしい。ゆっくりが許される世界ならば健常な人は多いだろう。


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ハゼノキの秋

2016年11月15日
僕の寄り道――ハゼノキの秋

六義園内が色づいてきたので昼休みにハゼノキを見に行った。やはりハゼノキは真っ赤に紅葉していた。

サトウハチロー『小さい秋みつけた』で「むかしの むかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色」とうたわれた入日色の紅葉はいい。

だがハゼノキはいつでもどこでも、一年を通じて姿カタチがいい。春の芽吹きなど、なんて美しいのだろうと思う。

緑を身にまとっても、真っ赤に色づいても、そして木枯らしに吹かれて枝だけになっても、やっぱりハゼノキはいい。


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方向感覚

2016年11月15日
僕の寄り道――方向感覚

高次脳機能障害について書かれた本を読んでいると、「高次脳機能障害とは脳機能に対する高次の障害」であると思っていたのだけれど、「高次脳機能」というものがあってそれが「障害」されるということなのだなと思う。障害される原因は当たり前のように思いがちな低次の機能がなぜか働かないからだったりする。

低次脳機能とくくられるさまざまな機能、その関係の総体が「高次脳機能」であり、その不思議な「関係」こそが「高次脳機能」の実態であるように思えてくる。障害を受ける受けない以前にある不思議な脳の仕組みというふりだしに戻るのだけれど。

認知の障害は「記憶の障害」であるように思ってしまうけれど、実は「知覚の障害」であると考えたほうが、わずかな個人的体験に当てはめてみると得心がいくので、そういう興味で選んだわかりやすく書かれた本を読んでいる。

† 狭い空間の知覚と違い、この広い空間知覚の能力は始めから備わっているものではない。一定の時間をかけて作りあげられてゆくものである。つまり、動きまわる自己と動かない空間の間に、時間とともにある一定の関係ができてゆくが、そのような関係の総体が広い空間における方向知覚の本態である。できあがってしまえばこの空間知覚機能は瞬間瞬間に眼前に展開する視覚対象と、見えないが確実にそれらの対象と連続しているその周囲の空間とを一つに包括して、安定した身体定位の感覚を産み出す。(山鳥重『脳からみた心』角川ソフィア文庫より)

「広い空間における自己定位の障害」すなわち突然方向感覚を失ってしまう不思議な障害について読んでいて思い出した。方向感覚を失って彷徨い歩いたような旅の記憶が人生に幾つかある。それらは親だったり、教師だったり、地元民だったりという強力な引率者についていくだけで、広い空間と自分の位置関係を緊張感を持って注視することを放棄し、安楽さに身を任せた旅だったからだろう。静止した世界に対して自律的に動き回ることで世界の見取り図を作らなかった記憶は希薄だ。


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異人坂下、スピード落とせ

2016年11月14日
僕の寄り道――異人坂下、スピード落とせ

打ち合わせで根津の出版社まで出かけたら、根津神社の銀杏はすっかり色づいていた。日当たりの良い本郷通りや東大構内より、少しだけ黄葉が早いかもしれない。

異人坂は本郷通りからカーブしながら根津の谷へと下りてくる。根津側から登っていくと登りきった先にサトウハチロー旧居跡がある。

†異人坂     文京区弥生2-13 北側
 坂上の地に,明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。
 ここに住む外国人は,この坂を通り,不忍池や上野公園を散策した。当時は,外国人が珍しかったことも手伝って,誰いうとなく,外国人が多く上り下りした坂なので,異人坂と呼ぶようになった。
 外国人の中には,有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し,日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し,日本の自然を愛した。
 異人坂を下りきった東側に,明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13番付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の生みの親である。
                文京区教育委員会  平成9年3月

たいした斜度のある坂ではないけれど、曲がっていて見通しの悪い坂なので、下りながらブレーキをかけさせようと「スピード落とせ」と書かれているのが面白い。こういう世界に刺青をするような路上のタイポグラフィは日本以外の国々でも見られるものなのだろうか。


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綴の読み方

2016年11月14日
僕の寄り道――綴の読み方

昨夕、この秋に亡くなった友人の息子さんが仕事場に寄り、先日まで風邪をひいていたと言う。四十九日の時にうつしちゃったかなぁと言ったら、まわりに風邪をひいている人が多くて職場でもみんなひいていると言う。

明らかに自分の風邪をうつした妻もようやく治って老人ホーム通いを再開したが、昨夜未明からまた調子が悪く、本人曰く「今度はまた別の風邪にかかった」そうで、昼まで寝ていて検温し、熱があったら医者に行くと言う。

そんなことで未明に目が覚めてしまったので、スマホでニュースや電子書籍を読んだ。

2016/11/14 04:02:50

てん‐てい【点×綴】
[名](スル)《慣用読みで「てんせつ」とも》ひとつひとつをつづり合わせること。また、物がほどよく散らばっていること。てんてつ。

2016/11/14 04:26:40

韓国の歴代政治権力、その悪事によって点綴された歴史…の「点綴」が読めないので調べた。
Android で使っている google 日本語でも変換されなかったそれは「てんてい」だそうで、いくつかある読みの中から漢音読み「てんてい」を辞書登録した。「綴」の音読みは漢音ではテイ/テツ、呉音ではタイ/テチになる。「補綴=ホテイ・ホテツ」「綴合=テイゴウ・テツゴウ」にも異なった読みがある。

「綴する(てっする)」と読むその用例に

「礼者所以綴淫也=礼ハ淫ヲ綴スルユヱンナリ」〔礼記〕

というのがあった。この場合の「綴する」は糸でかがるように縫い合わせてほころびを封じるという意味になる。なるほど!
礼記は「らいき」と読む。

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開店閉店

2016年11月13日
僕の寄り道――開店閉店

昔は開いていないと思っていた商店が店開きしているとびっくりした。たとえば大雪が降った早朝、朝一番で大学に行ったら校門がすでに開いており、足跡があって誰かが一番乗りしたらしい。こんな日に誰が来たんだろうと足跡を辿ったら、古びた学生生協の引き戸が開いており、なかで女性職員がストーブに火をつけていたのでびっくりした。

最近は年中無休、終日営業、要するに閉まっていることのないコンビニが林立しているので、こんな日のこんな時間帯にに客が来るのだろうかと疑わしい状況で、店が開店していても別段驚かない。しかし逆に開いているはずの店が灯りを落として入り口を閉ざしていたりするとびっくりする。

さっき近所のコンビニに行ったら灯りが消えて入り口が閉ざされており、どうしたのだろうと入り口前まで行ったら関係者以外立ち入り禁止の張り紙があった。いま開けてもすぐ商売ができそうな状態で商品が展示されており、何らかの事情で急遽閉店したのだろうが妙に寂しい。twitter で店名を検索したら閉店したらしいという Bot 情報があった。


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年齢と階段と坂道

2016年11月13日
僕の寄り道――年齢と階段と坂道

01:05:58 

寺田寅彦「秋の歌」でチャイコフスキーを聴きながらの夢想に登場する「マリアナ」は、トルストイ「コサック」に出てくるコサック娘「マリヤーナ」のことではないかと思うのだけれど、同書を読んでいないのでわからない。 

01:15:22 

†「何かの思想あるいは何かの発明の起源を捜そうとする労力は、太陽の下に新しき物なしというあっけない結論に終るに極っている。」 

寺田寅彦が剽窃についてひいたラスキンの言葉。 

01:26:44 

「小松のみどり」というひとつながりの言葉があって、歌手の「小松のみどり氏」を内村光良風に思い出したが、若々しくてまだ小さな松の木を小松と呼ぶ。 

01:28:33 

†「星野温泉行のバスが、千ヶ滝道から右に切れると、どこともなくぷんと強い松の匂いがする。小松のみどりが強烈な日光に照らされて樹脂中の揮発成分を放散するのであろう。この匂いを嗅ぐと、少年時代に遊び歩いた郷里の北山の夏の日の記憶が、一度に爆発的に甦って来るのを感じる。」(寺田寅彦) 

01:41:35 

†「金のある人は、寝台や台所のついたカミオンに乗って出掛けたらいいだろうと思われるが、まだ日本にはそういう流行はないようである。」(寺田寅彦) 

カミオンはフランス語でトラックのことで、寅彦はキャンピングカーのことを言っている。この「浅間山麓にて」は1933(昭和 8 )年の発表。 

05:57:45 

高齢者による自動車事故のニュースが毎日のように報じられている。自分もまた清水帰省して高齢になった知人を訪問するたびに、「帰るなら車で送る」という申し出を断るのに苦労した。 

あなたの運転する車に乗るのが怖いとは言えないので、婉曲に断るとひどく自尊心を傷つけられた顔をしていた。彼らにとって運転は自分に残された数少ない他者に優越する機能だったのだろう。認知症的傾向が始まってから自尊心のひとつを手放させるのは難しい。その後運良く免許証を返納したと聞いて安心している。 

06:11:30 

猪瀬元東京都知事が「東京の敵はドンと呼ばれる人」と語ったという見出しを見て「東京の敵は接待に応じやすい議員の体質である」と読めてしまった。 

郷里清水では接待する側が「よばれていってください」と言い、される側が「それじゃあよばれるか」と言う。「ドンと呼ばれる」は相当高額な接待に応じるということになる。 

06:17:12 

妻が電車の中吊り広告を見て「伏魔殿ってなに?」と聞くので「悪い事ばかり行われている場所のことだよ」と答えたが「それって都庁のこと?」とは聞き返されなかった。 

06:36:37 

なんで学校トイレの和式・洋式問題が話題になったのだろうと思ったら、11月10日がそういう日だったとようやくわかった。 

†ネット記事引用→「いいトイレの日」にあたる2016年11月10日、文部科学省が公立小中学校の「トイレ事情」に関する調査結果を発表した。 

洋式が普及したので和式で用をたせない児童がいるというのは本当だろうか。洋式が使えないので便座に乗って跨って用をたした人がいるという話を思い出した。 

他人が座った便座にお尻を置けない児童がいるという話で、洋式の公衆トイレでは腰を浮かせたまま用をたすようにしているという人を思い出した。 

スクワットの練習と思えば良いと、友人の女性大学教授が言っている。 スクワットポーズで用が足せないと、登山道を逸れて「キジを撃ちに行く」ような緊急時に困ると思う。 

10:04:01 

駒込駅北口で降りてアザレア通りで買い物をすると、帰路は六義園に向かって坂道を上がらなくてはならない。水平にカメラを構えるとこんな角度になる。坂道の脇に石段もあり、ちょっと前まではだらだら坂を登り続けるのが嫌いで、とんとんとんと足を持ち上げては階段を上っていたが、最近は階段がきつくて坂道を選んでしまう。妻と一緒に通りかかったので「坂道と階段どっちで登る?」と聞いたら、いつもは階段と答えるのに「そりゃ坂道だよ」と言う。たがいにそういう年齢に差し掛かったのだろう。 



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介護の日

2016年11月12日
僕の寄り道――介護の日

05:16:31
11月11日は介護の日だったという。「11月11日はチンアナゴの日」というニュースのインパクトが大きすぎて、介護の日という由来の想像がつかない。

†厚生労働省のページより引用→ ・「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」を念頭に、「いい日、いい日」にかけた覚えやすく、親しみやすい語呂合わせとしました。

05:28:04
在宅介護で家族が抱え込む苦しみを、第三者の介入により重心をずらして和らげるには、生活者のそばに居場所として介護拠点があるのが最も望ましい。清水の叔母から電話があり入院中の叔父が自宅に隣接した介護施設に移動できることが決まったという。在宅での介護を望んでいた叔母に、それなら在宅と変わらない、どんどん通って介護を手伝ったらいいと励ましながら喜んだ。

05:39:45
そんな喜びもつかの間、今度は埼玉の特養に通って昼食食事介助している妻からメールがあり、義母の様子がおかしいという。昼食後、体が傾いて天井を見上げたままになり、顔から血の気が引き、たて続けに生あくびが出るので居室で寝かせたとのこと。それは脳梗塞発生の症状に似ているので、もう少し様子を見てみようと返信した。元気に午後3時のおやつを食べる姿を見て帰って来たと言い、看護科の職員も梗塞を疑ってあれこれ検査してくれたと言う。今日土曜日、一緒に行って様子を見ることにした。

05:59:37
このままガンの発見率が上がって行けば、死因にガンの占める割合が高まり、つまるところ神様が用意した人が死ぬという避けられない仕組みの中に、ガンというものが組み込まれているという認識が当たり前になる。脳溢血も同じようなもので、帰宅した妻と
「母さんはまた脳に小さな異変があったのかもしれないね」
と話した。 年を取り、認知症が進み、身体に拘縮のある年寄りを、診断装置の中に押し込んで脳内を検査したところで、それが年寄りの残り少ない人生の質に何ら益するところはないので、このまま穏やかに推移を見守ろうと話した。 

06:22:52
目が覚めると枕元のスマホで SmartNews、朝日新聞、NHK ニュースアプリにざっと目を通す。目を通しながらわからないことはネット検索し、そのついでに寄り道する。
午前7時になったら起きて朝食の支度をして妻を起こすことにしているが、それまで時間があるときは Kindle アプリで電子書籍を読む。
再読している西部邁『虚無の構造』が電子書籍で読めたらいいのだけれど、電子化された西部邁の本は少ない。 

06:33:37
寺田寅彦「秋の歌」を読み始めたら、寅彦はチャイコフスキーのその曲をジンバリストの演奏で聴いたことがあるという。ジンバリストといえば懐かしのテレビドラマ『サンセット77』を思い出す。あのサンセット大通り77番地に事務所を構える私立探偵を演じた主演俳優もジンバリストと言ったなあと思い、調べたらバイオリニストだったエフレム・ジンバリストは俳優エフレム・ジンバリスト・ジュニアのお父さんだった。びっくり。 

08:24:16
掃除機をかけ終え、おじいさんが掃除機おばあさんが洗濯機を回している朝というのもいいもんだねと言ったら、おじいさんが役たたずじゃない感じがしていいと妻が答えた。 

12:51:15
Sさんは右手に箸を持ったまま左手を使って手づかみでご飯を食べる。
「Sさん、今日はインド料理じゃないからお箸で食べようね」
と言いながらケアワーカーが左手にお茶碗を持たせると食べこぼしてしまう。右手に箸を持っているのだから左手の手づかみでよいと思う。十分行儀に気をつかわれているし、手づかみには五本箸の呼び名もあるのだから(特養ホーム参観中) 

13:02:49
義母は聞き取れないとはいうものの発語があるし、食事も娘の介助で完食した。動作にいつもと変わった様子も見られないので、昨日の不調の影響もなさそうで安心した(特養ホーム参観中) 

16:16:05
駒込駅前に着いたら六義園染井門が開いていたので庭園内を抜けて帰ってきた。

 

大宮駅ホームにて。妻が見に行きたそうにしていた。



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雨の朝のメモ

2016年11月11日
僕の寄り道――雨の朝のメモ

Sony Ericsson XPERIA pro MK16i で Evernote にメモをとるために、WriteNote Pro というアプリをインストールした。書き込みたいノートブックと、作成ファイル名と、タグなどを設定しておけばメモをとるたびに Evernote にその日のノートを自動作成し追記されていく。
同じアプリの iOS 版もあるので、電話として使っている iPhone からも追記できる。自動作成されるファイル名は
yyyy/MM/dd 日記
とし、ノートブック名は iPhone と GALAXY Note 8.0 で使っている AwesomeNote と共用するため
[aNote]My Diary
とした。ただし iOS 版ではノートブック名として認識してくれないので
'[aNote]My Diary'
としてやらなければならなかった。小さなバグかもしれない(2016/11/11現在)
これに似たアプリはいろいろあるけれど、WriteNote Pro はとくに素晴らしい。

以下、同ソフトで未明に目が覚めてとったメモ

   ***

2016/11/11 日記(自動的にこのタイトルのノートがつくられメモを送信するたびに時刻つきで追記されていく) 

03:00:13
一時過ぎに目が覚めたら三時ちょっと前から雨音が聞こえている。トランプ新大統領について石破茂が小泉純一郎に似ていると言っていた。

 †ネットより引用→自民党の石破茂前地方創生担当相は9日夜のBSジャパン番組で、米大統領選で当選を決めた共和党のドナルド・トランプ氏について、「自民党をぶっ壊す」と訴えて首相(党総裁)に就任した小泉純一郎氏になぞらえ、「当選するために見せる顔と当選してから見せる顔は違うのかもしれない」と語った。
 トランプ氏は選挙期間中、数々の暴言と誹謗(ひぼう)中傷を繰り返してきたが、石破氏は「大統領になるまでは常識に反しても耳目を集めて人気を上げていくトランプを演じていたと思う」と分析。当選が確実となった後の最初の演説で穏当な発言に終始したことを挙げ、「大統領になったからには、多くの米国民に支持されるトランプを演じるということだろう」と語った。

トランプ評としてとても冷静でまともな気がする。 そう書いてメモをアップしたら11年前に宮崎哲弥が産経新聞に寄せた記事をメモしてあったのが Evernote 内でコンテキスト表示されていた。 

†産経新聞切り抜きより引用→ 自民党は郵政造反組を排除することによって、その軸足を新自由主義の方向に大きく移動させた。伝統的な社会共同体重視の保守主義から、アメリカ共和党的な個人の自律と市場競争を最重視する社会哲学にシフトしたといってよい。
 これが小泉自民党の政策思想的「純化」の意味である。この保守政治の変成に気付いている人は驚くほど少ない。(宮崎哲弥)

03:01:18
「なぜ和式多い? 学校のトイレ事情」というタイトルで NHK ニュースがあったのでなにか意外な理由でもあるのかと思ったら、財政状態が芳しくないのが理由だという。なあんだ。子どもはまだ腹が出ていないので、踏ん張れる世代には踏ん張ってもらうしかないだろう。

03:33:33
このところ BS 朝日で予約録画して浅草東洋館の「いろもの」を見ている。正統派のくだらなさがあって心洗われる。

†東洋館についてネットより引用→ 現在はいろもの(漫才、漫談など)を中心とした演芸場。建物を同じくする姉妹館・浅草演芸ホール(落語中心の寄席)とともに、歴史ある浅草お笑い文化の一角を担う存在である。

なんというグループか忘れたけれど、俺テレビ観ないから、じゃあなに見てんだよ、ラジオ…みたいなしょうもなさに郷愁が紛れ込むようなネタに観客の笑いがあってホッとする。浅草の客層はいい。

03:58:24
ワカメが値上がりしているという。国内流通量の7割が中国産で、海水温の影響により不漁らしい。

ワカメといえば先日近所の大衆食堂に行ったら「味噌汁ワカメ抜きで」と言って注文している若者がいた。最近の子は遠慮などないのか、ラーメン屋で「チャーハン、グリンピース抜きで」、鮨屋で「ちらし、ガリ抜きで」などとズンズン注文をつけており、オッサンとしてはマメの数粒やワカメのヘラヘラぐらい食べずに残せばいいだろう!と思うのだけれど、店員も淡々と「はーい」と返事しているのでそれが当たり前になっているのだろう。

04:29:41
北陸新幹線未着工ルートは費用対効果で 「小浜舞鶴ルート」は劣勢らしい。とすると 「米原ルート」か「小浜京都ルート」となる。富山に初めて行った冬は豪雪で、帰りに米原経由清水行きの切符を買ったが、ようやく動いた列車が米原に行けなくなり、湖西経由で京都まで連れて行かれた。京都での乗り換え時に遠回りした分の料金をとられたが、自然災害時はそうなるのだろうか。静岡県民としたら米原ルートを推したくなる気持ちにつられて思い出した。 

05:38:19
インターネット普及が「すごいことだなあ」と感動するのは、自分が「自分以外その他大勢」とほとんどかわりがないということが実感できることではないか。自分しか思い付かないであろうと思われるヒラメキやアイデアやジョークや熟考が、検索してみればみんな他人も思いついていて膨大にヒットする。 

雨の六義園正門前。紅葉のライトアップは11/19(土)から12/7(水)まで

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小さなスマホの話

2016年11月10日
僕の寄り道――小さなスマホの話

病気をして寝込んでみたら、画面サイズ4インチ台の小さなスマホが自分にとってもう欠かせないモノになっていることがわかった。本を読んだり、ニュースに目を通したり、メールを確認したりといったことがすべて布団の中でできてしまう。寝込んでいてやりたいことはそれくらいしかない。

とはいえ画面サイズ 4 インチ台のスマホはそう多くない。大画面化がトレンドのようで新製品となるとなかなか見つからない。ゲームをしたりネット動画を見たりするわけではないので、古い機種でもかまわないと思い、探してみると SONY が面白いものを作っていた。

Sony Ericsson XPERIA pro MK16i といい、画面サイズは 3.7 インチ、本体裏側をスライドさせて引っ張り出すとキーポードが出てくる。日本国内では販売されなかったそうで初めて見た。オークションに出ていたので 6,000 円台で落札してみたが、届いたのをいじったらとてもいい。

なにより気に入ったのはキーボードを押してもプチプチ音がしないことで、これならどこで文字打ちしても両隣りを気にせずにすむ。この手のギミックが好きであれこれ使ってきたけれど、いちばんよくできているように思う。

想定外だったのが、この時代の機種の RAM 容量が 512MB しかなかったことで、アプリが容量不足で入らないし、OS が古くて動かないものもある。Evernote、Dropbox、デジタル大辞林などはすべて諦め、Evernote や Dropbox とやりとりできるエディタを 4 本とクリップボードユーティリティを 1 本だけインストールした。ポケットに入る小型ワープロとしてはこれで十分だろう。


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腸内細菌のふしぎな話

2016年11月10日
僕の寄り道――腸内細菌のふしぎな話

むかし「腸内細菌のふしぎな話」という本の仕事をしたら、「町内細菌のふしぎな話」と書かれた注文書が届いて、町内にいる細菌の話というのも考えてみると怖いと営業の女性が笑っていた。

風邪をひいて咳と熱がひどくて、解熱剤と抗生物質を処方してもらったけれど、一週間近くたっても改善されないので別の組み合わせに変えてもらい、ようやく2週間経ったら完治した。

細菌は、ではなく最近は友人にもらったケフィアを牛乳で増殖させて毎朝食べている。気に入って続けているのだけれど、抗生物質を飲みながら腸内に菌を入れることの是非がよくわからず、つくる体力と食欲がないのを理由に2週間お休みした。

風邪が抜けたので毎朝のケフィアを再開したのだけれど、どうも町内の、ではなく腸内の感じが変わっている。具体的にはお通じの具合が違う。抗生物質を2週間飲み続けたことによって腸内の細菌環境がリセットされたのではないかという気がしているのだけれど、それが良かったのか悪かったのかわからない。

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老人と竜

2016年11月8日
僕の寄り道――老人と竜

青果店で買い物をしてレジに並んだら、足もとのおぼつかないおばあさんがガマグチを開けて勘定をしている。かなり高齢で身体も弱られているようだけれど、それでも自分で食材を買い出しに来て、帰ったら自分で台所に立つのだろうか、えらいなぁ、いやそうせざるを得ないなら気の毒だなぁと思う。

支払いに時間がかかっているので何を買ったのかと覗いたら、けばけばしい色合いをした物体を三個買われていた。見かけたことはあるけれど食べたことのない果実で、おばあさんに続いて会計を済ませ、店頭で確かめたらベトナム産のドラゴンフルーツだった。

そうか、あのおばあさんはこんなものが好物なのか! そう思ったら、実は食事の世話はすべて嫁にやらせ、自分の好物を買って木の枝に登り、真っ赤な口の中を見せてドラゴンフルーツを食べている爬虫類が思い浮かんだ。人は他人の暮らしを勝手に想像している。


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とめうつひさそく

2016年11月7日
僕の寄り道――とめうつひさそく

ネットショッピングのメールやり取りを装った詐欺メールが来たのだけれど、こんなものに引っかかる奴がいるのかなと呆れてゴミ箱へ送ろうと思いつつ、繰り返し現れる 8 文字が妙に面白くて手が止まった。



自動送信アプリが文章をつくる際のバグか設定ミスだろうと思うのだけれど、詩の実験として読むとちょっと面白い。ひょっとして有名な謎の暗号だろうかとネット検索したがヒットしないので個別の現象なのだろう。「ご注文を頂きまして」とあるのに「ご注文を致しました」とあって何を言っているかわからないので、とめうつひさそく人が作成したのかもしれない。



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